2007/02/18

金富良醤油と長崎商人

中国で茄醤(チェジャン)といえば一種のトマトソース、豆板醤(トウバンジャン)はとうがらし味噌を指します。
その他の醤(ジャン)として、胡麻を使った芝麻醤(チーマージャン)、アミを使った蝦醤(シャァジャン)なども有名です。
そして醤(ジャン)の一種である醤油は、中国語で「ジャンユー」と発音されます。
醤油の「油」は液体のことであり、醤油とは醤から搾り取った液体を意味しています。

中国の醤油には大きく分けて、生抽(ションチョウ)、老抽(ロオチョウ)、甜醤油(テイエンジャンヨウ)の三種類があり、生抽は日本でいう濃い口醤油、老抽は溜り醤油に似ています。
甜醤油は砂糖や香辛料が加えられた、とろみがある醤油です。

            ○

大豆を使った醤は中国から朝鮮半島にも伝わり、今でも味噌や醤油の類いは韓国料理でも欠かせない調味料です。(関連:「醤油と金山寺味噌」)

日本の溜り醤油のように、韓国でも大豆味噌を造るときに出る液を熟成させて醤油が造られました。
韓国では、毎年新しい醤油を造るとその前年に造られた醤油は陳醤(チンジャン)とよばれ、造ってから一年以上経った陳醤は一つの容器に集められました。
容器に入れられた陳醤は日向で保存されたため水分が次第に蒸発し、時間の経過と共に濃い色と味の醤油へと変化することになります。

10年や20年も保存される陳醤もあり、少し色の濃い陳醤は煮物やチゲに用いられ、長期保存して色がもっと濃くなったものは薬飯(ヤクパン)などに使われました。
反対に色が重視されるクックなどの料理には新醤油が使われるなど、韓国では料理によって熟成度が異なる醤油が使い分けられたのです。

            ○

大豆発酵食品が発達した北東アジアに比べ、東南アジアは魚醤が多用される魚醤文化圏といわれますが、大豆醤油がまったく使われないわけではありません。

タイでは主に二種類の醤油が使われています。
一つが「白醤油」を意味する「シーユ・カウ」、もう一つが「黒醤油」を意味する「シーユ・ダム」です。
「シーユ・カウ」は日本の薄口醤油に似ており、「シーユ・ダム」は中国でいう甜醤油のことで甘くとろみがあります。

インドネシアにも「ケチャップ・アシン」と「ケチャップ・マニス」と呼ばれる二種類の醤油があります。
「ケチャップ・アシン」は「塩辛い醤油」という意味であり、「ケチャップ・マニス」は「甘い醤油」を意味しています。

            ○

インドネシアといえば、日本が江戸時代に鎖国をしていたころ、「出島貿易」の一つとして日本の醤油はインドネシアを経由してヨーロッパに輸出されていました。

1775年に日本に滞在したスウェーデン人の植物学者であり医者でもあったカール・ツンベルグが著した「日本紀行」にも、日本製醤油がバタビア、インド、ヨーロッパに輸出されていると書き残されています。

            ○

オランダのアムステルダム国立博物館には、17世紀の長崎の出島からオランダ人によってヨーロッパに運ばれたという伊万里焼き風の醤油壺が保管されています。

この壺にはオランダ語で「日本の」という意味の「JAPANSCH」という言葉と、醤油を意味する「ZOYA」、そしてポルトガル語で商人を意味する「COMPRADOR」という語の略として「CPD」の印字があります。

17世紀の長崎出島に、「COMPRADOR」という語をもとにして名付けられたと思われる、「金富良」という長崎商人達が設立した店があり、この店が輸出した「金富良醤油」がヨーロッパに運ばれ、当時のヨーロッパでかなりの高値で取引されていたのです。

金富良醤油はルイ14世が食べた料理にも使われたという逸話も残されています。
ただし、この頃のヨーロッパでの醤油は味付けに使われるというよりも香りづけとして香辛料のように使われていたようです。

            ○

現在、醤油はアメリカでも広く使われていますが、以前のアメリカでは醤油の臭いが南京虫の臭いに似ているとされ、醤油はバグソースと呼ばれて日本人差別の一つにもなっていました。
1950年代の初期、そのようなアメリカ人の醤油蔑視の傾向は変わることになります。
朝鮮戦争で日本に駐留した多くの米兵が醤油の味を知ったことが、アメリカでの醤油普及のきっかになったのです。

1971年にはウイスコンシン州でアメリカ産大豆を使ったアメリカ人向けの醤油が造られるまでになり、その後、健康志向で日本食が注目されたこともあってアメリカでの醤油の消費は増々増えていきました。

            ○

ところで、最近は世界中で日本の醤油が流通するようになったためか、「マギーブイヨン」で有名なマギー社の名はキッコーマン醤油のもととなった野田醤油を創立した茂木家の名前からとられたものであり、「マギーブイヨン」の味や香りは醤油をもとにしてつくられたのだという話しを聞くことがあります。

しかし、マギーのサイトにある「マギーのこだわり」には、「マギー」というブランドが、1846年にスイスに生まれたジュリアス・マイケル・ヨハネス・マギー氏によって作られたとありますので、「茂木」から「マギー」ができたという話しは眉唾ものといった感じがします。

