2006/10/18

落花生は落ちる花に実が生るのか

英語で「peanut(ピーナット)」といい、スペイン語では「cacahuete(カカウェーテ)」とよばれる落花生はアメリカ大陸で栽培が始まったと考えられており、ブラジルや西インド諸島などが原産地の候補としてあげられていますが、最初に落花生が作られた地域は明らかにされていません。
しかし、4500年前のものと見られる数千個の落花生の殻がペルーの遺跡から出土しており、落花生栽培の歴史が古くに始まっていたことは確かです。

            ○

14〜15世紀にメキシコ中央高原で栄えたアステカの人々が、落花生を食用ではなく解熱剤として用いていたことが分かっていますが、これよりもだいぶ前の紀元前500年にはメキシコに落花生が伝わっていたといわれています。

紀元100〜800年頃につくられたペルーのモチェ族の墓からは落花生の殻の形が装飾された陶器が発見されており、もう少し後の時代のものになりますが、インカ族の墓からは副葬品として埋葬された落花生の痕跡が見つかっていることなどから、昔から南アメリカで落花生は生活に密着した重要な作物として扱われていたと考えられているのです。

            ○

16世紀頃にヨーロッパ人が南米大陸で初めて落花生を見たとき、彼らは落花生をアーモンドのようなものではないかとか、コーヒー豆のように煎って使うものなのではないかと考えましたが、落花生を積極的に食べようとはしませんでした。
17世紀前半にペルーに住んだスペイン人祭司のベルナベ・コボは落花生を食べると頭痛がしたり目眩を覚えると記録しています。

            ○

640peanut116世紀前半に、 スペイン人やポルトガル人が南アメリカに攻め入ったときに知った落花生を故国に持ち帰りましたが、やはりこの時代のヨーロッパ本土でも落花生が熱狂的に迎え入れられるということはありませんでした。
ヨーロッパ人から見て、地上に花をつけるのに地中に実ができる落花生は奇怪な植物に感じられたのです。
落花生が好む温暖な気候の土地がヨーロッパには少なかったということも落花生が普及しなかった理由の一つとしてあげられます。

その後の状況から見て、ヨーロッパでは落花生をそのまま食べたり料理に使ったりするより、油にして使うことの方が注目されたことが伺えます。
加熱しても酸化し難い落花生油は特にフランスで重宝され、落花生油を使った様々なフランス料理が考案されたのです。

            ○

アフリカやアジアでも無臭の落花生油は揚げ物には欠かせないものになりましたが、これらの地域では落花生そのものを料理に積極的に用いました。
1500年代に、インド南部に落花生を持ち込んだのはポルトガル人でしたが、その他のアジア地域への落花生の伝播に貢献したのはスペイン人だったと考えられています。
スペイン人が南アメリカからフィリピンに運んだ落花生は、フィリピンから中国や日本、東インド諸島に伝わっていったのです。

            ○

東南アジアでは挽き割りにした落花生をとうがらしやライムと混ぜて辛味のあるソースが作られたり、タイやインドネシア、マレーシアなどで食べられる焼き鳥風料理のサテーにはピーナッツのソースがかけられます。

日本でも沖縄には落花生から作られる「ジーマミー豆腐」という珍味があります。
「ジーマミー」とは「地豆」のことで落花生を意味する沖縄の言葉です。

            ○

「落花生」や沖縄の「ジーマミー」という名の語源は、落花生の特徴的な実のなり方に由来しています。

落花生は地面に近い枝に花をつけ、花が咲いて受粉すると花の雌しべの基部にあって袋状の形をした「子房」と呼ばれる部分が根のように地面に向かって伸び始めます。
伸びた子房の先端が地面につくと、子房は地表から3センチ以上も地中にもぐり込み、そこで繭(まゆ)の様な形に膨れて落花生の莢となる部分を形づくり、莢の内部では実となる部分がつくられるのです。
花が咲いてから約2ヶ月ほどで落花生の実はできあがりますが、日光があたっている状態で子房は熟すことができないため、子房が地中にもぐり込むことができない固い地面の土地で落花生は実を生らせることができません。

