2007/03/18

そら豆嫌いなピタゴラス

日本でそら豆は秋にまかれ春になると収穫が始まります。
一番おいしくなるのは4月から6月の間です。
そら豆は収穫された後にみるみる鮮度が落ちるため、朝採りのものをその日の内に食べるのが理想といわれます。

            ○

そら豆の原産地は地中海沿岸から中近東にかけての地域です。
紀元前2500年頃のものと考えられる湖上住居跡がスイスで発見され、その遺跡からそら豆が発見されており、太古から人間がそら豆を用いてきたことが分かっています。

            ○

古代ローマやギリシャでは乾燥そら豆にニンニクとタマネギを加えた料理を食べていたようです。
また、ギリシャでそら豆は投票での投票札代わりにも利用されていました。

            ○

古代においてそら豆は儀式にも利用されています。
そら豆には死者の魂が宿ると考えられていたからです。

紀元前5世紀頃のエジプトでは、死者の魂が宿るそら豆を神官が嫌ったため、庶民もそら豆を食べなかったということが記録に残されています。
古代ローマやギリシャでもそら豆は死者の魂や出産と結びつけて考えられており、死者の供養にそら豆が用いられました。

            ○

地中海や中近東を中心に栽培が始まったそら豆はその後アジアにも伝わり、中国ではあの豆板醤の原料にされたのです。

四川料理「天悠」の自家製調味料』によれば、豆板醤は長江沿いにある四川省郫県(ピィシェン)などで生まれ、豆板醤の「豆板」とはそら豆のことを指し、正しくは「豆瓣」と書くようです。
日本のスーパーなどで販売されている豆板醤は発酵期間が短く辛味だけが強調されていますが、長時間の熟成で旨味をたっぷり含んでいるのが本来の豆板醤の特徴だといいます。

四川の伝統的豆板醤造りでは、夏の暑い時期に乾燥させたそら豆を砕いて皮を取り除き、一晩水に浸けた後、水を切ってからカボチャの葉などで覆います。
すると数日でカビが繁殖するので、これに塩や小麦粉、そしてとうがらしや花椒(かしょう)などをを加えて壺に入れて熟成させて造られます。

            ○

そら豆は中国から日本に伝来したと考えられていますがその時代は明らかになっていません。
ただ、室町時代末期の文献にそら豆の栽培について書かれたものがあるようです。

「まめ」とは、形が「まるみ」を帯びていることに由来した言葉だという説があります。
そして「そらまめ」という言葉は、そら豆が生っているときにサヤが空を向いているためにその名がつけられたといいます。
そら豆は「蚕豆」とも書きますが、これはサヤの形が蚕に似ているためだという説や、蚕の季節に豆がなるためだという説があるようです。

            ○

ところで、そら豆の原産地である地中海周辺や中近東地域のスペイン、イタリア、ギリシャ、アルメニア、ユダヤなどではそら豆アレルギーの人が多くいます。
これは遺伝的病気だと考えられており、特にそら豆を生で食べたり花粉を吸うと発症しますが、加熱したそら豆でも発症の危険があるようです。
このアレルギーをもつ子供が花粉を吸った場合、ショック症状を起こして一日から二日の間に死亡することがあり、大人でも回復までに四週間ほど掛かります。

            ○

3010920170 紀元前6世紀頃の古代ギリシャの哲学者であるピタゴラスもそら豆アレルギーだったのではないかといわれています。
ピタゴラスは、弟子達にそら豆を食べたり、そら豆畑に近づくことを禁じていたからです。

ピタゴラスの最後についてはいくつかの説がありますが、その一つはそら豆に関連しています。
敵に追われて逃走したソクラテスはそら豆畑に行き当たり、そら豆畑に入る以外に逃げ道がなくなったため、やむなく逃げるのを断念して敵に捕まって処刑されたというのです。

ピタゴラスも死者の魂がそら豆に宿ると信じていたようなので、そのためにそら豆を食べることを弟子達に禁じたとも考えられますが、死を目前にしてそら豆畑に入ることを嫌ったのだとしたら、苦しいアレルギー症状よりも死を選んだのではないかとも想像されるのです。

<参考書籍>

吉田よし子(1998)『野菜物語—大地のおいしい贈りもの』TOTO出版
吉田よし子(2000)『マメな豆の話—世界の豆食文化をたずねて』平凡社
日本ベジタブル&フルーツマイスター協会(2003)『野菜のソムリエ—おいしい野菜とフルーツの見つけ方』小学館
月刊食生活編集部(1992)『グルメのおもしろ語源集—食べものふしぎ博物館』コア出版
シルヴィア・ジョンソン(1999)『世界を変えた野菜読本—トマト、ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシ』晶文社

<そら豆関連>

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からだイキイキ!豆食生活—大豆・いんげん豆・えんどう豆・そら豆etc. からだイキイキ!豆食生活—大豆・いんげん豆・えんどう豆・そら豆etc.
ユーイーピー 永山 久夫


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2007/03/11

キャベツとレタスは似て非なるもの

キャベツは一年中店頭に並ぶ野菜ですが、秋に種が蒔かれて3月から5月頃に掛けて収穫されるものは春キャベツと呼ばれます。
通称を春玉といいます。
春キャベツは全体的に丸い形をしており、葉が柔らかいのが特徴です。
冬期に栽培するため温暖な地域でつくられ、愛知県や千葉県銚子、神奈川県三浦などが主産地になっており、群馬県の前橋でつくられる春キャベツも有名です。

            ○

春に種が蒔かれ夏から秋に掛けて収穫されるキャベツは夏秋キャベツといいます。
甘味のあるのが特徴です。
夏秋キャベツは高原で栽培されるため、高原キャベツとも呼ばれ、群馬県嬬恋や長野県産のものがよく知られており、岩手県や北海道も主産地です。

            ○

冬キャベツは秋や冬に収穫されるキャベツです。
平べったい形をしており、葉が白いのが特徴で、冬玉とも呼ばれます。
愛知県渥美町や千葉県などが主産地になっています。

            ○

春キャベツや夏秋キャベツの葉は水分を多く含んでいるため柔らかく、生で食べるのに向いており、冬キャベツの葉は煮ても形が崩れないので煮込み料理に最適です。

            ○

640design1 キャベツとレタスは似ていますが、レタスがキク科植物の一年草(または二年草)であるのに対して、キャベツはアブラナ科で本来多年草の植物です。(関連:「レタスやサラダ菜」)
そのためキャベツの花は菜の花に似ています。
最近のDNAによる調査によって、キャベツや白菜、カラシナなどのアブラナ科野菜の大元の原産地は中央アジアだということが判明しています。

            ○

やはりアブラナ科植物で「青汁」の原料にもされるケールはキャベツの祖先だと考えられています。
ケールはもともと地中海沿岸地方に自生していましたが、これが各地に広まり、その環境に合わせて改良が施され、ブロッコリーやカリフラワー、コールラビ、芽キャベツなどが生まれました。

