2006/11/01

パンと戦争

徳川幕府による鎖国政策によってキリスト教が排除され、それに伴ってキリスト教の聖餐式で欠かせないパンを作ることも禁じられたことから、江戸時代を通じてパンは庶民から遠ざけられることになりました。(関連:「パンと火縄銃とキリスト教」)
そんなパン作りが日本で復活したのは幕末から明治に掛けての頃です。

            ○

1840年に清とイギリスの間でアヘン戦争が始まったことで、日本国内で外国脅威論がわき起こり、徳川幕府は外国からの攻撃に備えて国土防衛対策を練る必要に迫られました。
戦時の兵士の食事については、飯を炊けば煙が出て敵方に味方の位置を知られてしまうことが問題視されていました。
そこで兵の携行食として考えられたのがパンでした。
パンを食べるのに煮炊きの必要はなく、軽量で行軍時の携帯に向くことから、軍用糧食としてパンが採用されたのです。

            ○

兵糧食としてのパンの開発に従事した一人に伊豆韮山代官の江川太郎左衛門というひとがいました。
江川も鹿狩りのときにパンを食べた経験があり、糧食としてのパンに注目していたことから、長崎で外国人からパンの作り方を学んだ者を呼び寄せて手ほどきを受け、江川はパンを試作することにしたのです。
そして1842年4月12日に国産のパン焼き窯が誕生し、長らく途絶えていた日本での日本人によるパン作りが再開されました。
江川がパンを試作した日にちなんで、今でも毎月12日は「パンの日」とされています。

            ○

1860年には外国人居留地があった横浜の異人館近くで、野田兵吾というひとが日本人としては最初のパン屋を開業しています。
しかし、野田兵吾が販売していたパンは粉を捏ねて焼いただけの、いわゆる無発酵パンだったらしいといわれています。

勿論、野田兵吾がパンを作った時代にパン種がなかったわけではありません。
江戸時代にはパンを作るためのパン種として甘酒が使われた記録が残されており、1854年に日米和親条約が締結され開国された後は、ホップ種が日本に入ってくるようになっていました。

            ○

明治元年になると横浜の外国人居留地で、外国人経営のパン屋が開業されています。
ところで、この当時の日本で販売されていたパンはフランスパンが主でした。
徳川幕府がフランス人技師達を招いて製鉄所などの建設を試みていた頃から、日本で作られたパンはフランスパンが主流となったのです。
しかし明治維新後は薩摩藩と親密な関係にあったイギリスからの派遣技師が増えたことから、中力粉に近い粘りの出にくい小麦粉を使うフランスパンではなく、強力粉系の小麦粉を使って上部が山形になり柔らかく焼き上がるイギリス式の食パンが多く作られるようになりました。
時代は下って第二次大戦後になると、量産に向くフタ付きの型で焼かれるアメリカ式の四角いパンが主に作られるようになり、日本人はこれを食パンと呼ぶようになります。
その時代の外国勢力の日本での影響力の強さが日本でのパン作りにも反映されたのです。

            ○

横浜で外国人によるパン屋が開業した明治元年には戊辰戦争が起きており、東北遠征用として、長期保存可能な黒ごま入り堅パン5000人分を薩摩藩が江戸の凮月堂に注文したという記録が残されています。
この戊辰戦争で用いられたパンには将来予想された外国との戦争時のシュミレーション的な意味もあったと考えられています。

            ○

その後、明治10(1877)年に士族と明治政府軍が戦った西南の役でも、政府軍はパンの注文を木村屋とつたもとパン、三河屋パンの3店に出しており、このときに発注されたパンは全部で23万7063斤にもなりました。
雨中の決戦となった田原坂の戦いで政府軍が勝利した一つの要因は、政府軍兵士が煮炊きの必要のないパンを携帯していたためだったともいわれています。

            ○

このように、鎖国のために日本でのパン作りが事実上禁止された江戸時代から、徳川幕府の力が弱まった幕末にパン作りは再開され、明治になると本格的にパン作りが行われるようになりました。
しかし、この時代のパン作りはパンを食べたいという庶民のニーズを満たすということよりも、明治維新という争乱時代の軍用糧食としての面が強く、パンが民間に広まっていくのは政情が安定し洋食が普及するもう少し後の時代になってからのことだったのです。

