2006/11/16

キムチいろいろ

韓国の一般家庭の食事では常に2〜3種類のキムチが食卓に並べられるのが普通のようです。
「ペーチュキムチ」「ムルキムチ」「カクトゥギ」の3種類のキムチを出すのがいわば基本形で、おかずを多くつくる家ほど常備しているキムチの種類は多いといいます。

            ○

基本キムチ3種の中で日本で一番浸透したのは白菜を漬ける「ペーチュキムチ」でしょう。(関連:「キムチと唐辛子と白菜」)
しかし、日本で売られている七割以上の白菜キムチは「浅漬け白菜キムチ」であり、韓国ではこの浅漬けキムチを「コッチョリキムチ」と呼んで十分に発酵させたキムチとは区別しています。
「コッチョリ」の「コッ」は「表だけ」、「チョリ」には「漬ける」という意味があり、つまりは短い時間漬けて作られる浅漬けを指している言葉なのです。
コッチョリキムチは暖かい季節に和え物のようにして作られ、夏場にはきゅうりなどが使われたりします。

            ○

「ムルキムチ」はもともと「ナバッキムチ」と呼ばれていましたが、日本への輸出用ナバッキムチに「水キムチ」の名が付けられたことから、しばらくして韓国でもナバッキムチが水キムチを意味する「ムルキムチ」という名で呼ばれるようになりました。
薄塩で漬け込まれるためムルキムチは色よく漬け上がり見た目がきれいなことから、李朝の宮廷料理でしばしばつくられたキムチです。
乳酸により発酵して酸味を帯びた漬け汁に薬味が加えられたものが飲まれたり、この漬け汁と牛肉からとれたスープを合わせたものが冷麺のスープに用いられたりもします。

ムルキムチは江戸時代の日本でも作られたことが当時の文献から分かっています。
江戸時代の日本ではムルキムチを「キミすい」と呼んでおり、1711年に朝鮮から来日した使者のために日本側の接待役がキミすいを用意したという記録が残されているのです。

            ○

日本では「カクテキ」とも呼ばれる「カクトゥギ」は大根だけで漬けたキムチです。
カクトゥギを作る際には材料の大根をサイコロ状に切りますが、大根を切るときに出る音が「ガックトック」と鳴る感じがすることが名前の由来になったといわれます。

            ○

韓国には数十種類のキムチがあるといわれています。
多様なキムチがつくられるようになった理由の一つに地域による寒暖の差があります。
冬期が長い朝鮮半島北部の平安道では、発酵させた米のとぎ汁に丸ごとの大根などを漬けて作るムルキムチの一種のトンチミ(冬漬)や白キムチを意味するペッキムチなど、塩気を抑えたキムチが好まれ、塩辛を入れたキムチはあまり作られません。
気温が低い地域では保存性を高めるために入れる塩の量を抑えることができ、素材の旨味や漬け上がりの色を重視した塩をあまり使わないキムチが多く作られたのだと考えられます。

平安道よりも北に位置する咸鏡道ではカレイや明太(ミョンテ)の名で呼ばれるスケソウダラなどの魚類を漬け込んだものが作られたり、開城(ケソン)には「ポサムキムチ」というキムチなどもあります。
「ポサムキムチ」の「ポ」とは「風呂敷」のことで、「サム」には「包む」という意味があり、ポサムキムチとは具材を白菜で包んで漬け込んだキムチのことです。

            ○

朝鮮半島南部では腐敗を防ぐためにとうがらしやにんにくが多用され、少し塩辛い味のキムチが作られるのが特徴です。
韓国でも北の寒い地域である江原道などでは強い塩味のキムチは好まれず、唐辛子もあまり使われませんが、暖かい地域の全羅道や慶尚道などではキムチにとうがらしや塩が多く用いられ、アミやヒシコイワシ、グチの塩辛などを入れた濃厚な味のキムチが好まれる傾向があります。

            ○

とうがらしやにんにく、果物、塩辛などと一緒に具材を漬け込むと複雑な味わいのキムチを作ることができます。
日本人が1ヶ月に食べる塩辛の量は平均200グラム程度ですが、韓国ではキムチを漬けるときに塩辛やその汁を入れるため、平均して大人1人が1ヶ月に約1キロの塩辛を食べるといわれています。
塩辛を使う場合、腐敗防止のために通常はとうがらしも一緒に漬けられますが、それでも塩辛入りのキムチは塩辛を入れないものよりも保存性が低く、漬けてから3ヶ月も経つと味が落ちてしまうため、11月末に漬けた塩辛入りキムチは2月の旧正月より前には食べきってしまうのが普通です。

            ○

「韓国のハワイ」の別名を持ち暖かい地域が多い済州島ではあまりキムチが食べられてきませんでした。
野菜に付いている乳酸菌が促す発酵でキムチはつくられますが、乳酸発酵が進みすぎると酸っぱいキムチができてしまいます。
済州島は周りが海で囲まれ新鮮な魚介が豊富に獲れることから、発酵食品をつくって食物を長期保存する必要がなかったという事情もありましたが、気温の高い済州島では緩やかに乳酸発酵を行うことが難しかったこともこの島でキムチ作りが盛んにならなかった理由ではないかと考えられています。