キャベツもケールからの改良野菜の一つとして誕生したのです。
海岸地域に自生していたキャベツの祖先にあたる植物は、強い日差しや乾燥に耐えるため厚い葉を持っていたと考えられており、これが現在のキャベツの一つの特徴である厚い葉に受け継がれているといわれています。

            ○

キャベツの祖先であるケールは結球しない植物です。
キャベツが球状になるように改良されたのは1150年代のドイツだといわれています。(関連:「ザウアークラウトの作り方」)

日本へは1706年にオランダ人によって初めてキャベツがもたらされました。
しかしこのキャベツは食用ではなく、球形にならない花のように葉が開く植物で、紅夷菘(おらんだな)の名前が付けられていました。
これが後に観賞用として「葉牡丹」へと改良されていったのです。

            ○

現在食用にしている球形キャベツが日本に持ち込まれたのは幕末のころです。
しかしこの当時は横浜や函館に住む欧米人が小規模に栽培していただけでした。

明治29年になると、ようやく東京近郊でもキャベツ栽培が行われるようになり、一般市場にキャベツが出回るようになります。
それまで、キャベツは玉菜(たまな)や中国名の甘藍(かんらん)の名で呼ばれていましたが、この頃の文献には「キャベイジ」という呼び名も登場し始めています。
明治時代に洋食が流行するにつれキャベツの消費も伸びていき、その後、キャベツは日本人にとって欠かせない野菜の一つになっていったのです。

            ○

ところで、キャベツを買うときは、中型で、切り口の芯が500円玉より小さく新しいものを選ぶのがポイントです。
芯の切り口がひび割れしているものは避けた方が無難です。
隙間なく葉がぎっしり詰まったものが良いキャベツで、同じ大きさなら持ってみて重いものの方が良品です。
軽い方が良いとされるレタスとは逆です。(関連:「レタスやサラダ菜」)
丸ごとではなくカットされた状態でも売られていますが、仮に1/4にカットされたキャベツは丸ごとのものに比べて1.6倍も呼吸量が多いため、より早く品質が落ちてしまいます。

            ○

キャベツの葉にはビタミンCとカロテンが多く含まれています。
また、キャベツはビタミンUを含んでおり、このビタミンUは胃の粘膜を強化したり胃潰瘍を防ぐ働きをします。
胃腸薬で有名な「キャベジン」はキャベツの成分から作られているといいます。
ただしビタミンUは加熱すると容易く壊れてしまいます。
ビタミンUを摂取するにはキャベツを生で食べたほうが良いようです。
柔らかい春キャベツを千切りにして食べたり、味噌をつけてバリバリ食べるのはおいしいだけでなく、胃にも優しいということです。

<参考書籍>

高橋素子(2001)『Q&A 野菜の全疑問—八百屋さんも知らないその正体』講談社
日本ベジタブル&フルーツマイスター協会(2003)『野菜のソムリエ—おいしい野菜とフルーツの見つけ方』小学館
浪川寛治三(1996)『野菜物語—たべもの探訪』一書房
大場秀章(2004)『サラダ野菜の植物史 新潮選書』新潮社

<キャベツ関連>

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月とキャベツ 月とキャベツ
篠原哲雄 山崎まさよし 真田麻垂美


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小林カツ代のキャベツ大好き 小林カツ代のキャベツ大好き
小林 カツ代


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2007/03/04

筍の選び方とゆで方

竹の若芽であるたけのこの旬は4月から5月に掛けてです。
「筍」という字は「旬内に竹の子となり、旬外に竹となる」という意味からきています。
通常たけのこを採るときは、地表から芽が出る寸前か、芽が少し出たところを掘り出します。
芽が出てそのまま10日も放っておくとたけのこは竹になってしまいます。

            ○

99012 たけのこを採るために育てられている竹には孟宗竹(もうそうちく)や淡竹(はちく)、苦竹(まだけ)などがあります。
孟宗竹の皮には毛が生えており、淡竹の皮は赤紫色をしています。
また、孟宗竹は淡竹よりも太いのが特徴です。
苦竹のたけのこは初夏に出回り、苦味が強いもので、そのため苦竹という字が宛てられたようです。

            ○

一番生産量が多いのは孟宗竹のたけのこです。
「モウソウチク」の名は中国の『二十四孝』に出てくる孟宗の話しに由来しています。
たけのこを食べたいという病気の母親のために、孟宗が真冬にたけのこを探したところ、雪中に生えるたけのこを見つけて掘り出し、このたけのこを食べた母親は病を治すことができたという親孝行のお話しです。

            ○

孟宗竹は別名を江南竹といいます。
これは孟宗竹の原産が中国の江南地方であるためです。
温暖地域で育つ竹であるため、日本では岩手県より北の地域では生育しません。

孟宗竹が日本に入ってきたのは1700年代前半の江戸時代の頃です。
中国から琉球を経て薩摩に入り、1800年代前半に江戸の薩摩藩邸に移植されました。

            ○

淡竹や苦竹も平安時代の初期に中国から日本に伝来したといわれていますが、これらの竹は日本に古来から自生していたという説もあるようです。

            ○

Yun_205たけのこは見た目で雄と雌の区別をすることがあります。
形が円錐形状でずんぐりとした感じで、色が白っぽいものは雌筍とよばれ、長い円錐形で色が黒っぽいものは雄筍とよばれます。
雌筍を白子、雄筍を黒子と呼ぶこともあるようです。
一般的に雌筍の方が味は良いとされています。

            ○

ところで、穂先が黄色いたけのこは日に当たった時間が短いことを示してます。
逆に穂先が黒っぽくなったものや濃い緑色をしたものは穂先が地上に突き出た後、時間が経ってから掘り出されたもので、日に当たった時間が長いために筋張ってえぐみが出ている可能性があります。 
全体的に淡い黄色をしているのが良いたけのこで、切り口が白く瑞々しい感じのするものが良品です。
逆に切り口が茶色くなってぬるぬるしたものは古いたけのこです。

            ○

掘ったばかりのたけのこにはアクが少なく刺身にして食べることもできますが、時間が経つとアクが強まるので、店先で売られているものを食べるには、二時間は茹でる必要があります。

たけのこは皮がついたままの状態で茹でますが、穂先は斜めに切り落とし、皮には切れ込みを入れます。
たけのこを皮ごと茹でるのは、皮の内側の温度を一定に上昇させることで繊維質を柔らかくする時間を短縮できるのと、皮の中に含まれる亜硫酸塩の働きで繊維が柔らかくなり筋っぽさが減るためです。
しかし皮付きで茹でるとアクが外に出にくくなるため、穂先を切り落としたり皮に切れ込みを入れて、えぐ味のもととなるホモゲンチジン酸やシュウ酸を茹で汁の中に出し易くするのです。

