トマトとヨーロッパ
ヨーロッパにトマトが伝わった当初、ヨーロッパの植物学者達はトマトをマンドラゴラという植物の一種だとみなし、トマトは食用にならないと考えました。
マンドラゴラはアルカロイドという幻覚を引き起こす物質を含んでおり、黒魔術や妊娠促進薬としても使用されていた植物です。
マンドラゴラは黄金色の実をつけ、根は人間のような形をしているためか、マンドラゴラの根を引き抜くと悲鳴が発せられ、その悲鳴を聞いた者は死んでしまうという言い伝えすらありました。
トマトはマンドラゴラと同じナス科植物でマンドラゴラと形が似ていたため、トマトも有毒植物と見なされたのです。
教会などがトマト栽培を禁じたため、トマトは反体制のシンボルのような存在にもなりました。
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ヨーロッパの文献でトマトが最初に出てくるのは、1544年にアンドレア・マティオーリが著した『博物誌』だと今のところは言われています。
『博物誌』の中でマティオーリもトマトは扁平球(マンドラゴラ)の異種だとした上で、観察の結果トマトは食べることができると結論づけており、薄切りにしたトマトをバターかオリーブオイルで炒めて塩をふる食べ方を提案しています。
この『博物誌』でトマトは熟すと黄金色になると書かれたたことから、イタリアではトマトを「ポモドーロ(pomodoro)」(黄金のリンゴ)とよぶようになったという説もあります。(関連:「トマトの語源」)
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イタリアでトマトが最初に栽培されたのはナポリでした。
16世紀のナポリはスペインに支配されており、スペインがアメリカ大陸からヨーロッパに持ち帰ったものがイタリアに持ち込まれる時はまずナポリに集められていたため、トマトもナポリで栽培が始まったと考えられています。
イタリアでは裕福層の鑑賞用としてトマト栽培が始められましたが、後にナポリの宮廷庭師が観賞植物だったトマトの苗を自分の家に持ち帰り食用にしたといわれています。
観賞用トマトはもちろん食べて死ぬようなものではありませんでしたが、皮が固く酸味が強いため、あまりおいしいものではなかったようです。
トマトを食べた人達により品種改良が行われるようになり、2世紀後には野生種のものに比べ10倍も大きく味も良いトマトが作られることになります。
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フランスでは、スペイン出身でナポレオン三世(1808〜1873)の妃だったウジェニーがある公式晩餐会で料理人に命じてトマト料理を出させたのを境に、トマトは食用だという認識がフランスで浸透したという逸話があるようです。
しかし、1760年にフランスで発刊された植物年鑑のヴィルモラン誌には、観賞植物としてですが既にトマトが紹介されており、1778年版のヴィルモラン誌には食用野菜としてトマトが載せられています。
トマトが普及した当初フランスでは地中海沿岸の南フランスで主に栽培され、南フランス人の中にはトマトで稼いだトマト長者もいたと言われています。
1789年のフランス革命で南フランス人がパリに流入したのを期にフランス全土にトマトが普及したとも言われています。
(これが本当ならばウジェニーが晩餐会にトマト料理を出す以前にフランスでトマトは普及していたことになります)
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19世紀になってトマトの品種改良が本格的に始められました。
トマトがイギリスに伝えられてから、イギリスの気候に合うように低温や日照時間が短い環境で栽培可能な品種が開発されていきます。
イギリスでの最古のトマトの記録は、1751年に植物学者のジョン・ヒルが記したもので、トマトを煮込んだ物やトマトのサラダがイギリスのユダヤ人社会で食べられていると書かれています。
17世紀にはカリブ海諸国でトマトは食用にされていたと考えられており、カリブ海やアメリカとの貿易に携わっていたユダヤ系イギリス人がカリブ海諸島で知ったトマトを本国で広めたという説もあります。
<参考書籍>
シルヴィア・ジョンソン(1999)『世界を変えた野菜読本—トマト、ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシ』晶文社
橘みのり(1999)『トマトが野菜になった日—毒草から世界一の野菜へ』草思社
大場秀章(2004)『サラダ野菜の植物史 新潮選書』新潮社
内田洋子, シルヴィオ・ピエールサンティ(2003)『トマトとイタリア人』文春新書
<トマト関連>
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乾燥させたサフランの雌しべを水に浸すと赤色から黄色に変化します。
様々なコピー商品が出回るほどサフランはヨーロッパで人気を得たわけですが、サフランはヨーロッパだけで使われたわけではありません。
第一に、当時のヨーロッパの人達の既成概念では植物は種から繁殖するものであり、根茎によって繁殖するジャガイモは気味悪がられたということがあります。第二に、ジャガイモの形はゴツゴツとして腫瘍を連想させることから、食べれば病気の原因になると考えられ、一部ではジャガイモに催淫効果すらあると信じられたりもしたことが理由に挙げられます。そして最後に、ジャガイモに限らず「新大陸」から伝わった新しい植物について、聖書には食べて良いとも悪いとも当然記述されておらず、ヨーロッパの多くの人はジャガイモを口にすることに抵抗感を覚えたのです。
また、マルコ・ポーロがヨーロッパに帰国する100年も前に、シチリア島から30キロ離れたトレビアで製造されていた粉食製品について、アラブの地理学者が書き残しています。
15世紀の初めになるとパスタはナポリでも流行しました。