            ○

このように、実際には花ではなく子房が地中にもぐり込むのですが、まるで花が落ちた場所に実ができるように見えることから、中国語ではこの豆を「落花生(ローホワション)」と呼ぶようになったのです。
「落花生」という語句が中国から日本に伝わったとき、中国語の漢字表記はそのまま使われましたが、これを訓読みするようになり、日本では「らっかせい」と呼ぶようになりました。
日本語では落花生に南京豆という別名がありますが、これは中国から伝来した豆を意味しています。

            ○

落花生が日本に伝わったのは18世紀初め頃で、オランダ船によりもたらされたというのが定説になっています。
地上で花が咲き地中で実がなる不思議さから当時の日本でも落花生は敬遠され、すぐには普及しませんでした。

明治7(1874)年にアメリカから落花生の種子が日本に持ち込まれるようになった頃から、落花生は日本各地で栽培されるようになります。
落花生栽培には程よい湿り気と酸素が必要となるため水はけの良い砂地などでの栽培が適しており、千葉県九十九里浜で落花生の生産は活発に行われました。
現在でも千葉県は日本一の落花生生産量を誇り、日本で生産される落花生の7割以上は千葉県で作られているのです。

<参考書籍>

安達巌(2004)『日本型食生活の歴史』新泉社
シルヴィア・ジョンソン(1999)『世界を変えた野菜読本—トマト、ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシ』晶文社
吉田よし子(2000)『マメな豆の話—世界の豆食文化をたずねて』平凡社
本間千枝子, 有賀夏紀(2004)『世界の食文化〈12〉アメリカ』農山漁村文化協会

<落花生関連>

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2006/09/20

さつまいも太古の海を渡る

意外なことにさつまいもは謎の多い植物です。
特にさつまいもの原産地とさつまいもがどのように世界に広まっていったかについては、近年になるまで確かなことは殆ど何も分かっていませんでした。

            ○

さつまいもの研究を難しくしたのは、さつまいもの種類の多さとそれを分類する方法が確立されなかったことに因ります。
栽培種が野生種と交雑したり突然変異を起こしたことで生まれたさつまいもの仲間は非常に多く存在しています。
研究のために多くの野生種のさつまいもやさつまいもに近い植物が世界中から採取されましたが、研究者によっては外見の些細な違いで種類分けを行ってしまったため、さつまいもの系統分類は混乱してしまったのです。
現在でもさつまいもの的確な分類方法は確立されていないそうです。

            ○

991026 長い間、形や生息している地域などをもとに、さつまいもの原種や原産地の研究が進められてきました。
しかし現存するさつまいもの種類分けが不明確な中で、その形をもとに原種を探すことは非常に困難な作業です。
さつまいもの原産地はアジアであるとかアフリカであるなど様々な説が唱えられ、一時期はさつまいもの原種や原産地を特定することは不可能だとまで言われました。

            ○

行き詰まっていたさつまいもの祖先探しが再び進展したのは、近年の植物の染色体研究の進歩のおかげです。
染色体を分析することで様々な栽培植物の原産地が判明しましたが、さつまいもの原種探しにもこの方法がとられたのです。
さつまいもの染色体の数を基にしたゲノム分析は日本人研究者によって積極的に行われました。
分析結果が出てもその結果について日本人研究者とアメリカ人研究者との間で見解の相違などがあったため、簡単には結論に至りませんでしたが、現在ではさつまいもの祖先の植物は主にメキシコから南米北部に生息する植物であることが分かっており、最初に栽培され始めたのもこの地域だとみられています。

ペルー海岸のチルカ谷の遺跡から発見された紀元前8千年から紀元前1万年頃のサツマイモの根などの考古学的資料から、紀元前3000年には赤道近くの熱帯アメリカを中心とした広い地域でサツマイモは食べられていたと考えられています。

            ○

さつまいもがアメリカ大陸からどのように世界中に伝播していったかについてもはっきりとしたことがまだ分かっていません。
しばらく前までは、コロンブスがさつまいもをアメリカ大陸からスペインに持ち帰り、その後世界中に伝えられたという説が一般的に信じられていました。