(この件について本当のところをご存知の方は教えて下さい)

<参考書籍>

森浩一(1987)『味噌・醤油・酒の来た道—日本海沿岸諸民族の食文化と日本』小学館
嵐山光三郎・鈴木克夫(1990)『お醤油の来た道—味の謎への探険隊』徳間書店
NHK取材班(1990)『人間は何を食べてきたか カレー、醤油』日本放送出版協会
小泉武夫 (2000)『漬け物大全—美味・珍味・怪味を食べ歩く』平凡社
柳田友道(1991)『うま味の誕生—発酵食品物語』岩波書店
吉田よし子(2000)『マメな豆の話—世界の豆食文化をたずねて』平凡社
高橋素子(2003)『Q&A 食べる魚の全疑問—魚屋さんもビックリその正体』講談社
井上勝六(1993)『「薬喰い」と食文化』三嶺書房
石毛直道(2004)『食卓の文化誌』岩波書店
俣野敏子(2002)『そば学大全—日本と世界のソバ食文化』平凡新書
江原 恵 (1986)『江戸料理史・考—日本料理草創期—日本料理草創期』河出書房新社
木村茂光(1996)『ハタケと日本人—もう一つの農耕文化』中央公論社
前川健一(1988)『東南アジアの日常茶飯—食文化観察ノート』弘文堂
黄慧性(2005)『韓国の食』平凡社

<醤油関連>

ユウキ食品 ナムルの素(醤油味) 140g (3入り) ユウキ食品 ナムルの素(醤油味) 140g (3入り)

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枝国 栄一

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2007/02/11

下り醤油や最上醤油

中国から日本に伝わった醤は日本で味噌として発展し、その味噌を造るときに出る上澄み液が「溜り」とよばれる調味料として使われるようになって、これが醤油の元祖となりました。(関連:「醤油と金山寺味噌」)
室町時代にはこの溜りが上流階層の食事で頻繁に使われるようになったといいます。
室町時代以前、刺身は酢や酢みそに付けて食べられていましたが、これらに代わって醤油が使われ始めたのも室町時代のことです。

            ○

「醤油」という言葉も室町時代の頃から使われ始めたと考えられています。
「醤油」の文字が出てくる最古の文献は、1559年に公家によって書かれた日記だといわれています。
この日記に「醤油の小桶を送る」という記述があるのです。
ただしこの日記に出てくる醤油が本当に調味料である醤油を指しているのかは定かではないため、調味料としての「醤油」という言葉の使用が確認できる最も古い文献は、江戸時代より少し前になる1597年に書かれた『易林本節用集(えきりんぼんせつようしゅう)』であるという説もあるようです。

            ○

室町時代の溜りと呼ばれた醤油は、大豆でつくる大豆麹に食塩を混ぜてから丸めたものを発酵させ、この玉から垂れてくる液を集めてつくられていました。
この製法では大量の醤油を造ることはできないため、この時代の醤油は正月料理やお盆用料理に限って使われる貴重な調味料として扱われていたといいます。

            ○

安土桃山時代になると醤油の生産方法が改善されていき、生産量も徐々に増えていきました。
この頃になると、炒ってから搗いた大麦を煮大豆に混ぜ込んで麹菌をつくり、ここに水と塩を加え、時々かき混ぜながら75日間寝かせて発酵させ、最終的には布製の袋で濾しとるという方法で醤油が造られ、「一番醤油」や「生揚げ」の名称で呼ばれていました。

            ○

江戸時代も元禄の頃になると、麹菌を造るのに大麦だけでなく小麦も加えられるようになります。
これは今でいう「濃口醤油」製造の始まりであり、時代が進むと大麦を混ぜる量は次第に減っていき、後に小麦だけが使われるようになったのです。

            ○

江戸時代の初め頃、関東で消費される醤油の殆どは関西で製造されていました。
江戸で「下り醤油」と呼ばれた上方産醤油は、輸送費が掛かることから関東で非常に高価なものとなり、酒と値段が変わらないという時代もあったようです。

江戸時代初期の関東でも醤油は僅かに造られていましたが、酒と共に上方文化の象徴として扱われた高品質の関西産醤油は関東産のものより2倍近く価格が高かったといいます。

蕎麦をツユに少しだけ付けるのが粋な食べ方だという考えは、醤油の価格が高かった頃の江戸の蕎麦屋が麺つゆを倹約するために吹聴したことによってできたという説もあります。

            ○

17世紀後半になると、野田の高梨家や茂木家で醤油が造られるようになり、江戸での醤油の大量生産が本格的に始まったことから、関東における関西産醤油の消費量は次第に減っていきました。

関東の醤油主産地の一つとなる銚子に醤油作りを伝えたのは、醤油発祥地ともされている湯浅出身の浜口儀兵衛らだったといわれています。
紀州と房州の間には黒潮が流れているため、湯浅近くで海難に遭って銚子あたりまで流された人がこの当時多くおり、このような人達の中にも銚子の醤油造りに貢献した人がいたのではないかとも推測されています。