            ○

ところで、韓国では11月末に一斉にキムチを漬け始める「キムジャン」という習慣があります。
昔はキムジャンの季節が到来すると、腰の高さほどもある大きな袋に詰められたキムチ漬け用のとうがらしやにんにくなどが路上で販売され、それらが何袋といった単位で家庭で用いるために買われていました。
貴重な塩を節約するために、キムチの下漬けで必要となる塩水は近所で使い回され、そのために隣近所でキムチを漬ける日を少しづつずらすように調整することもあったといいます。

本格的な冬の到来前に大量のキムチ漬けが作られるキムジャンの習慣ができたのは、昔は露地栽培の野菜しかなく、春野菜が出荷される直前の3月頃までキムチを食べて野菜不足を補う必要があったからです。
最近の韓国では冬期でもハウス栽培の野菜が流通するようになり、多量のキムチを漬けることができないマンションが増えた住宅事情もあって、キムジャンにキムチを漬ける人は減り、市販品の消費が増えているようです。

韓国では、キムチ漬けの材料を買うための費用として「キムジャンボーナス」が支給されていましたが、キムジャンの習慣が都市部で廃れていく現在、キムジャンボーナスという名目の賞与も次第になくなりつつあるようです。

<参考書籍>

黄慧性(2005)『韓国の食』平凡社
周 達生 (1994)『中国食探検—食の文化人類学—食の文化人類学』平凡社
朝倉敏夫(2005)『世界の食文化〈1〉韓国』農山漁村文化協会
鄭大声(2001)『焼肉は好きですか?』新潮社
鄭大声(2004)『焼肉・キムチと日本人』PHP研究所
NHK取材班(1990)『人間は何を食べてきたか カレー、醤油』日本放送出版協会
スー シェパード(2001)『保存食品開発物語』文藝春秋
小泉武夫 (2000)『漬け物大全—美味・珍味・怪味を食べ歩く』平凡社

<キムチ関連>

今日も、明日も、キムチ。 今日も、明日も、キムチ。
ジョン キョンファ


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2006/11/09

キムチと唐辛子と白菜

韓国語の「キムチ」という言葉は漬物の総称として使われています。
日本では「キムチ」といいますが、韓国語での発音は「キチ」という読みに近いようです。
このキチ(キムチ)の語源は「野菜を沈めて漬ける」という意味をもつ「沈菜(テチェ)」という言葉だといわれています。

            ○

キムチ誕生の様子を伝える話しが韓国には残されています。
ある貧しい農家の男が、萎びた白菜を少しでもピンとした状態に戻そうとして海水に浸けてみました。
すると白菜は海水を吸って量が増えたように見えたのです。
そこで白菜の量を更に増やすため、この男は白菜をしばらくそのまま放置しておきました。
暫くしてまた見てみると、白菜の量は増えるどころか最初の半量にまで減ってしまっていました。
がっかりしつつも仕方なく男がこの縮んだ白菜を食べてみたところ、白菜は予想外に美味しくなっていたことを発見したのです。
その後、白菜を海水に漬けるこの方法は瞬く間に世間に広まり、キムチと呼ばれる漬物になったという言い伝えです。

            ○

おそらくこのキムチ誕生物語は作り話しなのでしょうが、食材を保存するためにかなり昔から人間は塩や塩水を利用してきました。
古代エジプトのレリーフなどにも塩漬け作業の様子が描かれていますし、約3000年前の中国の文献の『詩経』には漬物らしきものについての記述があり、6世紀頃の中国の文献には塩漬けキャベツのことが書き残されているのです。(関連:「ザウアークラウトの作り方」)

朝鮮半島で野菜の塩漬けについて書かれた最古の文献は12〜13世紀の詩人である李奎報(イキュボ)が書いた『東国李相国集』の中の『家圃六詠』です。
『家圃六詠』の中に、冬に備えて瓜やなす、かぶ、ねぎなどを塩漬けにするという記述があります。

            ○

高麗王朝時代には「チャンアチ」と呼ばれる醤油漬けが作られていましたが、朝鮮王朝時代になると塩を使う「キムヂャン法(沈菜漬方法)」という現在のキムチの作り方が発達しています。
まだ塩が貴重だった頃、庶民は海水を使ったり、裕福な家で使った漬け汁を貰い受けてキムチを作っていたようです。
朝鮮半島で様々な種類のキムチがつくられるようになったのは、キムチを漬けるための貯蔵庫がつくられるようになった15世紀以降のことだと考えられています