しかし近年になってこの説が間違いであったことが判明したのです。
コロンブス以前にアメリカ大陸以外の地域にさつまいもはなかったという考えは、アメリカ大陸に生息する植物の原種の仲間が他の場所では発見されなかったという根拠に基づいていました。
しかし、1940年代前後に太平洋のポリネシアのタヒチ島周辺やニュージーランドで、さつまいもの祖先に近い植物が栽培されていることが発見されたのです。
これにより有史以前にさつまいもはアメリカ大陸から南太平洋の島々に伝播していたことが判明しました。

            ○

しかし、そのような太古にさつまいもがどのようにして太平洋を渡ったのかは今でも確かな答えが得られていません。
一説では、さつまいもが海流に乗ってポリネシア方面まで流れていったとされています。
別の説では、アメリカ大陸に住んでいた人達が南太平洋地域に向けて航海した際にさつまいもを運んだと考えられています。
筏を使って南米から南太平洋の島に到達できることはコン・ティキ号で有名なヘイエルダールが実証しています(この実験航海について書かれたヘイエルダールの『コン・ティキ号探検記』は、誇張した表現が省かれた実験レポートのように簡潔な文章ですが、堅い読物ではなく所々でクスッと笑わせるようなユーモアがたっぷり盛り込まれた本です)。

しかし、カボチャやとうもろこしはそのような昔に海を渡っていないと考えられており、なぜさつまいもだけが南米からポリネシアまで伝わったのかも、さつまいもの謎の一つになっています。

            ○

1974年に発表されたニュージーランドのエン博士の説では、さつまいもが世界に広まった経路は三つあったとされています。
一つは1492年にコロンブスがアメリカ大陸からヨーロッパに運び、その後アフリカやインド、中国、インドネシアに伝播したルートです。
二つ目は16世紀にスペイン人がメキシコからフィリピンに運んだ経路だと考えられています。
そして三つ目が南米のペルーからイースター島などを経てポリネシアやニュージランドに伝わったルートです。
さつまいもがポリネシアに伝わったのは有史以前のことなので、当然それについて書かれた文献は無いのですが、わずかな手掛かりから紀元前1000年頃にさつまいもはポリネシアに伝わっていたのではないかと研究者達は考えています。

Map_poteto_1

<参考書籍>

坂井健吉(1999)『さつまいも』法政大学出版局
タキイ種苗株式会社出版部(2002)『都道府県別地方野菜大全』農山漁村文化協会

<さつまいも関連>

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2006/09/06

とうがらし世界一周

とうがらしの原産地についてはメキシコ説やボリビア中部地方説、アンデス地方説、西インド諸島説などがあり、まだ特定はされていません。

            ○

とうがらしの原産地候補の一つであるメキシコで発掘されたテワカン遺跡の紀元前7000年よりも古い地層から、アボガドの種子と一緒にトウガラシが1960年に発見されています。
このことから狩猟採取を行っていたであろう時代からメキシコではトウガラシを食用としていたことが確認されたのです。
この紀元前7000年よりも新しい層からはとうもろこしやかぼちゃなどに混じってとうがらしが見つかっており、とうがらしはとうもろこしやかぼちゃよりも以前に栽培が始められたと考えられています。

            ○

アメリカ大陸に住んだ人達以外で最初にとうがらしの存在を知ったのは、あのクリストファー・コロンブスです。
苦しい航海の末たどり着き、そこがアジアだと信じた西インド諸島で、島の住民が「aji(アジィ)」とよぶ香辛料をコロンブスは入手しています。
コロンブスはこの「aji」と呼ばれる香辛料を先住民が使う胡椒であると記録しましたが、この「aji」こそが当時のヨーロッパ人にとっては未知のとうがらしだったのです。
コロンブスはインドに到達したと信じて疑わず、その地では「ガンジス川の香りがした」と後に語っていたくらいなので、当時インドで生産されていた貴重で高価な胡椒を手に入れたのだと信じたかったのでしょう。