            ○

江戸時代末期にインフレによる物価上昇が大きな問題となり、幕府は強制的に全ての物の価格を30〜40%下げる政策をとったことがありました。
しかし醤油造りはコストを抑えたり品質を落とすことはできないとして、醤油価格引き下げに対して醤油製造家達が猛反対しています。
この醤油製造家達の訴えは幕府により認められため、野田や銚子で造られる一部の醤油価格は例外的に据え置かれ、他と区別するためにこれらの醤油には「最上醤油」という名称がつけられました。
これに次ぐ物には「次最上」、その下のものには「極上」という名が付けられましたが、これらの等級名はつい最近までブランド名のようにして使われ続け、醤油のラベルにも表記されていたのです。

            ○

ところで現在の醤油には、代表的な「濃口醤油」の他にも、「淡口醤油」や「溜り醤油」「白醤油」「甘露醤油」「生醤油」「減塩醤油」などがあります。
以下がそれぞれの醤油の特徴です。

濃口醤油 
一般的に醤油と言えば濃口醤油を指し、日本の醤油生産額の90%はこの濃口醤油が占めています。
関東で発達した醤油で、野田や銚子、兵庫県の高砂などが主産地となっています。

淡口醤油 
関西での消費が多い醤油です。
濃口醤油より色が薄いのですが塩味はやや強めです。
素材の色を生かして料理したいときに使われます。
製法は濃口醤油とほぼ同じですが、大豆を蒸すときや小麦を炒る工程で色がつかないように工夫されています。

溜り醤油
醤油の元祖といわれています。
とろみがあり、色が濃く、味も濃いのが特徴で、刺身や煮物に使われたりしています。
中部地方での消費が多いようです。

白醤油 
淡口醤油に似ていますが淡口醤油より色が薄く金色に近い色をしています。
江戸時代に紀州でつくられたといわれ、やはり中部地方での消費が多い醤油です。

甘露醤油
濃口醤油の製法と同じように造られますが、濃口醤油に塩水が使われるのに対して、甘露醤油では塩の代わりに生醤油が使われているため、味や香りはきわめて濃厚です。
山口県柳井でつくられ関西で使われています。

生醤油
火入れをしていない醤油で香りのよい醤油です。
加熱しても香りが残るため煮物料理などに好んで使われたりしています。

減塩醤油
濃口醤油と基本的には同じ製法でつくられていますが、使用する塩分の量は約50%になっています。
塩分の摂り過ぎに気をつけなければならない人向きの醤油です。

<関連書籍>

森浩一(1987)『味噌・醤油・酒の来た道—日本海沿岸諸民族の食文化と日本』小学館
嵐山光三郎・鈴木克夫(1990)『お醤油の来た道—味の謎への探険隊』徳間書店
NHK取材班(1990)『人間は何を食べてきたか カレー、醤油』日本放送出版協会
小泉武夫 (2000)『漬け物大全—美味・珍味・怪味を食べ歩く』平凡社
柳田友道(1991)『うま味の誕生—発酵食品物語』岩波書店
吉田よし子(2000)『マメな豆の話—世界の豆食文化をたずねて』平凡社
高橋素子(2003)『Q&A 食べる魚の全疑問—魚屋さんもビックリその正体』講談社
井上勝六(1993)『「薬喰い」と食文化』三嶺書房
石毛直道(2004)『食卓の文化誌』岩波書店
俣野敏子(2002)『そば学大全—日本と世界のソバ食文化』平凡新書
江原 恵 (1986)『江戸料理史・考—日本料理草創期—日本料理草創期』河出書房新社
木村茂光(1996)『ハタケと日本人—もう一つの農耕文化』中央公論社
前川健一(1988)『東南アジアの日常茶飯—食文化観察ノート』弘文堂
黄慧性(2005)『韓国の食』平凡社

<醤油関連>

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2007/02/04

醤油と金山寺味噌

日本の漬物や塩辛、納豆などの発酵食品の起源を辿っていくと中国の醤(ショウ)にまで遡ることができます。(関連:「塩辛は調味料」「納豆と納豆菌」)
醤(ショウ)とは材料に塩や酒を加え発酵させた調味料のことです。
紀元前3世紀という昔に、中国には100種類以上の醤があったという記録が残されているそうです。
醤がつくられ始めた頃は動物の肉や魚肉が材料として使われていましたが、後に穀物などの植物性の材料も使われるようになり、そのような醤が醤油の元祖にあたります。

            ○

穀物でつくられる醤についての記述が出てくる最古の文献は1世紀頃の中国で書かれた『論衡』です。
紀元1世紀かそれ以前から、大豆を原料とした「豆醤(トウショウ)」や黒大豆を使った「鼓(クキ)」など、植物性の醤がつくられるようになったと考えられています。

大豆を使った醤には日本の味噌に近い固形の発酵調味料や、大豆に小麦を加えた甘い味噌である麺醤がありました(「麺醤」は「甜面醤」や「甜醤」ともいいます)。
そしてもう一つの系統に「醤油」(または「清醤」)という液状の醤があったといいます。
「醤油」の名に使われる「油」という字は「あぶら」が原料として使われたということではなく、トロトロとした粘度のあるものを意味しています。