            ○

キムチと言えばとうがらしを使った赤い漬物を連想する日本人は多いはずです。
単に辛いだけの日本のとうがらしに比べて、キムチに使われる韓国のとうがらしはかすかな甘味を含んでおり、香りも良く、漬物の色が鮮やかに仕上がります。
しかし、大昔から韓国のキムチにとうがらしが使われていたわけではありません。
とうがらしは、15世紀末にコロンブスがアメリカ大陸からヨーロッパに持ち帰った後に世界中に広まったものです。(関連:「とうがらし世界一周」)
1715年に著された韓国の農業書にとうがらし栽培についての記述がありますが、この農業書の中の漬け物について書かれた項ではとうがらしを用いたキムチについて触れられておらず、とうがらしがキムチに使われるようになったのはこの農業書が書かれたよりも後の18世紀後半になってからだと見られています

            ○

キムチにとうがらしが使われるようになった理由の一つとして、朝鮮王朝時代に民間に浸透した儒教の影響があるといわれています。
儒教では祖先を祀る行事は重要で、その祭事で供えられる料理も大切なものです。
朝鮮半島で儒教が普及するに従い、祭事の料理に使われる塩の需要が供給を上回るようになり、その代替品としてとうがらしが祭事用の料理やキムチに使われ始めたという説があるのです。

            ○

日本人にはお馴染みの白菜キムチが普及したのもそう遠い昔のことではありません。
朝鮮半島で白菜が栽培され始めたのは18世紀になってからであり、それ以前はキムチの材料には主として大根が使われていました。
キムチに白菜が一般的に使われるようになったのは19世紀以降のことなのです。

            ○

このように、とうがらしを用いた白菜キムチは韓国でも1〜2世紀前に確立されたものですが、日本で辛い白菜キムチが普及したのは焼肉店が増えた戦後のことです。
日本の焼肉店でキムチが出され始めた頃は「朝鮮漬け」と呼ばれていましたが、1979年にモランボン株式会社がキムチという製品名でキムチ漬けの素を販売し、テレビでこの製品の宣伝が流れるようになった頃から次第に「キムチ」という呼び名が日本で定着していったようです。(関連:「キムチいろいろ」)

<参考書籍>

黄慧性(2005)『韓国の食』平凡社
周 達生 (1994)『中国食探検—食の文化人類学—食の文化人類学』平凡社
朝倉敏夫(2005)『世界の食文化〈1〉韓国』農山漁村文化協会
鄭大声(2001)『焼肉は好きですか?』新潮社 鄭大声(2004)『焼肉・キムチと日本人』PHP研究所 NHK取材班(1990)『人間は何を食べてきたか カレー、醤油』日本放送出版協会
スー シェパード(2001)『保存食品開発物語』文藝春秋
小泉武夫 (2000)『漬け物大全—美味・珍味・怪味を食べ歩く』平凡社

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2006/10/26

韓国のスープは湯(タン)

4〜6世紀にかけて朝鮮半島に仏教が伝えられ、仏教の教義に基づいて殺生禁止令が出されたことによって朝鮮での肉食が制限された時代がありました。
朝鮮半島では牛を農耕作業に使っていたため、仏教の教義に関係なく牛肉を食べることは習慣化されていませんでしたが、13〜14世紀に肉食文化を持つモンゴルが朝鮮半島を支配したときに、牛肉を含めた肉食が朝鮮でも本格的に始まったと言われています。
牛の肉や骨、内蔵を水で煮込む「ルソルロンタン」という韓国のスープ料理は、その当時にモンゴルから伝えられた料理です。

            ○

「ルソルロンタン」の「タン」とは「湯(タン)」のことであり、吸い物や汁物を意味しています。
これを一般家庭では簡単に「クック」(韓国語の発音では「クッ」や「ク」に近いようです)といい、宮中では「タン」と言いました。
「タン」という語句には高級な響きがあり、「クック」といえば庶民的な感じがするようですが、この二つに調理法の大きな違いはありません。

日本の焼き肉店でも出される「クッパ」とは「クック(スープ)」と「パプ(ご飯)」ということで、スープにご飯を入れたものを意味しています。

            ○

タンには肉だけでなく魚や野菜なども使われ、和食の吸い物のようにだし汁をとるのではなく、具材からでる味が出汁となります。
薄口醤油や塩を使ってすまし汁のようにするタンや、味噌を使う「テンヂャンクック」などがあり、味噌を使うタンは日本の味噌汁に近いものですが、各家庭で味付けが異なり、中にはとうがらし味噌を入れる辛い味噌スープなども作られています。

            ○

「コムタン」という料理の「コム」とは長時間煮出すという意味をもっています。
長時間煮込む必要がある食材を使ったスープがコムタンと呼ばれ、通常具材には牛のすね肉やテール、肺、胃、腸などが使われます。
韓国で豚肉をスープにすることは稀です。
牛の屠殺が許可制で牛肉が買える市場が限られていた昔の韓国でも、鶏肉や魚を使ってクックが作られており、一般的に豚肉は使われませんでした。