            ○

1493年3月にコロンブスはとうがらしと共にヨーロッパに帰還しており、このとうがらしがアメリカ大陸から外に出た最初のとうがらしだったとされています。
このコロンブスの航海以前には、東半球に住むアジア人やヨーロッパ人はとうがらしの存在を知らなかったのです。

しかし、コロンブスが持ち帰ったとうがらしが世界中に伝播したわけではありません。
とうがらしもそれを持ち帰ったコロンブスもヨーロッパではさほど注目されませんでした。

            ○

Map_pepper_3

とうがらしの伝播に貢献したのはポルトガルやスペインの商人達でした。

15世紀にブラジル東海岸の交易地ペルナンブコに入ったポルトガル商人がこの地で偶然にトウガラシを発見し、これを船に載せて西アフリカに輸送して交易に使いました。
これ以前に、西アフリカではメレグエタペパーまたはパラダイスグレインと呼ばれるショウガ科の香辛料が胡椒の代用品として使われていましたが、とうがらしが伝わった後はこのショウガ科の香辛料はあまり使われなくなってしまいます。

ポルトガルのガリオン船はトウガラシをインド西海岸中部のゴアにも輸送しています。
胡椒を使い慣れていたインドでとうがらしはすぐさま受け入れられ、1540年代にはとうがらし栽培がインドで急速に広まることになりました。

ポルトガル人は16世紀前半に中国にも唐辛子を伝えています。
四川や雲南などの地方ではもともと山椒を料理に多用していたため、トウガラシもすぐに受容されました。

インドに伝わったトウガラシはマラッカ海峡を経由してマカオなどに渡り、フィリピン諸島にまで伝播していきます。
スペイン人もメキシコからフィリピンへとうがらしを運んでいました。
その後、フィリピン諸島にいたイギリスやオランダの船がアフリカ人奴隷と一緒にトウガラシをアメリカ大陸に輸送しています。

コロンブスが初めてとうがらしを見てから約半世紀という当時としては短い時間でトウガラシは地球を一回りしたことになるのです。

            ○

16世紀にアジアやアフリカ、ヨーロッパにわたる広い地域を支配したオスマン帝国も、とうがらしをヨーロッパに広めるのに一役買いました。
トルコのイスタンブルに首都を置いたオスマン帝国は、インドを支配したときにとうがらしを手に入れ、ハンガリー侵攻時にはとうがらしも一緒にハンガリーに運び込んでいます。
このオスマン帝国軍が持ち込んだとうがらしが、後にハンガリーのパプリカとなったのです。
16〜17世紀にかけてオスマン帝国がヨーロッパ東南部を制圧した際にも、とうがらしはバルカン半島諸国に伝えられています。

            ○

ヨーロッパに伝わったとうがらしはアメリカ大陸から直接持ち込まれたものより、アジア経由で伝わったものが多く、16世紀前半のヨーロッパの記録に出てくるトウガラシは「インドペパー」や「カルカッタペパー」のような名前で呼ばれています。
このことから、とうがらしの原産地はアジアだと思い込んでいたヨーロッパ人が当時は多くいたことが伺えます。

しかし事実は、コロンブスのアメリカ大陸到達以前のヨーロッパやアジアにとうがらしは存在せず、現在一般に知られているような味の麻婆豆腐やトムヤムクン、ペペロンチーノ、唐辛子の入ったキムチ漬けやインドカリーすら1493年以前には作られていなかったのです。

<参考書籍>
アマール ナージ(1997)『トウガラシの文化誌』晶文社
シルヴィア・ジョンソン(1999)『世界を変えた野菜読本—トマト、ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシ』晶文社
NHK取材班(1990)『人間は何を食べてきたか カレー、醤油』日本放送出版協会
石毛直道(2004)『食卓の文化誌』岩波書店
鈴木薫(2003)『世界の食文化 (9) トルコ』農山漁村文化協会
前川健一(1988)『東南アジアの日常茶飯—食文化観察ノート』弘文堂