            ○

大豆を使った醤は朝鮮半島に伝わり、その後平安時代の頃、日本に伝来して「ひしお」という和名がつけられました。
日本に伝わった当初の醤は液状のものではなく固形状で粒の残った固めのものであり、味噌の元祖ともいわれています。
日本人の嗜好に合うように醤が味噌へと発展していく過程で、もう一つ枝分かれして出てきたのが日本の醤油です。

            ○

日本で最初の醤油がどこでつくられたかについては、名古屋であるとか関西であるなど諸説があり定かではありません。
様々ある説の中の一つに、紀州の湯浅が醤油の発祥地だとするものがあります。
西方寺の覚心禅師がこの地に径山寺味噌を伝え、これが後に醤油になったというものです。

1249年、覚心禅師は日宋貿易船に乗って中国に渡り、杭州の径山興聖万寿禅寺で修行しました。
中国で覚心禅師は虚無僧の尺八を学び、1254年にこれを日本に持ち帰って虚無僧尺八の開祖になっています。

径山寺で覚心禅師は尺八だけでなく「鼓(クキ)」の作り方も学び、日本に帰ってからその作り方を湯浅で教えたといわれています。
これが後に「金山寺味噌」と呼ばれるようになった味噌です。

ある時、金山寺味噌を造っている過程で、味噌を発酵させる容器から濃い色をした汁が垂れ落ちているのに覚心禅師は気づいたといいます。
覚心禅師が試しにこれをなめてみると、この味噌から染み出た液の味はとても良く、調味料として使えることを発見したということで、これが日本での醤油の始まりになったという言い伝えがあるのです。

            ○

日本の各地で、味噌の上に押し込んだザルに浮き出る上澄み液が調味料として使われるようになると、これが「溜り」とよばれるようになりました。
もともと「味噌溜り」と呼ばれていたものが短縮されて「溜り」という名になったもので、これが「溜り醤油」の語源ともなったのです。

            ○

現在、味噌は大豆と米と麦を蒸してから麹と塩を混ぜ、発酵させてつくられます。
一方、醤油は大豆に小麦粉と食塩水を混ぜて作られます。
豆に麹菌を直接つけて発酵させてつくられるのが醤油であり、米や麦についた麹菌によって間接的に豆を発酵させることでつくられるのが味噌なのですが、この発酵方法の違いが二つの調味料に異なった特徴を与えることになります。
味噌に比べて、大豆を直接的に発酵させる醤油の製法は大豆をより分解することになり、鋭い味がつくられますが、醤油に含まれる大豆の栄養価は味噌よりも少なくなります。
逆に、味噌をつくる過程では大豆の栄養価は保たれますが、味噌の味は醤油に比べてボケた感じがするのです。

<参考書籍>

森浩一(1987)『味噌・醤油・酒の来た道—日本海沿岸諸民族の食文化と日本』小学館
嵐山光三郎・鈴木克夫(1990)『お醤油の来た道—味の謎への探険隊』徳間書店
NHK取材班(1990)『人間は何を食べてきたか カレー、醤油』日本放送出版協会
小泉武夫 (2000)『漬け物大全—美味・珍味・怪味を食べ歩く』平凡社
柳田友道(1991)『うま味の誕生—発酵食品物語』岩波書店
吉田よし子(2000)『マメな豆の話—世界の豆食文化をたずねて』平凡社
高橋素子(2003)『Q&A 食べる魚の全疑問—魚屋さんもビックリその正体』講談社
井上勝六(1993)『「薬喰い」と食文化』三嶺書房
石毛直道(2004)『食卓の文化誌』岩波書店
俣野敏子(2002)『そば学大全—日本と世界のソバ食文化』平凡新書
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前川健一(1988)『東南アジアの日常茶飯—食文化観察ノート』弘文堂
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<醤油関連>

Hario しょうゆさし・丸 166ml SUM-2BU Hario しょうゆさし・丸 166ml SUM-2BU

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これさえあれば—極上の調味料を求めて これさえあれば—極上の調味料を求めて
藤田 千恵子


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水・塩・みそ・しょうゆ—これでわかる本物 水・塩・みそ・しょうゆ—これでわかる本物
オーガニック研究会


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2006/12/16

昆布がとれない沖縄の昆布料理

昆布の収穫は8月で、暑い夏ほど良い昆布が採れます。
養殖物には1年ものや2年ものがありますが、2年以上成長すると昆布は切れてしまうので、3年ものの昆布が市場に出まわることは稀です。

            ○

日本で採られる食用昆布には10種類ほどあり、昆布の全生産の約9割は北海道産のものです。
その中でも「利尻昆布」はよく知られていますが、利尻昆布の他にも「羅臼昆布」や「日高昆布」「真昆布」「長昆布」などがあります。

利尻昆布を用いた出汁は上品な味わいが楽しめ、特に関西で好まれています。
利尻昆布の根元の三角形の部分だけを切り取った「根昆布」は出汁用として出回っています。

関西でも京都では真昆布が使われることが多いようです。
真昆布の中にも「白口浜」と「黒口浜」があり、白口浜は煮物にすると良く、黒口浜は吸い物に向いています。
真昆布や利尻昆布は極薄く削られて「おぼろ昆布」に加工されたり、圧縮された真昆布の葉先が削られて「とろろ昆布」が作られたりしています。