茹で汁には米糠や米のとぎ汁を入れます。
糠やとぎ汁を入れることで、これらの中に含まれるでんぷん粒子がゆで汁に浮かび、アクを吸着してくれるのです。
糠を使う場合、水1.8リットルに入れる糠の量は一握りが目安になります。
掘り出してから時間が経ってアクが強くなったたけのこを茹でるときは、米糠やとぎ汁の他にタカノツメを入れると良いようです。

            ○

Bamboo店で売られるたけのこの水煮のひだの部分に白い固まりがついていることがあります。
この白いものはたけのこが含むチロシンという物質です。
茹でている間に茹で汁にチロシンが溶け出し、その後固まったものなのです。

チロシンはタンパク質を構成するアミノ酸の一種です。
もちろん無害であり、新陳代謝を促す働きがあります。

たけのこに含まれる栄養は少ないのですが水溶性食物繊維であるセルロースを多く含んでおり、このセルロースがコレステロールの摂取を抑制する働きをしてくれます。

そして、栄養よりも何よりも、日本人にとってたけのこは春の味覚です。
若竹煮や天ぷら、たけのこご飯などを楽しみながら、春の到来を感じることができる食材なのです。

<参考書籍>

高橋素子(2001)『Q&A 野菜の全疑問—八百屋さんも知らないその正体』講談社
浪川寛治三(1996)『野菜物語—たべもの探訪』一書房
吉田よし子(1998)『野菜物語—大地のおいしい贈りもの』TOTO出版
日本ベジタブル&フルーツマイスター協会(2003)『野菜のソムリエ—おいしい野菜とフルーツの見つけ方』小学館
小泉武夫(2005)『小泉武夫 食のワンダーランド』日本経済新聞社

<たけのこ関連>

タケノコの丸かじり タケノコの丸かじり
東海林 さだお


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雅竹 特上青竹アジロ編み弁当 小 70-042B 雅竹 特上青竹アジロ編み弁当 小 70-042B

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2006/12/31

大根いろいろ

世界に類がないほど日本では各地で多種多様な大根がつくられています。
日本に数多くある大根の品種は大きく三つに分類することができます。

            ○

一つは明治時代に日本に持ち込まれた紅色のラディッシュとも呼ばれる二十日大根です。
二十日大根はヨーロッパ系の小型大根で、サラダなどにして食べられています。

            ○

そしてあとの二種類は、根の部分に含まれる澱粉の量が少なく水分量が多い品種と、逆に澱粉量が多く水分が少ないものとに大別できます。

日本に最初に伝わった大根は澱粉が少なく水分の多いタイプの大根だったと考えられています。
「練馬大根」「三浦大根」「青首大根」「方領大根」「守口大根」「聖護院大根」「田辺大根」「桜島大根」などがこのタイプに入ります。

澱粉が多く水分が少ないタイプの大根は根の部分が硬く保存性にすぐれ、強い辛味を持つという特徴があり、漬け物の材料として利用されています。
中部地方や東北地方で多く栽培されており、京都の「鼠大根」や「辛味大根」はこの型に含まれます。

            ○

大根は澱粉や水分の量によって分類される他に、その祖先にあたる品種で区別される場合もあります。
例えば、愛知県春日井市原産の宮重系大根や、神奈川県三浦半島原産の三浦系大根、美濃早生系大根、京都の聖護院系大根などの系統で区別されるのです。

現在の市場で多く出回っている青首大根は宮重系です。
練馬大根も宮重系大根をルーツとしており、江戸時代に江戸近郊で品種改良された宮重系大根が練馬大根になったといわれています。

            ○

全国的に流通しているわけではないのに知名度の高い品種に桜島大根があります。
知名度の高さはご存知の通りその巨大な大きさ故です。
桜島大根は小さいものでも4キログラム、大きいものになると30キログラムもあり、過去最大のものとしては45キログラムという記録が残されています。
170年以上前の薩摩藩の記録にこの大根についての記述があり、桜島大根の栽培の歴史もかなり長いといえます。
桜島大根は愛知の方領大根の変種から作られたという説や、桜島に自生していた浜大根が原種だという説、国分大根を西桜島に持ち込んで栽培してみたところ桜島大根が誕生してしまったという話しもあり、そのルーツには諸説があります。

            ○

江戸時代末に尾張から現在の京都市左京区聖護院に長大根が持ち込まれ、短いものを掛け合わせて栽培していくうちに丸形の大根ができるようになりました。
この丸い大根が後に聖護院大根と呼ばれるようになったのです。
聖護院大根はおでん用の大根として有名です。
(聖護院大根について、「千枚漬の材料として有名」と紹介しましたが、千枚漬で全国的に有名になった京野菜は聖護院かぶでした。上記のように訂正させて頂きます。)

            ○

京都原産の大根には辛味大根もあります。
辛味大根は京都市北区鷹ヶ峰で400年以上前から栽培され始めたと言われており、やはり長い歴史をもつ品種です。

            ○

その他の変わり種大根としては、2メートルにも成長し粕漬けの材料にされている名古屋の守口大根や、外皮が褐色になる黒大根などがあり、一口に大根といってもその色や形は千差万別です。

            ○

名の通った大根の有名品種の原産地は大都市近郊が多いようです。
肥料といえば下肥(排泄物)に頼っていた江戸時代に、都市部で回収した肥やしを川船に載せて上流に運び、川の上流地域でこの下肥を使って野菜が栽培されていました。
上流域でつくられた野菜は船に載せられて消費地である下流域の都市部に運ばれ、都市部で消費された野菜はやがて下肥に変わり再び野菜栽培に使われたわけで、この野菜と下肥のサイクルが確立されていたことが、大都市近郊で優れた大根の品種が誕生した理由の一つだと考えられています。
例えば練馬や宮重、聖護院などはそれぞれ江戸、名古屋、京都の近郊に位置し、これらの地から練馬大根や宮重大根、聖護院大根が誕生しているのです。

            ○

ところで、日本人は様々な品種の大根をつくり、品種の特徴に合わせた色々な大根料理を考え出しました。
「大根おろし」という食べ方も日本人によって考案されたといわれています。
大根おろしは江戸時代には既に食べられていたことが記録により確認されていますが、それ以前にも大根おろしが食べられていたかどうかは定かにされていません。
ただ、江戸時代に辛味の少ない大根が栽培されるようになり、また同時代に醤油の大量生産が可能になって一般庶民でも醤油を使えるようになったという状況を考えると、大根おろしという食べ方が江戸時代に始まったとする説は有力なようです。

            ○

大根おろしは大根が持つ特質の一面を引き出すための調理法といえます。
大根をおろすと、大根の組織内に含まれる配糖体に酵素が作用して4メチル3ブテニル芥子油という辛子に似た物質がつくられ、大根おろしは辛味をもつようになります。
また、芥子油に含まれる硫黄分はうま味や風味の素になるのです。