<とうがらし関連>

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2006/08/29

トルティーヤとタコスとメキシコ人

中南米で有名な平焼きパンにメキシコの「トルティーヤ」があります。
メキシコの風土の中で生まれたトルティーヤとトルティーヤを使うタコスは、メキシコの地で昔から食べ続けられてきた伝統料理です。

            ○

トルティーヤの名はスペイン語で「小さなパン」を意味する言葉が語源になったという説があります。
スペインに「トルティージャ」という丸く薄いオムレツ料理があり、これにメキシコの薄いパンが似ていたことからトルティーヤの名がついたという説もあるようです。

            ○

昔のメキシコでトルティーヤの原料となるとうもろこし粉をつくるときには、05ilaj05_1 乾燥させたとうもろこしの粒を石灰水に一晩浸けて柔らかくして、サドルカーンで挽きつぶしていました。サドルカーンとは厚い石の皿と棒状のすり石からなる石臼の一種で、穀物などの材料を石皿の上に置き、すり石を石皿にグイグイと押し付けるようにして穀物を擂って粉に挽く古代につくられた道具です。

挽いた粉は水で捏ねられ、これを両手で弾くように叩き付けながら薄くのばすか、台の上で生地をまわしながら手のひらでグイグイ押しながら薄い生地にして石板や鉄板の上で強火で焼かれました。

メキシコの気候がイースト菌を繁殖させるのには適さなかったという事情もあったのでしょうが、主食となるとうもろこしの粉では粘り気が出し難いということもトルティーヤのような平焼きパンがつくられた理由となっていると考えられます。(関連:「ピタはなぜ薄いパンなのか」)

            ○

とうもろこし粉に水を加えて捏ねたトルティーヤのパン種は「マサ」というスペイン語名で呼ばれています。
バイオリニストの黒沼ユリ子氏が書かれた『メキシコのわが家へようこそ』という本には、現在のメキシコの家庭でどのようにトルティーヤが作られているかが説明されています。
その中で、メキシコではインスタントのマサも売られているとあります。
また、マサを平たく延ばすのには専用の小型プレス機が家庭で使われているようです。
プレス機と言っても、手のひらよりもちょっと大きいマンホールの蓋の様な形をした二枚の円形の金属板らしきものが蝶番(ちょうつがい)か何かでカスタネットのようにつなぎ合わせてあるもので、二枚の板の間に小さく丸めたマサを挟みパタンと閉じてギュッと押さえつけると二枚の金属板の間に薄いトルティーヤの生地ができあがっているという仕組みのもののようです(こちらのブログに写真がありました)。

『メキシコのわが家へようこそ』では色々なメキシコ料理のレシピがきれいな写真と一緒に紹介されています。
日本語で書かれたメキシコ料理の書籍が少ない中で、『メキシコのわが家へようこそ』は貴重な本になっています。

            ○

調理した肉や野菜をトルティーヤに挟んでソースを掛けたものがタコスとよばれる料理で、メキシコではタコスを売る店は「タケリア」と呼ばれています。
タコスは古代から食べられてきた料理で、特にトルティーヤにいんげん豆をのせてとうがらしのソースをかけたものはメキシコ・インディアンの大切な伝統食でした。
トルティーヤに使う乾燥とうもろこしの粒を水に浸けるときに石灰が加えられるのは、とうもろこしを粉に挽き易くするのと同時に生地に粘りを出す意味がありましたが、石灰が加わることでトルティーヤにはカルシウムが豊富に含まれるという利点もあります。05phai14
いんげん豆にはタンパク質が豊富で、ソースに使われるとうがらしにはビタミンが多く含まれます。
いんげん豆をトルティーヤで挟んで唐辛子のソースをかけたタコスは伝統から生まれたバランス食品だったのです。

しかもトウモロコシといんげん豆を同じ土地で栽培すると、いんげん豆の根に繁殖する根粒バクテリアが地中に窒素化合物を供給するために、とうもろこしの生育が良くなるという栽培する上での利点もありました。(関連:「豆に頼る細菌と穀物」)