長さが6メートルにもなる日高昆布は「ミツイシコンブ」とも呼ばれ、柔らかくて早く熱が通ることから煮昆布にされたり、香りがよいことから出汁をとるのに使われます。

羅臼昆布は別名を「オニコンブ」ともいい、全体生産量の1パーセント以下しか採られていませんが、濃厚な味の出汁がとれる高級品として珍重されています。

            ○

出汁(だし)は旨味や香りの素となり、まろやかな風味を出して深みのある味をつくります。
伝統的な日本料理では油があまり使われなかったため、塩味を緩和するために出汁が多用されるようになったと考えられています。

昆布はグルタミン酸を多く含み、これが旨味の素となります。
昆布出汁のうま味の素がグルタミン酸であることは明治41(1908)年に池田菊苗氏により発見されました。

ちなみにかつお節の旨味成分がイノシン酸であることは大正2(1913)年に小玉新太郎氏により発見され、椎茸のうま味成分がグアニル酸であることは昭和35(1960)年に国中明氏により発見されています。

英語でもうま味は「umami」といい、中国語では「鮮味」と書き表されます。

            ○

プロの料理人は夫々工夫して昆布出汁をとっており、そのやり方は店により様々ですが、基本的には昆布に水を吸収させることで昆布のうま味成分が溶出されています。
昆布が海の中にあっても出汁が出てしまわないのは、昆布が生きているうちは、細胞内の物質が海中に溶け出てしまうのをその細胞膜が防いでいるためです。
最近の研究では、60℃のお湯に昆布を30分間漬けておくのが最もおいしい昆布出汁をとる方法だという結果も出されているようです。

            ○

縄文時代の遺跡である島根県の猪目洞窟や青森県の亀ヶ岡遺跡からは海草類が出土しており、古代から日本人が海藻を食べていたことが知られています。
平安時代初期に編纂された『続日本紀(しょくにほんぎ)』には、蝦夷(えぞ)の族長の須賀君古麻比留(すがきみのこまひる)が昆布を献上したことや、須賀君古麻比留よりもだいぶ前の時代から昆布の献上が行われていたことが記されており、かなり古い時代から日本人が昆布を食べていたことが伺えます。

            ○

奈良時代には既に「昆布」という言葉がありました。
一説では昆布の語源はアイヌ語の「コンブ」に由来しているといわれています。
昆布が不老長寿の仙薬の一つとされていた中国には、周代の頃に「綸布(クワンプ)」というものがあったことがわかっており、この「クワンプ」が日本語の「こんぶ」の語源になったという説もあるようです。

            ○

平安時代に編まれた辞典である『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』には、昆布が「比呂米(ひろめ)」や「衣比須目(えびすめ)』の名で登場しています。
昆布の幅広い形に由来して「比呂米(ひろめ)」という名が付けられ、採れる場所に由来して「衣比須女(えびすめ)」(夷布)の名がつけられました。

            ○

古来から宮廷などでは出汁をとるのにかつお節が使われましたが、生臭ものを遠ざけた寺院ではかつお節の代わりに昆布が用いられ、精進料理では昆布が欠かせない食材となりました。
昆布出汁は寺院から庶民の間に広まったのだとする説もあるほどです。
また、室町時代になると昆布は煮物にも用いられるようになりました。

            ○

現在、日本で昆布の消費が最も多いのは沖縄県です。
しかし昆布は沖縄では採れません。
江戸時代に、江戸や大阪と北海道の間を航行する北前船(きたまえぶね)の航路が開かれ、北海道の海産物が江戸や大阪に流通するようになりました。
1700年代の末頃、黒糖を積んだ琉球の船と、昆布を載せた松前からの船が同時期に堺の港に入り、黒糖と昆布の取引が行われ、琉球の砂糖が松前に渡り、蝦夷の昆布が琉球に運ばれるようになったといわれています。
松前から関西へは綿花を栽培するための肥料として鰊(にしん)も運ばれていましたが、このにしんを昆布で巻いた「昆布巻き鰊」はこの時代に作られたものです。

            ○

この時代に琉球は日本の薩摩藩と中国の両方から支配されていました。(関連:「沖縄料理の中の琉球史」)
薩摩藩は、鎖国中で海外との貿易が禁じられていたにも関わらず、琉球から中国へ献上品を運ぶ船が航行していたのを利用して、北海道産の昆布を琉球の船に載せて中国へ輸出して利益を得ていました。
1800年代前半には、琉球から中国へ輸送された品の内の約8割は昆布だったこともあり、これはその当時の日本の昆布生産量の約1割に相当する量に相当します。

19世紀には那覇に「昆布座」が設けられ、この頃に昆布は沖縄の一般家庭にも普及しています。
野菜を作るのに適した土地が少なく、夏期には野菜の保存も難しい沖縄では、乾燥させた昆布は野菜の代用食として重宝されたのです。