            ○

魚を使ったものでは、「大口湯(テグタン)」という真鱈(マダラ)を使ったスープがあります。
昔、テグタンは朝鮮半島の東海岸を中心によく作られ、宮廷でも食べられたといいます。
ちなみに、牛肉と骨を入れてじっくりと煮込み、野菜類や香辛料、胡麻油を入れたスープもテグタンとよばれますが、こちらを漢字で書き表す場合は「大邸」となります。

その他にナマズを使った「メギタン」や、ドジョウを使った「チュオタン」があります。
ただし、うなぎやどじょうなどヌラヌラしたものやウロコのない魚、形が変な魚は宮廷料理では使われませんでした。

鯉と鶏を水で煮てそのスープだけが飲まれる「竜鳳湯」という料理があります。
鯉の身はあまりおいしくないと韓国ではみられていますが、鯉からとれたスープは産後の女性を癒すのによいといわれているのです。

            ○

ワカメを入れた「ミヨックック」も妊産婦が飲むと良いとされており、妊産婦がわかめスープを飲むことは韓国で風習化されています。
日本とは異なり、ワカメは味噌に合わないと韓国ではいわれており、通常は薄くち醤油のスープに入れられます。
カルシウム豊富なわかめを使うミヨックックは誕生日にも食べられ、子育てのためのスープとしてもつくられています。
誰かの頭の悪さをからかう時に、「あいつの母親はワカメスープを食べなかったんだ」という言い方をする悪口もあるそうです。

            ○

体の調子を整えるスープとして飲まれるものに、日本でも知られている参鶏湯(サムゲタン)があります。
かつて鶏参湯(ケサムタン)ともよばれた参鶏湯は、内臓を取り除いた雛鶏の中に朝鮮人参やもち米、ナツメ、にんにく、黄耆(オウギ)という漢方材などを入れて煮込んで作られます。
強壮作用や消化吸収を助ける働きが朝鮮人参にはあり、ナツメには内臓の調子を整える効果があるといわれています。
朝鮮人参などの漢方材の効果を活かすため、参鶏湯に野菜や魚は入れられません。
熱いもので暑さを納めるという意味の「似熱治熱(シゥォナダ)」という言葉が使われる韓国で、参鶏湯は夏バテ防止のために食べられています。

<参考書籍>

黄慧性(2005)『韓国の食』平凡社
朝倉敏夫(2005)『世界の食文化〈1〉韓国』農山漁村文化協会
鄭大声(2001)『焼肉は好きですか?』新潮社

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2006/10/18

落花生は落ちる花に実が生るのか

英語で「peanut(ピーナット)」といい、スペイン語では「cacahuete(カカウェーテ)」とよばれる落花生はアメリカ大陸で栽培が始まったと考えられており、ブラジルや西インド諸島などが原産地の候補としてあげられていますが、最初に落花生が作られた地域は明らかにされていません。
しかし、4500年前のものと見られる数千個の落花生の殻がペルーの遺跡から出土しており、落花生栽培の歴史が古くに始まっていたことは確かです。

            ○

14〜15世紀にメキシコ中央高原で栄えたアステカの人々が、落花生を食用ではなく解熱剤として用いていたことが分かっていますが、これよりもだいぶ前の紀元前500年にはメキシコに落花生が伝わっていたといわれています。

紀元100〜800年頃につくられたペルーのモチェ族の墓からは落花生の殻の形が装飾された陶器が発見されており、もう少し後の時代のものになりますが、インカ族の墓からは副葬品として埋葬された落花生の痕跡が見つかっていることなどから、昔から南アメリカで落花生は生活に密着した重要な作物として扱われていたと考えられているのです。

            ○

16世紀頃にヨーロッパ人が南米大陸で初めて落花生を見たとき、彼らは落花生をアーモンドのようなものではないかとか、コーヒー豆のように煎って使うものなのではないかと考えましたが、落花生を積極的に食べようとはしませんでした。
17世紀前半にペルーに住んだスペイン人祭司のベルナベ・コボは落花生を食べると頭痛がしたり目眩を覚えると記録しています。

            ○

640peanut116世紀前半に、 スペイン人やポルトガル人が南アメリカに攻め入ったときに知った落花生を故国に持ち帰りましたが、やはりこの時代のヨーロッパ本土でも落花生が熱狂的に迎え入れられるということはありませんでした。
ヨーロッパ人から見て、地上に花をつけるのに地中に実ができる落花生は奇怪な植物に感じられたのです。
落花生が好む温暖な気候の土地がヨーロッパには少なかったということも落花生が普及しなかった理由の一つとしてあげられます。

その後の状況から見て、ヨーロッパでは落花生をそのまま食べたり料理に使ったりするより、油にして使うことの方が注目されたことが伺えます。
加熱しても酸化し難い落花生油は特にフランスで重宝され、落花生油を使った様々なフランス料理が考案されたのです。

            ○

アフリカやアジアでも無臭の落花生油は揚げ物には欠かせないものになりましたが、これらの地域では落花生そのものを料理に積極的に用いました。
1500年代に、インド南部に落花生を持ち込んだのはポルトガル人でしたが、その他のアジア地域への落花生の伝播に貢献したのはスペイン人だったと考えられています。
スペイン人が南アメリカからフィリピンに運んだ落花生は、フィリピンから中国や日本、東インド諸島に伝わっていったのです。