            ○

ところで、トルティーヤを使った料理でナチョスというものがあります。
ナチョスを考案したのはメキシコ人ですが、ナチョスはメキシコの伝統料理ではありません。

アメリカの国境近くのメキシコのピエドラス・ネグラスにあるレストランで働いていたイグナチオ・アナヤ(Ignacio Anaya)という人が、食材が限られた中でアメリカの将校夫人達のために軽食を作ることを命じられ、パリパリに焼いたトルティーヤの上にチーズとトウガラシを載せて出したのが「ナチョス」の始まりだといわれており、ナチョス(Nachos)の名は考案者の名前のイグナチオ(Ignacio)に由来しているようです。
イグナチオ・アナヤは1975年に亡くなっています。

<参考書籍>
黒沼ユリ子( 1996)『メキシコのわが家へようこそ』主婦と生活社
井上勝六(1993)『「薬喰い」と食文化』三嶺書房
大塚滋(1997)『パンと麺と日本人—小麦からの贈りもの』集英社
舟田詠子(1998)『パンの文化史』朝日新聞社
シルヴィア・ジョンソン(1999)『世界を変えた野菜読本—トマト、ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシ』晶文社)
ダナ・R. ガバッチア(2003)『アメリカ食文化—味覚の境界線を越えて 』青土社

<メキシコ関連>

旅の指さし会話帳 (28) メキシコ 旅の指さし会話帳 (28) メキシコ
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世界遺産 メキシコ編 世界遺産 メキシコ編
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メキシコの夢ホテル—ベストセレクション メキシコの夢ホテル—ベストセレクション
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2006/08/10

トマトの語源

トマトの祖先の植物は南アメリカ西部のアンデス山脈周辺が原産地だというのが定説になっています。(関連:「トマトの原産地」)
現在は世界中でトマトが食べられていますが、コロンブスの航海以降にヨーロッパ人が中南米大陸の存在を知るまではアメリカ大陸以外に住む人達はトマトという野菜があることを知りませんでした。

          ○

1519年にスペイン軍がアステカ帝国を侵略したときに、スペイン人がヨーロッパ人としては初めてトマトのことを知り記録に残しています。

1575年になってフランシスコ会のベルナルディーノ・デ・サアグン修道士がアメリカ大陸について書いた著書の中でメキシコで見たトマトについて更に詳しい様子を伝えています。Tomato150

アステカの一種族であるナファ族の女性がアユィ(aji = 赤唐辛子)とペピタス(pepitas = カボチャの種)、香草、そしてトマトゥル(tomatl)を混ぜてソースを作ったとサアグン修道士は書き残しました。
この「トマトゥル」がトマトのことです。
特別な宴会などで出される魚や肉の料理に限ってこのトマトソースは使われたといいます。

          ○

ちなみにトマトゥルには赤いトマトと食用ホウズキの両方の意味がありました。
現在のメキシコでも、緑色のトマトを意味する「トマト・ベルデ (tomate verde)」という言葉が食用ホウズキの名としても用いられ、赤いトマトは「ヒトマテ(jitomate)」と呼ばれています。

          ○

トマトソースも登場するサアグン修道士の本の中では、スペインが滅亡させたアステカ帝国が如何に発達した文明を持っていたかが盛んに強調されていたためにスペイン国王の不評を買い、結局この本はスペインで発禁処分となってしまい、アステカのトマトソースのことがその当時に公にされることはありませんでした。

          ○

トマトの語源は、サアグン修道士が記録したように古代アステカ語でトマトを「トマトゥル (tomatl = 膨らむ果実)」と呼んでいたことに由来しており、世界的にこの野菜を「トマト」と呼んでいます。