            ○

沖縄で使われる昆布は日高昆布や長昆布が主で、これらの昆布は本土での需要が少なく、産出される殆どが沖縄で消費されています。
沖縄には、昆布を出汁としてではなく野菜のようにして使う料理が多くあります。
刻み昆布を炒めたクーブイリチーや白身魚を昆布で巻いた昆布巻き、昆布の煮付け、昆布と豚肉、かまぼこ、椎茸を一緒に炒め煮にしたり、ソーキ汁にも昆布が使われています。

            ○

昆布にはミネラルや旨味のもとのアミノ酸が豊富に含まれており、食物繊維やカルシウムも多く、高血圧や高コレステロールの人が食べると良いとされています。
沖縄で長寿の人が多い理由の一つは昆布を使った料理が多いからなのかもしれません。

<参考文献>

講談社(2002)『カラー完全版 魚の目利き食通事典 』講談社
高橋素子(2003)『Q&A 食べる魚の全疑問—魚屋さんもビックリその正体』講談社
月刊食生活編集部(1992)『グルメのおもしろ語源集—食べものふしぎ博物館』コア出版
緒方修・吉川敏男(2004)『体にいい沖縄野菜健康法』実業之日本社
宮城重二(2003)『沖縄の食材・料理—長寿日本一を支える沖縄の食文化』東方出版
服部 幸応 (2004)『大人の食育』日本放送出版協会
柳田友道(1991)『うま味の誕生—発酵食品物語』岩波書店
石毛直道(2004)『食卓の文化誌』岩波書店
小泉武夫(2000)『納豆の快楽』講談社
井上勝六(1993)『「薬喰い」と食文化』三嶺書房
奥山忠政(2003)『文化麺類学・ラーメン篇』明石書店
NHK取材班(1990)『人間は何を食べてきたか カレー、醤油』日本放送出版協会

<昆布関連>

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2006/10/25

トマトケチャップとアメリカと日本

トマトをつぶして裏ごしして皮や種をとり除いたもの、いわゆるトマトピューレを煮詰めて香辛料や調味料を加えたものがトマトソースです。
トマトピューレにタマネギや香辛料、酢、塩などを加えてつくった調味料がトマトケチャップになります。
トマトケチャップの利点は保存性の高さですが、素材の味が活かされているのはトマトソースの方だといえます。

            ○

19世紀頃まで、アメリカではトマトケチャップとトマトソースは明確に区別されていませんでした。
イギリスからアメリカにトマトケチャップが伝わった後(関連:「トマトケチャップのルーツの謎」)、それぞれの家庭が独自のレシピに基づいてトマトケチャップやトマトソースを作っていたため、トマトソースのようなものもトマトケチャップと呼ばれていたからです。

            ○

アメリカでもトマトケチャップは便利な調味料として多用されるようになり、1830年代には工場での大量生産が始まりました。
南北戦争後に缶詰加工業が発展するのと時を同じくして、工場でのトマトケチャップ生産量も増加していきました。

            ○

南北戦争後間もなく、アメリカ人の好みに合わせて甘味を加えたトマトケチャップをマサチューセッツ州でジョシュア・ダヴェンポートが開発します。
ダヴェンポートのケチャップはフィッシュケーキやベイクドビーンズを食べるときに欠かせないソースだと好評を得ました。

1876年にはペンシルバニア州でH. J. ハインツがトマトケチャップの生産を始め、ハインツ社のトマトケチャップが普及すると、アメリカの家庭でケチャップは作られなくなり、市販品のケチャップを買うのが普通になったのです。

            ○

19世紀まで、アメリカではそれぞれのメーカーが多様な材料を使ってさまざまなトマトケチャップを作っていました。
しかし1906年に添加物を規制する法案がアメリカ議会で可決されると、トマトケチャップは完熟トマトにスパイスや酢、砂糖のみで作り、保存料を使わないように義務づけられました。
この規制により液体状のトマトソース風トマトケチャップは市場から消え、現在のトマトケチャップであるドロリとした粘性のあるものに統一されていきました。

            ○

1900年代に普及したホットドッグやハンバーガーにトマトケチャップは欠かせないものとなり、1901年に行われた調査によると、この当時のアメリカの殆どのレストランにトマトケチャップが置かれるようになっていたといいます。
現在アメリカでは1000万トンに近い量のトマトが生産されていますが、その殆どはケチャップやジュースなどの加工品の材料にされており、アメリカの98%を越える家庭でトマトケチャップは常備されているという最近の調査結果もあるといいます。

            ○

アメリカの家庭でトマトケチャップが既に普及していた頃である明治時代の日本では、トマトを食べると髪が赤くなるという噂がはびこっていたためトマトは日本人から敬遠されていました。
そんな中、明治28年(1895)年に、日本で初となるトマトソースを堤氏が製造販売したという記録が残されています。