            ○

よく大根おろしは焼魚に添えられますが、これは非常に理にかなった食べ方です。
大根にはジアスターゼ酵素が含まれており、消化し難い魚と一緒に大根おろしを食べれば、そのジアスターゼ酵素が澱粉の消化を助けてくれます。
また、焼魚の焦げた部分に含まれるといわれる発がん性物質を分解するオキシダーゼ酵素や、古くなった魚に含まれる有害な過酸化脂質を分解する酵素なども大根には含まれており、焼魚と一緒に大根おろしを食べれば、おいしいだけではなく体のためにも良いことが最近の研究で分かってきているのです。

<参考書籍>

高橋素子(2001)『Q&A 野菜の全疑問—八百屋さんも知らないその正体』講談社
日本ベジタブル&フルーツマイスター協会(2003)『野菜のソムリエ—おいしい野菜とフルーツの見つけ方』小学館
大場秀章(2004)『サラダ野菜の植物史 新潮選書』新潮社
吉田よし子(1998)『野菜物語—大地のおいしい贈りもの』TOTO出版
タキイ種苗株式会社出版部(2002)『都道府県別地方野菜大全』農山漁村文化協会
吉田よし子(1988)『香辛料の民族学—カレーの木とワサビの木』中央公論社
浪川寛治三(1996)『野菜物語—たべもの探訪』一書房
石毛直道(2004)『食卓の文化誌』岩波書店

<大根関連>

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第6巻 大根・かぶ・白菜・クッキング 第6巻 大根・かぶ・白菜・クッキング
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大根も値切れる女—デキる女性の駆け引きのコツ 大根も値切れる女—デキる女性の駆け引きのコツ
ウェンディ ケラー Wendy Keller 北村 礼子


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考える大根 大根読本―「食と農」の博物館特別企画『大根フェスタ』記念発刊 考える大根 大根読本―「食と農」の博物館特別企画『大根フェスタ』記念発刊
東京農業大学 東京農業大= 東農大= 東京農大= 「良い食材を伝える会」


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2006/12/24

大根は大陸からやって来た

大根は地中海沿岸が原産地であるという説があります。
そうではなくて大根の野生種が中央アジアで生まれ、それがヨーロッパ方面と中国方面に伝播していったのだと考えている研究者もいるようです。

            ○

仮に大根が中央アジアで生まれたとしても、既に紀元前2200年という大昔に、エジプトでも大根が栽培されていました。
ピラミッド建設に従事していた労働者に、玉ねぎやにんにくと共に大根が配給されていたという記録が残されているのです。

古代ギリシャでも紀元前には大根が食べられていました。
この時代のギリシャでは、大根が金の器に盛られ神前に供えられていたようで、この野菜が珍重されていたことが伺えます。

            ○

紀元前1100年に編纂された中国最古の辞書『爾雅(ジガ)』にも大根についての記述があります。
中国で大根は「盧葩(ルパ)」や「莢菔(ラパ)」、「羅蔔(ロポ)」と呼ばれていたこともあったようです。
インドネシアで大根を意味する言葉の「lobak(ロバ)」は中国語の蘿蔔が語源になっていると考えられています。
日本語で千切りにした大根を「千六本」といいますが、これも中国語で大根の千切りを意味する「繊羅蔔(チェンロポ)」という言葉に由来しているのです。

            ○

日本に大根が伝わったのは紀元前三世紀ころの縄文時代後期頃という説があります。
弥生時代には里の周辺で里芋や豆などと共に大根が栽培されていました。

8世紀に書かれた日本最古の文献である『古事記』にも大根が出てきます。
『古事記』の中に仁徳天皇の歌があり、この歌の中に大根が詠み込まれているのです。

つぎねふ 山城女の 木鍬持ち
うちし大根 根白の 白腕
纏かずば来ばこそ 知らずとも言はめ

この歌で仁徳天皇は皇后の腕が大根のようだとしており、皇后の腕の白さを褒めるための比喩として大根が使われています。
仁徳天皇の別の歌には「於朋泥(おほね) 」として大根が詠み込まれたものがあるようですが、『古事記』の中の仁徳天皇の歌に登場する「大根(おほね)」という表記が日本の文献に出てくる最古のダイコンについての記述とされています。

            ○

日本ではダイコンを「大根(おほね)」と呼ぶ他に「土大根(つちおおね)」と呼んでいた時代もあったようですが、江戸時代になると「だいこん」という呼び名が一般的に定着しました。

その江戸時代には、大根は米や麦などと同格の食品として扱われ、飢饉対策の面から大根栽培は重視されていたといいます。

長い歴史を経て、外来の野菜であった大根は、まるでもともと日本に自生していた植物のように日本人には馴染み深い野菜となりました。
現在でも日本では、じゃがいもに次いで大根が最も生産量が多い野菜であり、日本人の食とは切っても切り離せない食材であると言えます。

            ○

日本の大根栽培の長い歴史の中で、太さや大きさが異なる様々な品種の大根がつくられました。
しかし、もしも同じ品種が店頭で売られている場合は、太くてズッシリと重いものを選んだ方が良いようです。
重量があるものは生育が良く水分を多く含んでいる証拠だからです。
その他の良品の見分け方としては、根の数が少なく白い部分の外皮が滑らかでツルッとした感じのものを選ぶと良いといいます。
カットされているものを選ぶときは、断面にスが入っておらず、きめが細かくて水分を多く含んだ感じのものを選ぶと良いようです。

大根に葉をつけたままにしておくと、葉が養分を吸収してしまい、白い根の部分の栄養が減少してしまうので、葉付きの大根を購入後は、なるべく根に近いところで葉を切り落としてから保存して下さい。
もちろん葉の部分は捨てるのではなく、漬物や味噌汁、細かく切って炒めて食べてもおいしいですね。

<参考書籍>

高橋素子(2001)『Q&A 野菜の全疑問—八百屋さんも知らないその正体』講談社
日本ベジタブル&フルーツマイスター協会(2003)『野菜のソムリエ—おいしい野菜とフルーツの見つけ方』小学館
大場秀章(2004)『サラダ野菜の植物史 新潮選書』新潮社
吉田よし子(1998)『野菜物語—大地のおいしい贈りもの』TOTO出版
タキイ種苗株式会社出版部(2002)『都道府県別地方野菜大全』農山漁村文化協会
吉田よし子(1988)『香辛料の民族学—カレーの木とワサビの木』中央公論社
浪川寛治三(1996)『野菜物語—たべもの探訪』一書房
石毛直道(2004)『食卓の文化誌』岩波書店

<大根関連>

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おでんくん だいこん先生 S おでんくん だいこん先生 S

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あおくび大根ほっこり帖 あおくび大根ほっこり帖
サダタロー


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2006/11/30

ねぎから生まれた萌葱色と浅葱色

ねぎはユリ科の多年草です。
確かな原産地は不明ですが中央アジアや中国の西部地方で栽培され始めたのではないかと考えられています。
紀元前30年代の中国でも皇帝の食事用にねぎがつくられていたことが記録に残されています。
冬期の間も囲いと屋根で覆われた畑の中で昼夜火が燃やされ、今でいう温室栽培のような環境で皇帝用のねぎが大切に栽培されていたことが書き残されているのです。
2千年前の中国の文献の『礼記(らいき)』では、ねぎは「野菜の中の筆頭」だとさえ述べられており、当時の中国でねぎが珍重されていたことが伺えます。

