2006/12/16

昆布がとれない沖縄の昆布料理

昆布の収穫は8月で、暑い夏ほど良い昆布が採れます。
養殖物には1年ものや2年ものがありますが、2年以上成長すると昆布は切れてしまうので、3年ものの昆布が市場に出まわることは稀です。

            ○

日本で採られる食用昆布には10種類ほどあり、昆布の全生産の約9割は北海道産のものです。
その中でも「利尻昆布」はよく知られていますが、利尻昆布の他にも「羅臼昆布」や「日高昆布」「真昆布」「長昆布」などがあります。

利尻昆布を用いた出汁は上品な味わいが楽しめ、特に関西で好まれています。
利尻昆布の根元の三角形の部分だけを切り取った「根昆布」は出汁用として出回っています。

関西でも京都では真昆布が使われることが多いようです。
真昆布の中にも「白口浜」と「黒口浜」があり、白口浜は煮物にすると良く、黒口浜は吸い物に向いています。
真昆布や利尻昆布は極薄く削られて「おぼろ昆布」に加工されたり、圧縮された真昆布の葉先が削られて「とろろ昆布」が作られたりしています。

長さが6メートルにもなる日高昆布は「ミツイシコンブ」とも呼ばれ、柔らかくて早く熱が通ることから煮昆布にされたり、香りがよいことから出汁をとるのに使われます。

羅臼昆布は別名を「オニコンブ」ともいい、全体生産量の1パーセント以下しか採られていませんが、濃厚な味の出汁がとれる高級品として珍重されています。

            ○

出汁(だし)は旨味や香りの素となり、まろやかな風味を出して深みのある味をつくります。
伝統的な日本料理では油があまり使われなかったため、塩味を緩和するために出汁が多用されるようになったと考えられています。

昆布はグルタミン酸を多く含み、これが旨味の素となります。
昆布出汁のうま味の素がグルタミン酸であることは明治41(1908)年に池田菊苗氏により発見されました。

ちなみにかつお節の旨味成分がイノシン酸であることは大正2(1913)年に小玉新太郎氏により発見され、椎茸のうま味成分がグアニル酸であることは昭和35(1960)年に国中明氏により発見されています。

英語でもうま味は「umami」といい、中国語では「鮮味」と書き表されます。

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プロの料理人は夫々工夫して昆布出汁をとっており、そのやり方は店により様々ですが、基本的には昆布に水を吸収させることで昆布のうま味成分が溶出されています。
昆布が海の中にあっても出汁が出てしまわないのは、昆布が生きているうちは、細胞内の物質が海中に溶け出てしまうのをその細胞膜が防いでいるためです。
最近の研究では、60℃のお湯に昆布を30分間漬けておくのが最もおいしい昆布出汁をとる方法だという結果も出されているようです。

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縄文時代の遺跡である島根県の猪目洞窟や青森県の亀ヶ岡遺跡からは海草類が出土しており、古代から日本人が海藻を食べていたことが知られています。
平安時代初期に編纂された『続日本紀(しょくにほんぎ)』には、蝦夷(えぞ)の族長の須賀君古麻比留(すがきみのこまひる)が昆布を献上したことや、須賀君古麻比留よりもだいぶ前の時代から昆布の献上が行われていたことが記されており、かなり古い時代から日本人が昆布を食べていたことが伺えます。

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奈良時代には既に「昆布」という言葉がありました。
一説では昆布の語源はアイヌ語の「コンブ」に由来しているといわれています。
昆布が不老長寿の仙薬の一つとされていた中国には、周代の頃に「綸布(クワンプ)」というものがあったことがわかっており、この「クワンプ」が日本語の「こんぶ」の語源になったという説もあるようです。

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平安時代に編まれた辞典である『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』には、昆布が「比呂米(ひろめ)」や「衣比須目(えびすめ)』の名で登場しています。
昆布の幅広い形に由来して「比呂米(ひろめ)」という名が付けられ、採れる場所に由来して「衣比須女(えびすめ)」(夷布)の名がつけられました。

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古来から宮廷などでは出汁をとるのにかつお節が使われましたが、生臭ものを遠ざけた寺院ではかつお節の代わりに昆布が用いられ、精進料理では昆布が欠かせない食材となりました。
昆布出汁は寺院から庶民の間に広まったのだとする説もあるほどです。
また、室町時代になると昆布は煮物にも用いられるようになりました。