            ○

東南アジアでは挽き割りにした落花生をとうがらしやライムと混ぜて辛味のあるソースが作られたり、タイやインドネシア、マレーシアなどで食べられる焼き鳥風料理のサテーにはピーナッツのソースがかけられます。

日本でも沖縄には落花生から作られる「ジーマミー豆腐」という珍味があります。
「ジーマミー」とは「地豆」のことで落花生を意味する沖縄の言葉です。

            ○

「落花生」や沖縄の「ジーマミー」という名の語源は、落花生の特徴的な実のなり方に由来しています。

落花生は地面に近い枝に花をつけ、花が咲いて受粉すると花の雌しべの基部にあって袋状の形をした「子房」と呼ばれる部分が根のように地面に向かって伸び始めます。
伸びた子房の先端が地面につくと、子房は地表から3センチ以上も地中にもぐり込み、そこで繭(まゆ)の様な形に膨れて落花生の莢となる部分を形づくり、莢の内部では実となる部分がつくられるのです。
花が咲いてから約2ヶ月ほどで落花生の実はできあがりますが、日光があたっている状態で子房は熟すことができないため、子房が地中にもぐり込むことができない固い地面の土地で落花生は実を生らせることができません。

            ○

このように、実際には花ではなく子房が地中にもぐり込むのですが、まるで花が落ちた場所に実ができるように見えることから、中国語ではこの豆を「落花生(ローホワション)」と呼ぶようになったのです。
「落花生」という語句が中国から日本に伝わったとき、中国語の漢字表記はそのまま使われましたが、これを訓読みするようになり、日本では「らっかせい」と呼ぶようになりました。
日本語では落花生に南京豆という別名がありますが、これは中国から伝来した豆を意味しています。

            ○

落花生が日本に伝わったのは18世紀初め頃で、オランダ船によりもたらされたというのが定説になっています。
地上で花が咲き地中で実がなる不思議さから当時の日本でも落花生は敬遠され、すぐには普及しませんでした。

明治7(1874)年にアメリカから落花生の種子が日本に持ち込まれるようになった頃から、落花生は日本各地で栽培されるようになります。
落花生栽培には程よい湿り気と酸素が必要となるため水はけの良い砂地などでの栽培が適しており、千葉県九十九里浜で落花生の生産は活発に行われました。
現在でも千葉県は日本一の落花生生産量を誇り、日本で生産される落花生の7割以上は千葉県で作られているのです。

<参考書籍>

安達巌(2004)『日本型食生活の歴史』新泉社
シルヴィア・ジョンソン(1999)『世界を変えた野菜読本—トマト、ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシ』晶文社
吉田よし子(2000)『マメな豆の話—世界の豆食文化をたずねて』平凡社
本間千枝子, 有賀夏紀(2004)『世界の食文化〈12〉アメリカ』農山漁村文化協会

<落花生関連>

まねっこピーナッツ   まねっこ人形 まねっこピーナッツ   まねっこ人形

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ピーナッツ プレミアム・エディション ピーナッツ プレミアム・エディション
内村光良 三村マサカズ 大竹一樹


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モスラ対ゴジラ モスラ対ゴジラ
本多猪四郎 宝田明 星由里子


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2006/09/07

ビビンバが具沢山なわけ

「ナムル」といえば韓国の野菜の和え物料理ですが、ナムルという言葉には食べることができる野菜や山菜、野草の総称としての意味もあります。
ナムルは漢字で「熱菜」と書き、この漢字が表す通り、ナムルにつかう野菜類は茹でたり炒めたり加熱してから和えられるのが普通です。 

            ○

家庭でよく使われるナムルの材料にはわらびやぜんまいなどの山菜があります。
トラジという桔梗の根を使うこともあり、生のものだけでなく茹でてから乾燥させたものも使われます。
「トラジ」を検索して調べてみたところ、トラジのキムチ漬けが販売されており、価格は250gで1000円程度でした。

青物としてはほうれん草や春菊などが使われ、これらは茹でてから醤油やとうがらしで和えます。

ナムルで必ずと言っても良いくらい使われるものに緑豆や大豆のもやしがあります。
韓国でもやしは昔から食べられており、13世紀ころの文献に乾燥させたもやしを薬として用いていたことが記録されています。
現在の韓国でも、二日酔いのときにもやしスープを飲むと二日酔いの治りが早いといわれているようです。
1980年代に、このもやしの効能についての研究がソウル大学で行われ、もやしの茎には二日酔いに効く成分が実際に含まれていることが確認され、この成分を利用した薬が既に製品化されているといいます。

            ○

ナムルを食べるときは、ねぎやにんにく、すりごまなどの薬味を多く使い、ごま油も加えられます。
皿に盛るときは三種類くらいを一緒に盛るのが一般的です。
一つはわらびやしいたけなどの茶色いもの、一つはほうれん草や春菊などの葉もの、そしてもう一つが白いもので、もやしやトラジ、だいこんなどが盛りつけられます。