            ○

日本の平安時代中期に作られた辞書である『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』の記述を根拠として、ねぎは中国から日本に伝えられたと考えられています。

ねぎの日本での古名は「き」といい、このことから室町時代にはねぎを隠語で「一文字(ひともじ)」ともいいました。
ねぎの総称をとして「き」という呼び名が使われ、「き」には「葱」という字が宛てられました。
江戸中期に編まれた国語辞書『倭訓栞』によれば、「き」という名は「臭気」の「気」に由来しているといいます。

            ○

「葱(き)」の根と考えられた部分(実際には葉の基部)を食べることから、次第に「根葱」と書き表すようになり、「白根」や「根深(ねぶか)」という別名も付けられました。
「分け葱(わけぎ)」とは葱が株分かれしているという意味であり、「浅つ葱(あさつき)」は比較的香りが弱い葱ということに名前の由来があります。

色を表す言葉の「萌葱(もえぎ)」とは「葱(き)の芽のような緑色」のことを指しました。
「浅葱(あさぎ)」という色はもともと薄い青緑色を指す言葉でしたが、何時しか水色を意味する言葉として使われるようになりました。
「萌黄」や「浅黄」と書かれる場合もあるようですが、これは読みをもとにした宛て字であって本来の意味を表しているとはいえません。

            ○

長ねぎには大きく分けて、白い部分が多い根深ねぎと緑の部分が多い葉ねぎがあります。
根深ねぎは中国北部地方で作られるようになり、その後、南部で葉ねぎが作られるようになったと考えられています。
日本へは奈良時代の頃に両種類のねぎが持ち込まれ、関東では根深ねぎが、関西では葉ねぎが好まれるようになりました。
根深ねぎを作るには、ねぎの白い部分を作るために耕土を20〜30センチ掘り、ねぎが伸びる度に土を掛けて日光から遮断する必要があります。
火山灰のローム層が堆積している関東では深い穴が掘り易い柔らかい耕土が多いのに対して、関西では花崗岩や粘土が混じった堅い土壌が多く、層も薄いため土寄せする必要のない葉ねぎが主流になったと考えられています。
また、冷涼な気候でねぎを栽培した方が軟泊(なんぱく)させるのに適しており、このことも関東で根深ねぎが好んで栽培された理由の一つではないかといわれています。
ちなみに、葉ねぎの方が栄養価は高いといわれますが、根深ねぎの緑の部分にもカロテンが豊富に含まれています。

            ○

根深ねぎには千住ねぎ系の深谷ねぎや加賀太ねぎ系の下仁田ねぎなどがあり、葉ねぎには九条ねぎ系の九条太ねぎや九条細ねぎなどがあります。
深谷ねぎは埼玉県深谷で盛んに栽培されており、茎が太くて柔らかいという特徴があります。
九条太ねぎは葉ねぎの代表格で西日本で多く消費されています。
九条太ねぎに形が似ていて葉肉の薄いものが九条細ねぎで、博多万能ねぎはこの仲間になります。

下仁田ねぎは群馬県の特産で甘味を多く含んでいるため鍋に向いており、ねぎの王様と呼ぶ人さえいます。
下仁田ねぎ栽培の歴史は二百数十年ともいわれ、江戸時代に将軍家や大名にも献上されたことから「殿様ねぎ」の別名もありました。
下仁田ねぎの発祥地が甘楽群西牧村大字西野牧字小出屋であったため、明治時代には「西牧ねぎ」の名で流通されていましたが、農産物の産地としては下仁田の方が知名度があったので「下仁田ねぎ」の名に変えられたといいます。

            ○

ところで、禅宗の寺の門前に「不許葷酒入山門」(葷酒山門に入るを許さず)という石碑が置かれているのを見かけることがあります。
この石碑の文言は韮(にら)やにんにくなど、臭いの強いねぎ類の野菜や酒の寺への持ち込みとそれらを摂取した人の入門を禁じることを意味してます。
精神統一が求められる禅宗の修行で強壮作用があるねぎ類は修行の妨げになるとして修行僧から遠ざけられたのです。
確かにねぎ類が含むアリシンには殺菌作用やビタミンB1の吸収を促進させる働きがあり、ねぎ類を食べることで活力や強壮作用を高める効果が期待できます。
また、アリシンには喉の痛みや咳を抑える働きもあり、ちょっとした風邪対策にねぎを食べることは有効です。
11月から12月に掛けてねぎは一番おいしくなります。
忙しい師走を乗り切るために、旬のねぎを意識して食べてみては如何でしょうか。

<参考書籍>

高橋素子(2001)『Q&A 野菜の全疑問—八百屋さんも知らないその正体』講談社
タキイ種苗株式会社出版部(2002)『都道府県別地方野菜大全』農山漁村文化協会
日本ベジタブル&フルーツマイスター協会(2003)『野菜のソムリエ—おいしい野菜とフルーツの見つけ方』小学館
張競(1997)『中華料理の文化史』筑摩書房
月刊食生活編集部(1992)『グルメのおもしろ語源集—食べものふしぎ博物館』コア出版
石毛直道(2004)『食卓の文化誌』岩波書店
安達巌(2004)『日本型食生活の歴史』新泉社

<ねぎ関連>

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2006/11/13

ごぼうと食物繊維と牛蒡料理

ごぼうの野生種とされる植物がヨーロッパやシベリア、中国の北東部などに生息しており、これらがごぼうの原種と見られています。
例えば、ヨーロッパには日本で西洋ごぼうとよばれる「サルシファイ(salsify)」(別名バラモンジン)というごぼうに似た二年草が生息しています。

            ○

日本でごぼうの野生種は見つかっていませんが、ごぼうを食べる唯一の国が日本だと言われています。
欧米でごぼうは牧場をだめにする繁殖力の強い雑草として扱われており、一般的には常食される野菜とはいえません。
第二次大戦中に日本軍の捕虜管理責任者が米兵捕虜の食事にごぼうを出したところ、戦後の戦争裁判で捕虜に木の根を食べさせた虐待行為で有罪判決を受けたという話しすらあります(ただし、しはしば語られるこの逸話が事実であるという確証は示されていないようです)。
中国でごぼうは利尿作用を促したり化膿を止める薬草として用いられましたが料理には使われませんでした(最近になって、日本への輸出用にごぼうを栽培している中国の一部の地域では徐々にごぼうが食べらるようにはなっています)。

            ○

奈良時代から平安時代初期の頃に、薬としてごぼうが中国から日本にもたらされ、後に食用野菜にされました。
中国語名の「牛蒡」を日本語読みしたことこから「ごぼう」の名がつけられています。
古くはごぼうの別名を「悪実(あくじつ)」ともいいました。
これはごぼうの花の外側につく咢(がく)に鉤針状のトゲがあり、これが衣服に付着し易いことから名付けられたものです。