<参考書籍>

大塚滋(1997)『パンと麺と日本人—小麦からの贈りもの』集英社
大山真人 (2001)『銀座木村屋あんパン物語』平凡社
岡田哲(2000)『とんかつの誕生—明治洋食事始め』講談社

<パン関連>

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2006/10/31

パンと火縄銃とキリスト教

1543年、海難事故に遭ったポルトガル人が種子島に漂着し、このポルトガル人は領主の種子島時尭(たねがしまときたか)によって手厚くもてなされました。
その歓待のお礼としてポルトガル人は二丁の火縄銃と火薬を種子島時尭に贈呈しています。
この火縄銃の伝来は日本史の中の重要な出来事としてしばしば語られますが、このとき日本に初めてもたらされたのは銃だけではありませんでした。
種子島に漂着したポルトガル人が持っていたライ麦パンが、日本人が初めて見たパンだったといわれているのです。

            ○

ポルトガル人によって初めて伝えられたことから、ポルトガル語の「pão(パン)」という呼称が日本語でもそのまま使われることになりました。
このポルトガル語の「pão」の語源はラテン語の「panis(パニス)」だと考えられています。

明治時代以前の日本では、「パン」と書き表すために「麺包」「波牟」「麦餅」「蒸餅」「麦蒸餅」「麦麺」「麺頭」など様々な漢字が宛てられており、明治になってからは「麵麭」と書き表された場合が多かったようです。
そして、カタカナで「パン」と書くようになったのは明治時代も末になってからのことでした。

            ○

1543年のポルトガル人の種子島漂着事件以降、1549年にやって来たフランシスコ・ザビエルをはじめ、多数の宣教師がキリスト教布教のために来日し、キリスト教の広まりにともなってパンも庶民に知られていくことになりました。
これは、信者が極少量のワインと一緒にパンの小片を口にする聖餐式があり、キリスト教にパンは欠かせないものだからです。
日本の文献にパンが初めて出てくるのは1593年に著されたイソップ物語の和訳である『天草似曽保物語』という本ですが、これもキリスト教布教のために作られています。
キリスト教の民間への布教活動が活発になるにつれ、多くの日本人がパンの存在を認識するようになったのです。

            ○

しかし、江戸時代になるとパン作りは事実上禁止されてしまいます。
徳川幕府により鎖国令が出され、キリスト教が排斥されたためです。
この背景には、キリスト教による民衆の団結を徳川幕府が警戒していたということがあり、幕府にとっての厄介ごとを作り出す恐れがあるキリスト教を排除するにはキリスト教の儀式で使われるパンも禁じる必要があったのだといわれています。
このパン作り禁止の影響で農民は饅頭を食べることすら禁じられてしまいましたが、これは隠れキリシタンが聖餐式でパンの代用品として饅頭を用いたためだともいわれています。

            ○

徳川幕府によるパン作り禁止令によって、江戸時代を通じて一般の庶民がパンを食べることは殆どありませんでした。
1712年に出版された江戸時代の辞書ともいえる『和漢三才図会』ではパンに「波牟」の字を宛て、「饅頭の餡(あん)無きもの」と説明されています。
パンを知らない人達への説明として、13〜14世紀頃に中国から日本に伝わり一般庶民に普及していた蒸し饅頭を引き合いに出しているのです。

鎖国中も長崎の出島ではオランダ人向けなどにパンが作られていましたが、表向きは日本でのパン作りは一旦途絶えることになりました。
日本でのパン作りが再開されたのは幕末になってからのことなのです。

<参考書籍>

大塚滋(1997)『パンと麺と日本人—小麦からの贈りもの』集英社
大山真人 (2001)『銀座木村屋あんパン物語』平凡社
岡田哲(2000)『とんかつの誕生—明治洋食事始め』講談社

<パン関連>

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2006/09/14

パンとイースト菌と発酵

今から1万年前に、現在のイラクがある地域で栄えたメソポタミアで小麦栽培が始められました。
小麦は粉に挽いてお湯に溶かされて粥のようにして食べられていましたが、そのうちにこの粥状のものが焼かれるようになり、ピタやチャパティのような平焼きの無発酵パンが作られるようになったと考えられています。
その後時代が進むにつれ、無発酵パンよりも食べやすく味や香りが良い発酵パンが食べられるようになったのです(関連:「古代のパン」「ピタはなぜ薄いパンなのか」)。