            ○

日本でのトマトケチャップ普及に貢献したのは、明治8(1875)年に愛知県に生まれた蟹江一太郎氏でした。 
明治32(1899)年に蟹江氏は西洋野菜を栽培し、外国人客が利用するレストラン向けに玉ねぎやキャベツ、にんじんなどを販売し始めました。
しかし、トマトだけはいつも売れ残って畑で腐らせるようなことが続いていたため、これが蟹江氏の悩みの種になっていました。
そんなとき、農事試験場技師からトマトを加工する方法があることを蟹江氏は教えられ、名古屋のホテルの厨房にあった輸入トマトソースを見本にして、自宅の納屋でトマトソース開発に着手したのです。
そしてついに、明治36(1903)年、蟹江氏は独自のトマトピューレを完成させました。
これが現在のカゴメ株式会社の始まりとなったのです。
日露戦争後の明治39年から蟹江氏はトマトソースの生産を本格的に開始し、明治41(1908)年にはトマトピューレに香辛料や調味料を加えたトマトケッチャップを開発して製造を始めました。

明治から大正時代に起きた洋食ブームで日本人がチキンライスやオムライスなどを口にするようになるとトマトソースの需要は増加しました。
トマトソースに比べトマトケチャップの日本での普及は遅れましたが、昭和に入った頃からトマトケチャップの消費も徐々にのびていき、戦後の日本人の食事の西洋化に伴ってトマトケチャップも多くの家庭で使われるようになったのです。

<参考書籍>

橘みのり(1999)『トマトが野菜になった日—毒草から世界一の野菜へ』草思社
シルヴィア・ジョンソン(1999)『世界を変えた野菜読本—トマト、ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシ』晶文社
石毛直道(2004)『食卓の文化誌』岩波書店
吉田 豊(1995)『食卓の博物誌』丸善
前川健一(1988)『東南アジアの日常茶飯—食文化観察ノート』弘文堂

<ソース関連>

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2006/10/24

トマトケチャップのルーツの謎

「ケチャップとはもともと何語なのか」という議題をこれまで多くの学者達が論じてきました。
トマトケチャップの歴史は長いとはいえないのですが、「ケチャップ」という言葉の由来を示す決定的な資料が残されていないため、ケチャップの語源については様々な説がこれまで唱えられてきたのです。

            ○

例えば、スペイン語やポルトガル語でソースを意味する「escabeche(エスカベチェ)」に由来するとか、魚をスパイスや酢に漬け込む料理の「cabeach(カビーチェ)」が語源であるといわれたりもしました。

1909年に、アメリカの化学者ビッティングが、インドネシアやマレー半島で使われた「kitjap」という言葉が「ケチャプ」の語源だとする説を発表してからは、「ケチャップ」はアジアの言葉に由来するとしたいくつかの説が唱えられるようになります。
東南アジアのいくつかの地域では、魚や果物、木の実を塩漬けにして塩辛状にしたものを「ケチャップ」とよんでおり、例えば、インドネシアでは現在でも「塩辛い醤油」を「ケチャップ・アシン」とよび、「甘い醤油」を「ケチャップ・マニス」とよんでいるのです(インドネシア語でトマトケチャップは「ケチャップ・トマット」)。

            ○

魚を塩漬けすることで作る魚醤を中国南部では「ketsiap」といい、この言葉がケチャップの語源になったのだとか、この中国南部の言葉である「ketsiap」がマレー半島に伝わりマレー語として使われるようになった後に、ヨーロッパに伝わって「ケチャップ」の語源になったとも考えられました。
確かに、17世紀にイギリス人がマレー半島で盛んに貿易を行っていた頃、この地でトマト栽培は既に行われており、トマトが塩や香辛料に漬けられていた可能性も否定できないのです。

            ○

ケチャップの語源になったかどうかはともかく、魚や野菜を漬け込んだ後に残る漬け汁をマレーの人々が捨てずに料理に利用していたのは事実であることから、18世紀頃、マレー半島で貿易に携わっていたイギリス人が漬け汁をソースとして利用する方法を覚え、本国に帰ってこのソースを伝えたのだろうということは半ば定説化しているようです。

            ○

イギリス商人がアジアで聞いた名を口伝したためか、英語のケチャップには、「Ketchup」や「Catsup」「Catchup」など幾つもの綴りができてしまいました。
イギリスからアメリカにトマトケチャップが伝わり大量生産が始められるようになっても綴りの混乱は続き、トマトケチャップ製造会社大手のハインンツ社ではラベルの印字に「Ketchup」と「Catsup」の両方の綴りを使っていた時期があり、20世紀初めになってようやく「Ketchup」に統一しています。
デルモンテ社は「Catsup」という綴りを長い間使っていましたが、世の主流に合わせて1988年に「Ketchup」に変更した経緯があります。
欧米の綴りの不統一の影響を受けて、ケチャップが初めて紹介された明治時代の日本でもケチャップの名称は曖昧だったようです。
洋書にケチャップが様々な綴りで書かれていたことから、それらの洋書をもとにケチャップを紹介した日本の書籍でも「カットサップ」や「カツアップ」など色々な読みがなされています。

            ○

1700年代初めにイギリスの貿易商達がマレー半島で覚えた味を再現したとされる初期のトマトソースは辛味のあるものだったようです。
その後、牡蠣や胡桃、茸などが加えられるようになり、様々なバリエーションのケチャップが作られるようになりました。
1727年にイギリスで出版された『Complete Housewife』という本にトマトケチャップの作り方が初めて載せられています。
このレシピの材料にはアンチョビーも使われており、ケチャップのルーツはアジアの塩漬け魚だという説を裏付けるものではないかとも捉えられています。