            ○

ごぼうは殆ど栄養を含んでおらず、消化もされずに胃腸を通り過ぎてしまいます。
しかし、ごぼうに含まれる食物繊維には多くの効能があるのです。
ごぼうは食物繊維の固まりのような野菜で、白米や肉に比べて20〜30倍もの水分を吸収することができ、水分を含んで膨らんだごぼうが腸を通過するときに腸内を清掃してくれると同時に腸を刺激して腸の活動を促すため、便秘を予防したり改善する働きがあります。
また、ごぼうの食物繊維が含む水分が腸内の毒素を薄めてくれたり、人体に有害な細菌が食物繊維に吸着して体外に排泄される効果も期待できます。
逆に、人体に有益な腸内細菌であるビフィズス菌などにとっては食物繊維が増殖の場となり、それらの腸内細菌により生合成されるビタミンによって免疫力が高められることになります。
また、食物繊維が胆汁酸の分泌を促すことから脂肪やコレステロールの増加が抑えられることも知られており、食物繊維によって腸内での糖分の吸収速度が遅められるため、血糖値の急激な上昇が抑制されることで糖尿病予防になるともいわれているのです。
ごぼう自体に栄養がなくても、体内で栄養を作り出す機能や整腸作用の手助けをごぼうはしているわけです。

            ○

ところで、ごぼうには大きく分けて長根種と太根種があります。
細長い長根種の原種は江戸時代に滝野川村(現在の東京都北区滝野川)で品種改良してつくられた「滝野川ごぼう」だといわれています。
滝野川ごぼうは柔らかく空洞部分が少ないことから人気を得て多くつくられるようになりました。

太根種で有名なものに「堀川ごぼう」があります。
豊臣秀吉が建造した聚楽第が解体され移築された時、その掘りも埋められましたが、後の時代にその場所でごぼうが栽培されました。
掘りの跡地で栽培されたごぼうということで堀川ごぼうの名が付けられたといわれています。

実は堀川ごぼうは滝野川ごぼうと同品種なのですが、栽培方法の違いから滝野川ごぼうが細長くなるのに対して堀川ごぼうは芋のように太く短く育つようになりました。
関東ではローム層とよばれる火山灰土があるため、関東の畑で滝野川ごぼうは細く真直ぐに成長することが可能です。
しかし関西では粘土質や浅い耕土が多いため、苗床で40〜50センチまで育てられた滝野川ごぼうが、根の先端を切られてから畑に斜めに浅く植えられるようになり、根の先が伸びずに横に大きく成長する堀川ごぼうが誕生することになったのです。滝野川ごぼうとは異なり堀川ごぼうは樹木の根のように太く皮が厚くて中心には空洞があり、独特の香りと柔らかい歯ごたえが楽しめます。

堀川ごぼうのように太い種類のごぼうに千葉県特産の大浦ごぼうという品種があります。
しかし大浦ごぼうは滝野川ごぼうから作られたものではなく、1000年前には栽培され始めていた滝野川ごぼうとは別品種のものです。

            ○

日本人は様々な品種のごぼうを作り出しただけでなく、色々なごぼう料理も開発してきました。
例えば、ごぼうの皮近くに多く含まれる旨味を活かすために工夫が施された「叩きごぼう」という料理があります。
叩いて粗く砕いた茹でごぼうをすり胡麻と醤油を合わせたものに絡めた叩きごぼうは室町時代にはつくられていた料理だという説があります。

ごぼうとどじょうを一緒に煮込む「柳川」という料理があります。
柳川料理は江戸時代につくられるようになったといわれており、この料理をつくった店の屋号が「柳川」だったことからこの名が付けられたといわれています。
福岡県柳川でつくられた土鍋を使ってつくられたため柳川と名付けられたという説もあるようです。

どじょうではなくうなぎを使ったものに「八幡巻き」という料理があります。
周囲が30センチになることもある太いごぼうが江戸時代の京都の八幡でつくられました。
八幡でつくられたごぼうを京都では八幡と呼ぶようになり、この八幡をうなぎで巻いてつくられる料理が「八幡巻き」と名付けられたといわれています。

家庭でもよく作られるごぼう料理に金平牛蒡(きんぴらごぼう)があります。
金平とは坂田金時の息子の金平のことですが、この金平は江戸時代の人形浄瑠璃「金平浄瑠璃」の登場人物であり実在した人ではありません。

強さの代名詞が金平だったことから、当時にしては味も歯ごたえも強い感じのするごぼう料理に金平

牛蒡の名が付けられたといわれています。

11月から1月にかけてがごぼうの旬です。
これからどんどん寒くなっていきますが、旬のごぼうを入れた豚汁なんかも増々おいしく感じられる季節がやってきますね。

<参考書籍>

高橋素子(2001)『Q&A 野菜の全疑問—八百屋さんも知らないその正体』講談社
大場秀章(2004)『サラダ野菜の植物史 新潮選書』新潮社
日本ベジタブル&フルーツマイスター協会(2003)『野菜のソムリエ—おいしい野菜とフルーツの見つけ方』小学館
浪川寛治三(1996)『野菜物語—たべもの探訪』一書房
小泉武夫(2005)『 小泉武夫 食のワンダーランド』日本経済新聞社
木村茂光(1996)『ハタケと日本人—もう一つの農耕文化』中央公論社

<ごぼう関連>

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2006/11/06

山芋のとろろと山薬

山芋は、低温貯蔵施設が導入されるようになってから出荷量が調整されつつ年間を通して市場に出回るようになりました。
しかし、山芋がおいしくなる本来の旬は11月中旬から1月の初め頃までだといわれています。

良い山芋は切った断面の色がいかにも新鮮そうな白色をしており、外側の皮は濃い茶色になっています。
表皮がデコボコしているものよりも滑らかなものの方が良品です。
外皮が極端に白い場合は漂白が施されているかもしれないので買うのは避けた方が良いかもしれません。

            ○

里で作られる里芋に対して、山に自生する芋ということで山芋と呼ばれるようになりました。(関連:「里芋と人里」)
野生種の山芋は時間を掛けて徐々に土中深く成長します。
これを収穫するには時間と労力が必要となることから、栽培用の山芋が中国で作られたといわれています。
日本では里芋が「似倍都似毛(いえついも)」と呼ばれ、山芋が「夜万都似毛(やまついも)」と呼ばれた時代もありました。
中国では、山芋が「薯薬(じょうやく)」や「山薬(さんやく)」と呼ばれたりしましたが、これは山芋が主に薬用として用いられたためです。

            ○

山芋は「ナガイモ」「ジネンジョ」「ダイジョ」の三種に大別できます。

ナガイモの中には「長いも」「銀杏いも」「つくねいも」などの種類があります。
こららの長いもや銀杏いも、つくねいもは江戸時代になってから一般に栽培されるようになりました。