            ○

周辺国から「パンを食べるひと」と呼ばれた古代エジプト人達はビールを造ったときに出る搾り粕の酵母でパンをつくりました。

古代ローマでは発酵させた白ブドウの汁とフスマ(麦の糠)を混ぜて天日で乾燥させたものをパン種にしており、これは原始的なドライイーストといえます。

アジアで見れば、インド人は小麦粉を水で練ったものを発酵させて焼いたナンをつくり、エチオピア人はテフという穀物の粉でつくる薄いクレープ状に焼いた発酵パンのインジェラをつくりました。

中国には発酵させた蒸しパンの「饅頭(マントウ)」があります。
1400年以上前に書かれた「斉民要術」には「食経の餅酵(しらかす)を作る法」という記述があり、これはパン種の作り方の手順を記したもので、「餅酵」とは酵母を意味しているのです。

            ○

このように人間は紀元前の古代エジプトの時代から発酵パンを作ってきており、その種類も豊富です。
しかしそれらのパンは勘や経験でつくられたもので、何がパンを膨らませているのか、どうしてパンから良い香りがするのかについてはパンをつくっていた人達にもその理由は分からず、17世紀になるまではその手掛かりすら発見されることはありませんでした。

            ○

1680年になって、オランダ人医師のレーヴェン・フックが自分で作った顕微鏡でイースト菌(酵母菌)を見ることに初めて成功しています。
しかしこの顕微鏡で見える微小な生き物が何なのかはフックにも分からず、微生物が生まれる仕組みなどについてはフックの発見から約200年も後にならなければ解明されませんでした。

            ○

1825年にドイツで人工的にイーストを作ることが試みられています。
これは現在の生イーストの元祖とも考えられる「圧搾酵母」とよばれるもので、溶液でイースト菌を培養した後に、その溶液に圧力をかけて液を絞り出し、残ったものを固形化してつくられました。

            ○

1861年になって、ルイ・パスツール(Louis Pasteur)が微生物は自然に湧くのではなく親にあたる微生物から生まれるという説を唱えました。
また、パスツールは乳酸発酵や酪酸発酵、酢酸発酵、アルコール発酵についての実験を行い、発酵がすすむにつれ微生物は増えるという事実を示し、微生物が増殖する過程で発酵が起こされるのだということを発表しています。

            ○

パスツールによって発酵と微生物の関係が解明された後、パン酵母の研究開発は加速度的に進められました。
1880年代にはイースト生産の研究がヨーロッパの各国で行われています。
第二次大戦のころになりアメリカで軍用のドライイーストが開発され、大量のパンを安定的に供給することを可能にするイースト菌の生産がようやく実現されています。

            ○

生イーストやドライイーストが創られる以前にパン作りに使われていたのはサワー種というパン種でした。
これは粉と水を練ったもので空気中に存在する自然の菌を増殖させたものです。
イースト菌は短時間で確実に生地を発酵をさせることができ、取扱が簡単で酸味がないという点でこの自然の菌を増殖してつくるサワー種より優れていました。

            ○

「イースト」の語源はギリシャ語の「沸騰する」という言葉に由来しています。
パンを意味する英語の「ブレッド」やドイツ語の「ブロート」などの言葉も、もともとは「ぶくぶく泡だつ」という意味をもつ言葉が語源になっています。

            ○

発酵パンの中には細かい気泡があってふっくらと柔らかく膨らみ、良い香りも含んでいます。
これらはイースト菌の作用によって起こる発酵が進む過程でつくられるものです。

小麦粉は、ベトベトと粘る性質のグリアジンという成分とゴムのように伸びる性質を持つグルテニンという成分を含んでいます。
グリアジンとグルテニンを混ぜ合わせたものに水を加えて強く捏ねると弾力をもつグルテンになります。
グルテンを含むパン生地にイースト菌(酵母菌)を加えると、イースト菌の働きで発酵が始まります。
言い換えると、イースト菌が小麦粉に含まれる糖を分解することで炭酸ガスとアルコールが生じるのです。
弾力と粘りがあるグルテンは炭酸ガスによってチューイングガムのように膨らみ、これによってパン内部にはいくつもの気泡が作られます。
炭酸ガスが生じるときに一緒につくられるアルコールはパンの香りの素となります。
パンを作るときには塩や砂糖が加えられますが、これらは発酵を促すと同時にグルテンの弾力を増して香りや味を加える役割を果たし、保存性を高める働きもしています。