            ○

ナムルをご飯に載せると日本でいうところの「ビビンバ」になります。
本来は「ピビンパ」や「ピビ」の方が韓国語に近いようです。
韓国でビビンバを別名「骨董飯(コルトウバン)」ともいいます。
「ピビ」とは「混ぜた」という意味で、「パ」とは「ご飯」を意味します。
つまり韓国語の「ピビ」とは混ぜご飯のことなのですが、この料理にはもっと深い意味も込められています。

            ○

ビビンバには野菜以外の炒めた牛肉や錦糸卵などの具材ものせられます。Kor_bibin これはビビンバを豪華においしくする意味ももちろんありますが、中国の「陰陽五行説」がビビンバに取り入れられたことにも因るのです。

「陰陽説」とは、陰と陽の二つの気が織り成すことで宇宙の万物は生まれるという考えで、「五行説」とは木、火、土、金、水の五元素の盛衰によって万物の状態も変化していくという考え方です。
これら二つの概念が合わさったものが古代中国の宇宙観である「陰陽五行説」という思想です。

この陰陽五行説は古くから朝鮮半島にも伝わっており、ビビンバにもこの陰陽五行説が五味五色で表されています。
五味とは甘、辛、酸、苦、鹹(塩辛い)で、五色は青、赤、黄、白、黒を指します。
各色に対応した代表的食材は以下の通りです。

黒:ゼンマイ、しいたけ、海苔、黒ごまなど。
白:もやし、トラジ、大根、くるみ、松の実、栗など。
赤:にんじん、味付け牛肉、ユッケ、ナツメなど。
青:ほうれん草、わかめ、きゅうり、銀杏など。
黄:かぼちゃや錦糸卵など。

            ○

韓国ではご飯の上に載せられたこれらの具材とその下のご飯をよくかき混ぜて食べます。
スプーンでかき混ぜるのも本来の食べ方ではありません。
大きな鉢に50〜60人分のご飯をほぐし入れ、ここにごま油と塩を入れてからナムルを散らし、これらを手でよくほぐし混ぜてから一人づつ器にもってスープと一緒に食膳に出すのが伝統的な食べ方のようです。

            ○

ビビンバの始まりについてはいくつかの説があります。
一説には、祖先を奉るお祭りのあとに参拝者に振る舞う料理としてビビンバは作り始められたといわれています。
儒教では先祖供養は大切な行事ですから、法事でふるまう料理もおろそかにできません。
とはいっても、家から離れたところでとり行われる行事にたくさんの食器や料理を持って行くのは大変なため、一つの器に様々なものを混ぜ入れたものを持って行って食べたのだといわれています。
祭祀(さいし)が行われる場所に食事を持って行くのは、神に近い場所で神と共に食事をする意味も含まれています。

            ○

新年に古い食材を持ち越さないために、残ったものをご飯に混ぜて食べてしまったことからビビンバは始まったという説もあります。
日本の大晦日には多くの家庭でそばが食べられますが、韓国ではビビンバが食べられます。
大晦日に台所の残り物をビビンバにして全て食べてしまい、正月の朝には肉のスープに餅をいれた雑煮を食べたりするのです。

            ○

農作業が共同で行われていた昔には、ビビンバはパガジとよばれる瓢箪でできた器に盛られ、作業の合間に食べられていました。
秋の稲刈りの時期には、作業をしている田の横を通る稲刈りとは関係のない人達にもビビンバが振る舞われたそうです。

            ○

ところで、石焼ビビンバはごく最近できたものです。
器に使われる石材は朝鮮半島でとれるもので、昔からチゲ鍋などに使われてきた食器です。
この石焼ビビンバを考案した店の経営者が日本のバラエティー番組に出演していたことがあります。
確かこの店主は石焼ビビンバのお陰で一時的には商売を繁盛させたらしいのですが、特許を申請しなかったために他店に真似をされてしまい、石焼ビビンバで大金持ちになるチャンスをのがしてしまったのだと嘆いていました。
その後この店主は日本語で「石焼ビビンバ」を商標登録したようで、テレビでもこの認可証を見せていた記憶があります。
同じビビンバでも陰陽五行説とはかけ離れた世知辛い話しではあります。

<参考書籍>
鄭大声(2001)『焼肉は好きですか?』新潮社
黄慧性(2005)『韓国の食』平凡社
朝倉敏夫(2005)『世界の食文化〈1〉韓国』農山漁村文化協会

<韓国関連>

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2006/07/27

ベトナムの麺料理 フォー

ベトナムの麺といえばまず「フォー」の名前が上がるのではないでしょうか。

フォーの原料は米粉です。
ベトナム南部地方でよく食べられる「フーティエウ」も殆どフォーと同じ作り方になりますが、フーティエウには米粉だけでなくキャッサバも加えられるため、フォーよりもフーティエウの方がコシがあります。