長芋を手で掘り返す場合、長芋をつくる全労力の40%は掘ることに費やされるといわれています。
現在ではトレンチャーという土掘り機がありますが、それでも掘り出しは大変な作業になるのです。

「徳利いも」とよばれるものは長いもの一種で、「伊勢いも」と「大和いも」はつくねいもの一品種になります。
しかし関東では銀杏いもを大和いもとよぶことがあるようで混乱させられます。

長いもは他の山芋より10%も水分が多くサラダにするのに向いており、大和いもは粘りが強くとろろにするのに向いています。
現在、関東では銀杏いもが主に流通しており、関西ではつくね芋が多く使われています。

山芋の中でも粘りやアクが最も強いジネンジョ(自然薯)は長さが1メートルにもなり、これを掘り出すのには経験が必要となることから最高級品の山芋として扱われています。
ジネンジョには栽培されたものや自生したものがありますが、自生したものの方が粘りは強く味は良いとされています。

            ○

平安時代の頃、山芋は高級食材の一つでした。
当時は、山芋を薄く切って煮込んだものをご飯に掛けた「芋粥」という料理が作られ、貴族など上流階級層に食べられていたのです。
当時の高官が「一度でいいから芋粥を腹一杯に食べてみたい」ともらす場面が『今昔物語』にも出てきます。

            ○

山芋を使った料理で有名なものの一つに、「真の薯(いも)」を使う料理という意味で名付けられた「真薯(しんじょ)」があります。
魚のすり身と山芋と卵白などを混ぜて、えびや鮑などの魚介を入れて蒸し上げる真薯が作られるようになったのは江戸時代中期頃だといわれています。
明治や大正時代になると真薯は流行し高級料理では必ず出すようになりました。

            ○

山芋は蕎麦に混ぜられたり蒲鉾やはんぺんなどの練り物のつなぎにも使われますが、山芋と言えばなんといっても「とろろ」ではないでしょうか。
とろろをご飯に掛けた「とろろご飯」が流行ったのも江戸時代になってからだといわれています。
山芋をすったものを「とろろ」というのは、奥州トロロ山でとれる山芋がとろろにするのには最適だったからという説があります。

            ○


このとろろを麦飯にかけた「麦とろ」やまぐろの刺身にかける「山かけ」は食べておいしいだけでなく、胃に易しい食べ方でもあります。
でんぷんを分解する酵素であり消化吸収を助ける働きがあるアミラーゼやジアスターゼが山芋に含まれているため、消化しづらい麦や刺身と一緒に山芋を食べると胃の負担が軽減されるのです。

            ○

先にも述べた通り山芋は中国で「山薬(さんやく)」ともよばれ、栄養を多く含み体力回復に効果がある食べものとして利用されました。
栄養があるということと形が似ているということからか、江戸時代の百科事典『和漢三才図絵』には山芋が鰻に変わると説明されています。(関連:「うなぎと蒲焼きの語源」)

実際に、山芋にはカリウムやビタミンB、ビタミンCなどの栄養や食物繊維が豊富に含まれています。
関東では正月にとろろを食べて家族の健康を祈ったり、家の周りにとろろをまいて蛇よけにしたようで、滋養に富んだ山芋は昔から単なる食材以上の意味を持っていたようです。

<参考書籍>

日本ベジタブル&フルーツマイスター協会(2003)『野菜のソムリエ—おいしい野菜とフルーツの見つけ方』小学館
浪川寛治三(1996)『野菜物語—たべもの探訪』一書房
高橋素子(2001)『Q&A 野菜の全疑問—八百屋さんも知らないその正体』講談社
小泉武夫(2000)『納豆の快楽』講談社

<山芋関連>

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2006/10/27

さつまいもと中国と沖縄

さつまいもは、いくつかのルートを通じてアメリカ大陸から世界に広まっていったと見られており(関連:「さつまいも太古の海を渡る」)、15世紀末から16世紀頃にスペイン船によって中米からフィリピンに運ばれたルートもさつまいもの主要伝播経路の一つだと考えられています。

そして、スペインの貿易地だったルソン島(現在のフィリピンのマニラ)から、16世紀後半にさつまいもは中国南部に伝えられました。
一説によると、中国福建省の商人がルソンでさつまいもの苗を入手し、故郷に持ち帰って栽培したのが中国でのさつまいも栽培の始まりとなり、1594年に福建省で起きた飢饉が切っ掛けとなって、さつまいもが飢饉対策になることが知られるようになり、中国全土へさつまいも栽培が普及していったといわれています。

さつまいもの皮が紅紫色だったことから、当時の中国では「朱薯」としたり、外国から伝えられた芋という意味で「蕃藷」と書き表したりしました。

            ○

Potato 中国でさつまいも栽培が広まりつつあった16〜17世紀に、中国福建省の対岸に位置する琉球(現在の沖縄)にもさつまいもは伝えられました。

1597年に宮古島にさつまいもが伝来したという説があります。
宮古島の真氏砂川旨屋(しんしすながわしんや)というひとが海難に遭って中国まで流され、そこでさつまいもを知り、故郷に戻るときにさつまいもの蔓を持ち帰ったという話しが残されているのです。
しかし、この話しが事実だとしても、このときのさつまいも栽培は失敗に終わっており、さつまいもが普及するには到らなかったようです。

            ○

沖縄でのさつまいも普及の歴史で必ず登場するのが野国総管(ぬぐんそうかん)と儀間真常(ぎましんじょう)の二人です。
中国で飢饉が起きた時にさつまいもによって多数の命が救われたことを中国進貢船で中国に渡っていた琉球の野国総管が知り、1605年に鉢植えにした三品種のさつまいもの苗を持ち帰って故郷の野国村で栽培を始めました。
その後、野国総管は近隣の村にもさつまいも栽培を広めましたが、これを儀間真常(ぎましんじょう)という人が聞きつけ、さつまいもの苗を貰い受けて自分の領地である垣花村(現在の那覇市山下町)で栽培の研究を重ねたといいます。
数年後に琉球で大飢饉が起きたとき、さつまいもを栽培していた地域では餓死者が出なかったことから、新常が中央の王府にさつまいも栽培の重要性を説き、その後10年間でさつまいも栽培は琉球王国全体に広められました。

            ○

T990911農耕の歴史が始まってから、琉球でも稲や麦など様々な穀物の栽培が試みられましたが、珊瑚礁の島であることから耕作に適した土地が少なく、しかも貧土が多かったため農作物の生産性は低く、高温多湿の気候や毎年起こる台風や旱魃などによる被害も多発したため、琉球での農作はなかなかうまくいかず度々飢饉が起きていました。

その点、さつまいもは地中で生育するため少雨や強風に耐えることができ、気候条件の厳しい琉球でも栽培が可能だったのです。
狭い土地から多くのエネルギーを得ることができるさつまいも栽培は琉球の地で急速に広まりました。
さつまいもとその葉が一緒に味噌汁にされるなどして、さつまいもは庶民の主食となり、貧しい家では殆どの食事がさつまいも中心になりました。
後に琉球でさつまいもは豚の餌としても用いられるようになり、養豚も盛んになっています。(関連:「豚肉と日本人」)
さつまいもの伝来以降、琉球に住む人達の栄養状態は改善され、人口も増加していくことになりました。