16世紀前半にスペイン人がトマトをヨーロッパに持ち帰り、スペインではトマトを「トマテ」と呼ぶようになります。

1544年にイタリア人博物学者のマッティオーリが著した『博物誌』の中で、トマトは「熟すと黄金色になる」と説明されたことから、イタリアではトマトを「ポモ・ドーロ(pomod'oro = 黄金の果実)」と呼ぶようになりました。
現在でもイタリアでのトマトの呼び名はポモドーロです。
イタリアではアラブ人が好んで食べていたナスを「pomi di mori(黒人の果実)」と呼んでいたことから、同じナス科植物のトマトもナスと同じ呼び名になり、後にそれが縮まってポモドーロになったという説もあります。

フランスでトマトは「ポム・ダムール(pomme d'amour = 愛の果実)」と呼びましたが、この呼び名は19世紀になるまで使われていました。

<参考書籍>
シルヴィア・ジョンソン(1999)『世界を変えた野菜読本—トマト、ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシ』晶文社)
内田洋子 (2003)『トマトとイタリア人』文藝春秋
橘みのり(1999)『トマトが野菜になった日—毒草から世界一の野菜へ』草思社

<トマト関連>

トマトの絵本 トマトの絵本
もり としひと ひらの えりこ

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Le Creuset ココット・トマト チェリーレッド 25130-02-06 Le Creuset ココット・トマト チェリーレッド 25130-02-06

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ママゴトファミリー しゃべっておやさい ママゴトファミリー しゃべっておやさい

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2006/07/05

ジャガイモの原産地

ジャガイモの原産地は、南アメリカの太平洋岸沿いにそびえるアンデス山系の中央部にある内陸盆地だといわれています。
ジャガイモ栽培には気温が低い環境のほうが適しているのです。
紀元前600年には既に人によって栽培されていたといわれています。

 
          ○

1492年にコロンブスがアメリカ大陸に到達したとき、先住民はコロンブス達を歓迎し食料を提供しました。
その先住民からの贈り物をコロンブスはリストにして残しており、その中には、トウモロコシやサツマイモ、唐辛子、落花生など、アメリカ大陸原産でヨーロッパ人が見たこともなかった食材が含まれていましたが、同じくアメリカ大陸原産のジャガイモとトマトはコロンブスのリストに入っていません。
これら二つの植物は太平洋側で栽培されていたもので、コロンブス達が到達した大西洋側にはなかったためです。

           ○

コロンブス達がアメリカ大陸に初めて到達してから約半世紀後の1530年代に、スペイン人がペルーを侵略しました。
ペルーに攻め入ったスペイン人が、そこで栽培されていたジャガイモの存在をヨーロッパ人として初めて知ったのです。

これは、アメリカ大陸から世界中にジャガイモが広がる始まりでもありました。

スペイン人達はジャガイモが食用になることは理解しましたが、それが何なのかは分からず首をひねりました。
当初、スペイン人の多くはジャガイモをトリュフの一種だと考えたようです。

<参考書籍>

内田洋子, シルヴィオ・ピエールサンティ(2003)『トマトとイタリア人』文春新書
吉田よし子(1998)『野菜物語―大地のおいしい贈りもの』TOTO出版
シルヴィア・ジョンソン(1999)『世界を変えた野菜読本―トマト、ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシ』晶文社

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2006/07/04

トマトの原産地

トマトの祖先にあたる植物の原産地は南アメリカ西部のアンデス山脈周辺だと考えられています。
この野生種を品種改良し食用としてトマトを栽培し始めたのはメキシコ人だという説があります。
 
          ○

現在、世界中で9種類の野生種トマトが知られています。
その内の8種類はペルーからエクアドルにかけての地域で発見されており、もう一種類はガラパゴス諸島で見つかっています。
これら野生のトマトは有毒で食べることができません。

ペルーで見つかった「ケラシフォルメ」という野生種で有毒のトマトはメキシコでも生育が確認されました。
しかし、メキシコのケラシフォルメは食べることができるのです。

これらのことから、アンデス山脈周辺でトマトの原種が生まれ、メキシコで食用に品種改良されたのではないかと推測されているのです。

<参考書籍>

吉田よし子(1988)『香辛料の民族学―カレーの木とワサビの木』中央公論社
シルヴィア・ジョンソン(1999)『世界を変えた野菜読本―トマト、ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシ』晶文社

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