            ○

古代エジプト時代には労働者に支払う給料がパンで支払われたといいます。
ローマ帝国時代にも「パンとサーカス」という言葉があったように、市民を統制する道具としてパンが使われていた面があったようです。
もし、これらの時代に生イーストやドライイーストがあって誰でも簡単に手軽にパンを作ることができたのなら、為政者達はパンを使って庶民をコントロールすることはできなかったかもしれませんね。

<参考書籍>
岡田哲(2000)『とんかつの誕生—明治洋食事始め
大塚滋(1997)『パンと麺と日本人—小麦からの贈りもの』集英社
舟田詠子(1998)『パンの文化史』朝日新聞社
柳田友道(1991)『うま味の誕生—発酵食品物語』岩波書店
張競(1997)『中華料理の文化史
小泉武夫(2003)『くさいはうまい

<パン関連>

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2006/08/29

トルティーヤとタコスとメキシコ人

中南米で有名な平焼きパンにメキシコの「トルティーヤ」があります。
メキシコの風土の中で生まれたトルティーヤとトルティーヤを使うタコスは、メキシコの地で昔から食べ続けられてきた伝統料理です。

            ○

トルティーヤの名はスペイン語で「小さなパン」を意味する言葉が語源になったという説があります。
スペインに「トルティージャ」という丸く薄いオムレツ料理があり、これにメキシコの薄いパンが似ていたことからトルティーヤの名がついたという説もあるようです。

            ○

昔のメキシコでトルティーヤの原料となるとうもろこし粉をつくるときには、05ilaj05_1 乾燥させたとうもろこしの粒を石灰水に一晩浸けて柔らかくして、サドルカーンで挽きつぶしていました。サドルカーンとは厚い石の皿と棒状のすり石からなる石臼の一種で、穀物などの材料を石皿の上に置き、すり石を石皿にグイグイと押し付けるようにして穀物を擂って粉に挽く古代につくられた道具です。

挽いた粉は水で捏ねられ、これを両手で弾くように叩き付けながら薄くのばすか、台の上で生地をまわしながら手のひらでグイグイ押しながら薄い生地にして石板や鉄板の上で強火で焼かれました。

メキシコの気候がイースト菌を繁殖させるのには適さなかったという事情もあったのでしょうが、主食となるとうもろこしの粉では粘り気が出し難いということもトルティーヤのような平焼きパンがつくられた理由となっていると考えられます。(関連:「ピタはなぜ薄いパンなのか」)

            ○

とうもろこし粉に水を加えて捏ねたトルティーヤのパン種は「マサ」というスペイン語名で呼ばれています。
バイオリニストの黒沼ユリ子氏が書かれた『メキシコのわが家へようこそ』という本には、現在のメキシコの家庭でどのようにトルティーヤが作られているかが説明されています。
その中で、メキシコではインスタントのマサも売られているとあります。
また、マサを平たく延ばすのには専用の小型プレス機が家庭で使われているようです。
プレス機と言っても、手のひらよりもちょっと大きいマンホールの蓋の様な形をした二枚の円形の金属板らしきものが蝶番(ちょうつがい)か何かでカスタネットのようにつなぎ合わせてあるもので、二枚の板の間に小さく丸めたマサを挟みパタンと閉じてギュッと押さえつけると二枚の金属板の間に薄いトルティーヤの生地ができあがっているという仕組みのもののようです(こちらのブログに写真がありました)。

『メキシコのわが家へようこそ』では色々なメキシコ料理のレシピがきれいな写真と一緒に紹介されています。
日本語で書かれたメキシコ料理の書籍が少ない中で、『メキシコのわが家へようこそ』は貴重な本になっています。

            ○

調理した肉や野菜をトルティーヤに挟んでソースを掛けたものがタコスとよばれる料理で、メキシコではタコスを売る店は「タケリア」と呼ばれています。
タコスは古代から食べられてきた料理で、特にトルティーヤにいんげん豆をのせてとうがらしのソースをかけたものはメキシコ・インディアンの大切な伝統食でした。
トルティーヤに使う乾燥とうもろこしの粒を水に浸けるときに石灰が加えられるのは、とうもろこしを粉に挽き易くするのと同時に生地に粘りを出す意味がありましたが、石灰が加わることでトルティーヤにはカルシウムが豊富に含まれるという利点もあります。05phai14
いんげん豆にはタンパク質が豊富で、ソースに使われるとうがらしにはビタミンが多く含まれます。
いんげん豆をトルティーヤで挟んで唐辛子のソースをかけたタコスは伝統から生まれたバランス食品だったのです。