            ○

その後、琉球で「ンム」とよばれたさつまいもは薩摩に伝わり、そして日本全国に広まっていきました。
さつまいもがある程度日本で普及した頃、薩摩が既にさつまいもの主産地となっていたためか、日本での呼び名は「さつまいも」になりましたが、現在でも南九州ではさつまいものことを「唐いも」や「琉球いも」と呼んでいるそうです。

<参考書籍>

坂井健吉(1999)『さつまいも』法政大学出版局
宮城重二(2003)『沖縄の食材・料理—長寿日本一を支える沖縄の食文化』東方出版
安達巌(2004)『日本型食生活の歴史』新泉社

<さつまいも関連>

半分のさつまいも 半分のさつまいも
海老名 香葉子


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沖縄離島の島あそび島ごはん 沖縄離島の島あそび島ごはん
今村 治華


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キャプテンスタッグ 焼きいも用石<3kg> M-5532 キャプテンスタッグ 焼きいも用石<3kg> M-5532

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2006/10/23

かぼちゃとハロウィンと冬至

かぼちゃと人との付き合いは古くに始まり、古代ローマ時代にもかぼちゃは健康に良いとして様々なかぼちゃ料理がつくられていたことが知られており、現在も世界中の多くの地域でかぼちゃ栽培は行われています。

            ○

日本では「ナンキン」や「トウナス」、「ボーブラ」など、各地方ごとにかぼちゃの別名が多く残されています。
これは、かぼちゃに様々な品種があることや、中国や南方など複数の経路を通じて日本にかぼちゃが伝播したためだと考えられています。

            ○

かぼちゃが日本に伝わったのは16〜17世紀頃だといわれていますが、もっと限定的に、最初の伝来は1541年7月だったという説もあります。
海難に遭ったポルトガル人が現在の大分県である豊後国(ぶんごのくに)に漂着し、カンボジアで手に入れたかぼちゃの種を領主に献上したのが最初だったという逸話が残されているのです。
豊後に漂着したポルトガル人が持ち込んだかどうかはともかく、「かぼちゃ」という名の語源は国名の「カンボジア」に由来するといわれています。
また、漢字でかぼちゃは「南瓜」と書きますが、これは「南蛮国から伝わった西瓜のようなもの」ということを意味しています。

            ○

Pumpkin 食用のかぼちゃには大別してセイヨウカボチャ、ニホンカボチャ、ペポカボチャの3種類があります。
ニホンカボチャには「菊座」や「鹿ヶ谷」などがありますが、日本の市場で流通しているものの殆どはセイヨウカボチャの「えびす」などです。
国内では主に北海道や鹿児島、茨城などでかぼちゃは生産されており、流通量の40%を占める輸入かぼちゃはニュージーランドやメキシコなどでつくられています。

ペポカボチャには「金糸瓜」という種類のかぼちゃがあり、このかぼちゃは茹でると果肉が麺のようになることから「そうめんかぼちゃ」という別名でも呼ばれています。
メキシコやアメリカで作られるものにスパゲティ・スクォッシュ(Spaghettii Squash)という名のかぼちゃがあり、このかぼちゃの果肉もやはりスパゲティ状になっています。
また、きゅうりに似たズッキーニはかぼちゃの仲間でペポカボチャの一種です。(関連:「きゅうりの白い粉」)

            ○

かぼちゃと言えば、かぼちゃを使ったお祭りのハロウィン(Halloween)があります。
10月31日に行われるハロウィンは、この日を大晦日としたアイルランドのケルト族などのお祭りが起源とされています。
ハロウィンは、後に11月1日のキリスト教の聖人をしのぶ万聖節と関連づけられるようになり、現在は、沼地を漂う人魂を模したジャック・オ・ランターン(Jack-o'-Lantern)と呼ばれるカボチャの提灯を作ったりする子供のためのお祭りになっています。Halloween

ハロウィンが始まったヨーロッパでは、カボチャではなくかぶの一種のルタバガやさとうだいこんなどを使ってジャック・オ・ランターンは作られていましたが、ハロウィンがアメリカに渡ってから、家畜のエサとして栽培されていたペポカボチャが提灯の材料に使われるようになりました。
ペポカボチャは栽培が容易で収量が多いことからアメリカで盛んに生産されていたため、身近にあって利用し易いペポカボチャがルタバガやさとうだいこんの代わりに使われるようになったのです。

            ○

日本にはかぼちゃを冬至に食べる習慣があります。
かぼちゃの本来の旬は国産ものの出荷のピーク時にあたる6〜7月ですが、冬に収穫できる野菜が少なかった昔に、保存性の高いかぼちゃを夏に収穫して冬まで貯蔵しておいて、日が一番短くなる冬至の日にかぼちゃを食べて不足がちになるビタミンなどの栄養を補った先人の知恵から冬至にかぼちゃを食べる習慣が生まれました。
実際、かぼちゃに豊富に含まれるカロテンは粘膜を強くする働きがあるため風邪の菌が気管支や鼻から入り込むのを防ぐ効果があり、かぼちゃが含むビタミンCも風邪予防にもちろん役立ちます。

かぼちゃはには果肉だけでなく種にもタンパク質や脂肪などの栄養が含まれており、その量は落花生よりも多いといわれています。
かぼちゃの種にはビタミンC以外のビタミンも多く含まれ、ミネラルや鉄分も豊富です。

            ○

ところで、丸ごとのかぼちゃを店頭で選ぶ時はかぼちゃのヘタの切り口を見ます。
切り口の断面が2cm程度で水気がなく完全に乾いているかぼちゃは完全に熟してから収穫されたものです。
同じ大きさのものなら重いものの方がよく、表皮がきれいなものよりツメが立たないほど固く深い溝がついた皮をもつものが良いかぼちゃです。
切って売られているものの見極めは簡単で、中身がぎっしりと詰まって色が濃く、隙間を埋めるように種が大きく膨らんでいるものが完熟したかぼちゃです。

そろそろ気温も下がって寒い季節がやってきますので、風邪対策に熟したかぼちゃを選んで食べるのも良いかもしれません。

<参考書籍>

月刊食生活編集部(1992)『グルメのおもしろ語源集—食べものふしぎ博物館』コア出版
日本ベジタブル&フルーツマイスター協会(2003)『野菜のソムリエ—おいしい野菜とフルーツの見つけ方』小学館
高橋素子(2001)『Q&A 野菜の全疑問—八百屋さんも知らないその正体』講談社
吉田よし子(1998)『野菜物語—大地のおいしい贈りもの』TOTO出版

<かぼちゃ関連>

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あなたのために—いのちを支えるスープ あなたのために—いのちを支えるスープ
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古今亭志ん生(五代目)


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