          ○

フォーの作り方は、最近の日本人にはおなじみの「ゴイクォン(生春巻き)」で使われるライスペーパーを作る工程と途中までは同じです。05phbk06
ライスペーパーを細く切り出したものがフォーになります。

ライスペーパーの伝統的な作り方は、最初に米を水にしばらく浸けます。
次に米と米を浸けていた水を一緒に石臼で挽きます。
臼からは水溶き米粉のようなものが出てくるので、この白い液を薄く広げて蒸し固めます。
これを乾燥させるとライスペーパーになるのですが、ライスペーバーが半乾きの状態のときに麺状に切るとフォーになります。

          ○

粉に水などを加えてある程度の硬さにしてから包丁で細く切る麺の作り方は唐代の中国で考案された方法で、その後アジアに広がりました。
ベトナムのフォーもこの切り出し麺タイプになります。

フォーを作る時に蒸す工程が入っていることからも、フォーが中国料理の影響を受けているのが分かります。
蒸すという調理法は古代中国の時代から使われてきました。
点心などで見られるように蒸す方法は中国料理を特色づける要素の一つです。
そしてベトナム料理でも蒸し料理は多くあり、ベトナム食文化に中国食文化が取り入れられた現れの一つでもあります。

          ○

秦の始皇帝が中国を統一したときにベトナム北部も中国の植民地となり、約1000年ものあいだベトナムは中国から支配を受けました。
約10世紀にわたり中国の支配下にあった北部ベトナムのキン族は、中国支配の時代が終わった後に南下して中部ベトナムと南部ベトナムに攻め入り、現在ベトナムとなっている領土を統治することになります。
そのため全国的にベトナムの料理には中国料理の影響が色濃く出ており、まるでベトナム料理が中国料理の一地方料理であるかのように「中国料理化」されている部分も見られるのです。

          ○

その反面、ベトナムは中国文化に対する反発も持っていたようで、ベトナム文化が完全に中国文化と同化することはありませんでした。
キン族がベトナム統治を押し進めるにつれ中国料理の技法もベトナム全土に広まりましたが、一方では、中部ベトナムに影響したインド文化や南部ベトナムに影響した東南アジア文化が中国料理の影響を受けたキン族の食文化と混じり合い、独特なベトナム食文化を形作ることになりました。

          ○

その食文化混合の跡がフォーの中にも残っているのです。

フォーには、牛骨スープをつかう 「フォー・ボー」と鶏スープをかける「フォー・ガー」があり、それぞれの動物系スープがそれぞれのフォーの味のベースになりますが、フォー・ボーとフォー・ガーのどちらのスープにも加えられて味の土台となるのが「ニョクマム」です。

05phbk10_1 ニョクマムは、イワシやムロアジの類いの魚を原料とした魚醤で、ベトナムの代表的調味料として頻繁に料理に使われるため、ベトナム料理の味の核になるといってもいいくらい重要な調味料です。
中国で発達した大豆発酵食文化は日本を含む東アジアでは受け入れられましたが、厳重に発酵温度をコントロールする必要がある麹菌を使う味噌などは気温の高い東南アジアでは造ることが難しく、ベトナムではニョクマム、タイではナンプラー、カンボジアではトゥックトレイなど、東南アジアでは魚醤文化が発達しました。

中国の麺料理に非常に似通ったフォーですが、醤油ではなく東南アジア料理の特色となる魚醤のニョクマムが使われ、ニョクマムや香菜の味と香りが相まうベトナム料理独特の風味を持つ麺料理になっているのです。

          ○

また、フォーには酸味を加えるのにライムを絞り入れたりしますが、ここにも東南アジア料理の要素が見られます。
東南アジアでは酢よりも柑橘類が多く使われました。
これは、この地域ではドブロクが主流だったことに関係があるという説があります。
酢が造られるようになるには酒が大規模に醸造される程に文明が発達する必要があるといわれます。
各家で小規模に酒を造っている程度では、酒は酢に転換される前に消費されてしまいます。
家庭でつくられるドブロクが主流の地域では、貴重品の酒がもとになる酢ではなく、もっと手に入り易いレモンやライムが料理に使われたのだろうと推測されています。
日本でも酢の大量生産が始まったのは酒の大規模醸造が安定的に行えるようになった江戸時代以降からでした。(「酢の歴史」

          ○

中国料理の製法で作られた米粉の麺、東南アジアの味を代表する魚醤のうま味と塩味、ライムの酸味、それらが器の中で渾然一体となっている一杯のフォーを味わうとき、地理的そして歴史的要因によってベトナムが中国や東南アジアの他国から影響され、独特の食文化を形作ったことが実感できるのです。

<参考書籍>
森枝卓士(2005)『世界の食文化 (4) ベトナム・カンボジア・ラオス・ミャンマー』 農山漁村文化協会
石毛直道(1995)『文化麺類学ことはじめ』講談社
石毛直道(2004)『食卓の文化誌』岩波書店