            ○

19世紀にイギリスで発刊された料理書『Huse-Keeper's Pocket-Book』には5種類のトマトソースと3種類のトマトケチャップの作り方が載せられていますが、これらは家庭で使うために書かれたもので、この当時にはまだ市販品のトマトケチャップは流通しておらず、この頃のイギリスでトマトケチャップは一般には馴染みの薄いものでした。
トマトケチャップの市販品が大量生産されるようになったのは1900年以降のことで、第一次大戦後になってようやくイギリスの一般家庭にトマトケチャップは普及しています。

その後、ウースターソース同様、トマトケチャップはイギリス人には欠かせない調味料となりました。
ヨーロッパには「フランスには一つの宗教と360のソースがあり、イギリスには360の宗教とたった一つのソースがある」という諺があるそうです。
一つのソースというのは言い過ぎですが、食材や料理に合わせていくつものソースを作るのではなく、とりあえずウースターソースやトマトケチャップを何の料理にでも掛けて済ませてしまうというイギリス人を揶揄する意味がこの諺には込められているのです。

<参考書籍>

橘みのり(1999)『トマトが野菜になった日—毒草から世界一の野菜へ』草思社
シルヴィア・ジョンソン(1999)『世界を変えた野菜読本—トマト、ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシ』晶文社
石毛直道(2004)『食卓の文化誌』岩波書店
吉田 豊(1995)『食卓の博物誌』丸善
前川健一(1988)『東南アジアの日常茶飯—食文化観察ノート』弘文堂

<トマトケチャップ関連>

小池芳子の手づくり食品加工コツのコツ〈1〉ジャム類・ジュース・ケチャップ・ソース 小池芳子の手づくり食品加工コツのコツ〈1〉ジャム類・ジュース・ケチャップ・ソース
小池 芳子


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ケチャップ娘がやってきた! ケチャップ娘がやってきた!
ラス・ケチャップ


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2006/07/24

酢の歴史

バビロニアとは古代の地域名で、メソポタミア(現在のイラク)の南部地方のことです。
紀元前1894年にはこの地方からバビロニア王国が興り繁栄したこともありました。

この古代帝国ができるより以前の紀元前5000年には、バビロニアでナツメヤシや干しぶどう、ワインなどから酢が作られていたことが分かっています。

          ○

酢が登場するヨーロッパの最も古い文献は旧約聖書のルツ記だといわれています。
「ここへきて、パンを食べ、あなたの食べるものを酢に浸しなさい」という記述です。
新約聖書にも酢は登場しています。
キリスト臨終の場面でも、キリストが最期に酸っぱいブドウ酒を口にしています。

          ○

酢は、空気中の酢酸菌がアルコールを分解して酢酸に変えることでつくられます。
酒が酢に変わるということは言葉の由来にもなってきました。

英語の「vinegar」の語源はフランス語の「vin(ワイン)」と「naigre(酸っぱい)」の合成語に由来しています。
つまりビネガーとは酸っぱいワインという意味を持っているのです。
中国でも酢のことを昔は「酸っぱくなってしまった酒」の意味で「苦酒(クオウチュウ」と書きました。
6世紀のころ中国から日本に酢が伝わった当時、日本でも酢は「酸酒(からさけ)」と呼ばれました。

          ○

日本で酢の大量生産が始まったのは江戸時代になってからのことです。

奈良時代の頃に中国から日本に伝えられた酢の作り方は米と麹と水を原料としたものでした。
しかし、江戸時代になって酒粕を使って酢を造る方法が考案されます。
酒粕を2〜3年貯蔵するとアルコール分とうま味成分が増え、これを水に混ぜた後に濾過すると「酢もと」とよばれるものができます。
酢もとを酢酸発酵させると酢ができあがります。
尾張の造り酒屋だった中野又左衛門がこの方法を考案し、1804年に中埜(なかの)酢店を開業しました。
これがあのミツカン酢の株式会社ミツカングループの始まりとなりました。

          ○

戦後の米不足の時代には氷醋酸と水にグルタミン酸ソーダやブドウ糖を混ぜた合成酢が出まわりました。
その後食料事情が改善し合成酢は減り、一般には醸造酢がお店の棚の殆どを占めるようになります。

醸造酢とはいっても現在は二種類が販売されています。
一つは二ヶ月以上の時間を掛けて昔と同じやり方でつくる醸造酢で、もう一つは発酵時間を2〜3日に短縮させてつくられるものです。

また、関東の寿司屋では酒粕から造る粕酢が好まれ使われたりしますが、関西では米酢が主流になっています。

<参考書籍>
小泉武夫 (2000)『漬け物大全—美味・珍味・怪味を食べ歩く』平凡社
石毛直道(2004)『食卓の文化誌』岩波書店
柳田友道(1991)『うま味の誕生—発酵食品物語』岩波書店

<関連商品>

鹿児島産 かめ仕込み玄米黒酢 900ml

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