しかもトウモロコシといんげん豆を同じ土地で栽培すると、いんげん豆の根に繁殖する根粒バクテリアが地中に窒素化合物を供給するために、とうもろこしの生育が良くなるという栽培する上での利点もありました。(関連:「豆に頼る細菌と穀物」)

            ○

ところで、トルティーヤを使った料理でナチョスというものがあります。
ナチョスを考案したのはメキシコ人ですが、ナチョスはメキシコの伝統料理ではありません。

アメリカの国境近くのメキシコのピエドラス・ネグラスにあるレストランで働いていたイグナチオ・アナヤ(Ignacio Anaya)という人が、食材が限られた中でアメリカの将校夫人達のために軽食を作ることを命じられ、パリパリに焼いたトルティーヤの上にチーズとトウガラシを載せて出したのが「ナチョス」の始まりだといわれており、ナチョス(Nachos)の名は考案者の名前のイグナチオ(Ignacio)に由来しているようです。
イグナチオ・アナヤは1975年に亡くなっています。

<参考書籍>
黒沼ユリ子( 1996)『メキシコのわが家へようこそ』主婦と生活社
井上勝六(1993)『「薬喰い」と食文化』三嶺書房
大塚滋(1997)『パンと麺と日本人—小麦からの贈りもの』集英社
舟田詠子(1998)『パンの文化史』朝日新聞社
シルヴィア・ジョンソン(1999)『世界を変えた野菜読本—トマト、ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシ』晶文社)
ダナ・R. ガバッチア(2003)『アメリカ食文化—味覚の境界線を越えて 』青土社

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2006/08/14

ピタはなぜ薄いパンなのか

最近、「ピタ」というパンを使った商品をファーストフード店が期間限定で売り出していますね。
このピタはパンの原型ともいわれ、中近東やバルカン半島などで食べられているパンです。
古代の昔からパンを作ってきたエジプト(関連:「古代のパン」)でも食べられており、エジプトではピタのことを「アイシ」と呼んでいます。
「アイシ・バラディ」という「我々の命」という意味の言葉が縮まって「アイシ」という名になりました。
トルコにはピデと呼ばれる少し厚めのお焼き風のパンがありますが、これはピタが語源だといわれ、イタリアのピッツァの呼び名もピタに由来するといわれています。

          ○

ピタの特徴は平たい形と中が空洞になっていることにあります。
平たいパンは「平焼きパン」として分類され、ふっくらと焼き上げたパンと区別されますが、ピタはこの平焼きパンにあたります。
また、ピタには生地を発酵させてから焼いたものと、発酵させないで焼いたものがあります。
どちらのタイプも平たいパンですが、無発酵タイプのピタの方がより薄いパンに仕上げられます。

          ○

ピタの作り方は、小麦粉を水で溶いて薄い生地をつくり、これを短時間に高温で焼いて生地をプクッと膨らませます。
膨らんだところはまるで自動車のエアバッグが開いたような感じになります。
ピタの詳しいレシピについては『ニューヨークスタイルの人気のパン』のピタの項や、『パンの基本大図鑑』のアイシの項などが参考になります。

          ○

膨れたピタを半分に切ると中は空洞になっているので、ここに煮込み料理や豆のペーストなどのおかずがつめられてサンドイッチのようにして食べられます。
平焼きパンは焼いている間に水分がとんでしまいパン表面にあく穴が細かくなり、煮込み料理などを載せたり挟んだりしても直ぐに水分を吸い込んでグチャグチャと柔らかくなるようなことはありません。
ふっくらとした食パンがスポンジのように水分を吸ってしまうのとは対照的です。

          ○

ピタなどの平焼きパンを食べる地域にはいくつかの共通する特徴があります。
まず材料ですが、タンパク質の含まれる量が少ない小麦粉を使ったり、小麦粉以外の穀物をつかってパンをつくる地域では無発酵パンが作られる場合が多く、無発酵のパンは焼き上がっても気泡ができず固くなってしまうので、どうしても薄い平焼きパンを作ることになります。
トウモロコシ粉でつくるメキシコのトルティーヤや小麦全粒粉(小麦を殻ごと粉にしたもの)でつくるインドのチャパティなどがこの例です。