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2006/07/19

羊とチンギス・ハーンの子孫達

最近は大相撲でモンゴル勢が場所を盛り上げていますね。
モンゴルのチンギス・ハーンの時代には兵士達を鍛える訓練の一貫として相撲が行われていたといいますから、あちらの相撲にも長い歴史があります。

          ○

チンギス・ハーンは1206年にモンゴル全土を支配下に置き、遊牧国家モンゴル帝国を創り上げました。

チンギス・ハーンを支えたモンゴル軍といえば今日でも草原を駆け抜ける騎馬軍団を連想するように、馬はモンゴル軍の最も重要な軍事力でした。
しかし、軍にとって大事なのは馬だけではなく、羊も歩く食糧貯蔵庫としてモンゴル軍の大遠征を支える重要な兵站戦略の一部になっていました。

          ○

高原に住むモンゴル人が牛よりも羊を多く飼った理由は環境との適合性だけでなく、彼ら遊牧民の家族構成や生活様式にも関係しています。
冷蔵庫どころか電気もないモンゴル高原では、夏場に家畜をつぶすときには大勢で一気に食べてしまう必要がありました。
牛を一頭食べきるには700人以上の人数が必要ですが、羊であれば10人程度で一頭を食べ尽くすことができるのです。

          ○

ところで、フランスやイタリアのレストランで料理されるラム肉の殆どはオスであることが多いはずです。
羊の群れの中にオスが多いと争いが起きて群れが分裂してしまうため、ヨーロッパでは羊のオスが生まれると種オスに選ばれたもの以外は小さいうちに間引かれてラム肉にされてしまうのです。

生まれる子羊の内ほぼ半分はオスですから、子を産んだメス羊の約半数が子供を失います。
しかし、それらのメスも乳は出します。
その子羊に飲まれることのない乳を人間が乳製品に利用したりしてきたのです。

          ○

Photo_1 しかし、モンゴル高原ではオスの羊も種オス以外は去勢され群れに残されます。
このモンゴル高原の去勢オス羊の文化は、モンゴルやその周辺でオスの子羊を売却する市場が存在しなかったことや、オスを生かしておいても飼育できる環境があったことなどから生み出されたものと考えられています。
モンゴルの遊牧民にとっては大量のラム肉を抱えて移動するよりも、歩く冷蔵庫のような生きたオス羊を連れて歩いた方が経済的だし労力が少なくて済んだのです。

          ○

オス羊を去勢した時に切除された睾丸は捨てられずに穀類などと一緒に煮て食べられてしまいます。
羊の去勢は春から夏にかけて行われます。
冬の間に保存肉を食べきり家畜の乳もまだあまりとれない時期に去勢が行われるので、睾丸は貴重なタンパク源になります。

          ○

高原に住むモンゴル人は、肉に火を直接あてて焼くと火の神様が怒ると信じているため肉を直火で調理しません。
肉の料理に石焼などはありますが、通常は水煮が多いのです。

また、味付けはたいてい塩のみで、ネギの類いを薬味程度に入れることはあってもコショウなどの香辛料を使いません。

冷蔵庫のないモンゴル高原では、保存が難しいため基本的に夏場は家畜をつぶさず肉は食べません。
冬の間は日中でも最高気温が零度を下回るくらい寒くなるので、家の外に出しておけば自然に肉をチルドの状態で保存できます。
肉を食べる冬の時期は肉が傷まないので匂い消しのために香辛料を使う必要がなく、料理の味付けがシンプルになったのかもしれないという推測もされています。

          ○

作家の開高健さんがモンゴルでイトウ釣りに挑戦したときの記録に羊の水煮の話しが出てきます。

「食事といっても主食と副食のけじめがないのである。 たいていは羊のこまぎれ肉の水煮であって、ひとつまみの岩塩だけが調味料である。 これをスプーンでチャポチャポとすすったらそれでおしまい。 朝がそれ、昼がそれ、夜もそれである。 昨日もそれ、今日もそれ、明日もそれである。 夏もそれ、冬もそれである。」

食事に使う調味料が一切ないだけでなく、モンゴルの草原での暮らしには、キッチンやトイレ、書斎、居間などがなく、所番地などなく、モンゴル人が草原に残すゴミは一切なくて、何から何までないと書いた後で開高さんは次のように続けています。

「この徹底ぶりをいちいち眺めていくうちに、”自然”を守るためにはここまで無欲にならなければならないのか、これより他に道はないのだろうかと、感嘆と同時に絶望めいたものも痛感させられる。 この高原の大草原は十三世紀のジンギス汗の時代もまったくこのままであっただろうし、それよりはるか一千年前も、さらに二千年前もこのままであっただろうという思いが胸にくる。」
(開高健(2000)『オーパ、オーパ!!〈モンゴル・中国篇・スリランカ篇〉』 集英社)

<参考書籍>
小長谷有紀(2005)『世界の食文化 (3) モンゴル』農山漁村文化協会
佐々木道雄 (2004)『焼肉の文化史』明石書店

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