          ○

パンを焼く燃料に乏しい地域では平焼きパンをつくる場合が多いということもあります。Pita250_3 ピタが食べられる中近東などの地域には、ピタを作ったりするためのサージとよばれる中華鍋を裏返したような鉄製の調理器具があります。地面に石を置き空間をつくり、そこに木材などの燃料を入れ、それらの上に凸面が上になるようにサージが置かれます。傘のように覆いかぶさるサージによって熱が外に逃げ難くなっており、しかもサージ全体に熱が均等にまわるようになっています。

サージは移動時に便利でこのサージ一つを背中に担いで移動することができます。 パンを焼くだけでなく凹面を上にして鍋として使うこともでき、まるで優れもののアウトドア用品のようなものです。

          ○

燃料が少ない地域で平焼きパンを作るのとは反対に、ヨーロッパなどの森林地帯では燃料を手に入れるのは容易なため、薪をふんだんに使って焼くタイプのパンが発達しました。

その地域で穫られる穀物の種類や手に入る燃料の量によってパンを焼く方法や道具に特色が生まれました。
地域によってパンの焼き方や道具が異なったことで、世界の各地で形や厚さの違う多種多様なパンが作られることになったのです。

<参考書籍>

舟田詠子(1998)『パンの文化史』朝日新聞社
鈴木薫(2003)『世界の食文化 (9) トルコ』農山漁村文化協会
大阪あべの辻製パン技術専門カレッジ (2003)『パンの基本大図鑑—パン・マルシェ』講談社

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2006/07/06

古代のパン

紀元前7000〜6000年頃には、メソポタミア地方バビロニアで無発酵パンが作られていたと考えられています。
エンマ小麦という古代の麦や大麦を粉にして水で溶き、石の上で平焼きにして作られていました。

          ○

ある時、発酵を促す菌が無発酵パンの原料に偶然混入し、最初の発酵パンが作られてしまったと考えられています。

その発酵パン作りの技術を発展させたのは古代エジプト人で、エジプト人は他国から「パンを食べるひと」と呼ばれたりもしました。

          ○

エジプトでパンを作るのは女性の役割でした。
英語の「lady(女性)」の語源はチュートン語で「粉を捏ねる人」という意味の言葉に由来しています。
「lord(領主)」はチュートン語の「パンを守る人」という言葉が語源です。

          ○

パンを食べる文化がどのように発達したかを示す痕跡がスイスのトゥワン遺跡で発見されています。
トゥワン遺跡は、時代が異なる三つの層が重なるようにして埋まっていました。

一番下の紀元前3830〜3760年の層からはパンは出土せず、スープや粥しか発見されませんでした。
ただし、この層からは壺の中で発酵させた粥の跡が見つかっています。

紀元前3700〜3600年の中層からは発酵パンの断片が出土しています。
この層からは、灰の中で焼かれたパンと窯で焼かれたパンが発見されています。

一番新しい紀元前3600〜3500年の上層部からは、窯で焼かれたパンのみが発掘されており、このパンは他の遺跡で発見された紀元前1000年頃に作られたパンと同程度のレベルに仕上げられており、紀元前3000年代には既にある程度のパン焼の技術が確立されていたことが分かっています。

          ○

古代エジプトでは、麦芽を原料とした発酵パンをビール醸造の原料として使っていました。
このビール作り用の発酵パンを新しいパン種に混ぜてパンをつくると、パンのできがよくなることをエジプト人は発見し、パン工場とビール工場は次第に隣接して建設されるようになりました。

その後、古代エジプト人はビール製造の過程で出るビールの搾り粕をパン作りのパン種に使う方法も考案しており、この方法は現在の「酵母接種技術」とよばれている方法です。

<参考書籍>

柳田友道(1991)『うま味の誕生―発酵食品物語』岩波書店
大塚滋(1997)『パンと麺と日本人―小麦からの贈りもの』集英社
舟田詠子(1998)『パンの文化史』朝日新聞社)
一島英治(2002)『発酵食品への招待―食文明から新展開まで』裳華房

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