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現在、日本で昆布の消費が最も多いのは沖縄県です。
しかし昆布は沖縄では採れません。
江戸時代に、江戸や大阪と北海道の間を航行する北前船(きたまえぶね)の航路が開かれ、北海道の海産物が江戸や大阪に流通するようになりました。
1700年代の末頃、黒糖を積んだ琉球の船と、昆布を載せた松前からの船が同時期に堺の港に入り、黒糖と昆布の取引が行われ、琉球の砂糖が松前に渡り、蝦夷の昆布が琉球に運ばれるようになったといわれています。
松前から関西へは綿花を栽培するための肥料として鰊(にしん)も運ばれていましたが、このにしんを昆布で巻いた「昆布巻き鰊」はこの時代に作られたものです。

            ○

この時代に琉球は日本の薩摩藩と中国の両方から支配されていました。(関連:「沖縄料理の中の琉球史」)
薩摩藩は、鎖国中で海外との貿易が禁じられていたにも関わらず、琉球から中国へ献上品を運ぶ船が航行していたのを利用して、北海道産の昆布を琉球の船に載せて中国へ輸出して利益を得ていました。
1800年代前半には、琉球から中国へ輸送された品の内の約8割は昆布だったこともあり、これはその当時の日本の昆布生産量の約1割に相当する量に相当します。

19世紀には那覇に「昆布座」が設けられ、この頃に昆布は沖縄の一般家庭にも普及しています。
野菜を作るのに適した土地が少なく、夏期には野菜の保存も難しい沖縄では、乾燥させた昆布は野菜の代用食として重宝されたのです。

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沖縄で使われる昆布は日高昆布や長昆布が主で、これらの昆布は本土での需要が少なく、産出される殆どが沖縄で消費されています。
沖縄には、昆布を出汁としてではなく野菜のようにして使う料理が多くあります。
刻み昆布を炒めたクーブイリチーや白身魚を昆布で巻いた昆布巻き、昆布の煮付け、昆布と豚肉、かまぼこ、椎茸を一緒に炒め煮にしたり、ソーキ汁にも昆布が使われています。

            ○

昆布にはミネラルや旨味のもとのアミノ酸が豊富に含まれており、食物繊維やカルシウムも多く、高血圧や高コレステロールの人が食べると良いとされています。
沖縄で長寿の人が多い理由の一つは昆布を使った料理が多いからなのかもしれません。

<参考文献>

講談社(2002)『カラー完全版 魚の目利き食通事典 』講談社
高橋素子(2003)『Q&A 食べる魚の全疑問—魚屋さんもビックリその正体』講談社
月刊食生活編集部(1992)『グルメのおもしろ語源集—食べものふしぎ博物館』コア出版
緒方修・吉川敏男(2004)『体にいい沖縄野菜健康法』実業之日本社
宮城重二(2003)『沖縄の食材・料理—長寿日本一を支える沖縄の食文化』東方出版
服部 幸応 (2004)『大人の食育』日本放送出版協会
柳田友道(1991)『うま味の誕生—発酵食品物語』岩波書店
石毛直道(2004)『食卓の文化誌』岩波書店
小泉武夫(2000)『納豆の快楽』講談社
井上勝六(1993)『「薬喰い」と食文化』三嶺書房
奥山忠政(2003)『文化麺類学・ラーメン篇』明石書店
NHK取材班(1990)『人間は何を食べてきたか カレー、醤油』日本放送出版協会

<昆布関連>

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2006/11/25

ふぐちりは文化そのもの

ふぐは11月から2月にかけてが旬です。
主産地は山口や愛知、福岡、静岡で、最近は韓国からの輸入ふぐも流通しています。
食用にされるのは「まふぐ」「とらふぐ」「しょうさいふぐ」「からすふぐ」の4種ですが、その中でもとらふぐは最高級品として扱われています。

            ○

ふぐといえば冬の味覚の代表格の一つとして有名ですが、もう一つふぐと聞いて連想されるのがふぐが持つ猛毒です。
青酸カリの10倍の強さがあり、サリンと同程度の毒性があるといわれるテトロドトキシンがふぐ毒となる物質です。
2ミリグラムが致死量というテトロドトキシンが人間の体内に入ると唇や指先に痺れが生じ、腹痛や嘔吐などの症状を示した後に呼吸困難に陥り、摂取してから6時間ほどで死に至ります。

            ○

040801078 一般的にふぐは肝臓と卵巣に強力な毒を持ち、身には毒が無いか弱い毒しか含まれていません。
しかし、ふぐの種類や生息域などで有毒部位や毒の強さは異なり、同じ海域にいる同じ種類のものでも個体差があります。
例えばとらふぐは1〜4月頃の菜種の季節に毒が強くなることから、この季節のとらふぐは「菜種ふぐ」とも呼ばれ区別されます。
また、ドクサバフグなどのように身にも強い毒性物質を持つ種類のふぐもいるのです。

            ○

貝塚から出土したふぐの骨によって、有史前から日本人はふぐを食べていたことが知られています。
室町時代までは身しか食されなかったふぐですが、桃山時代より後になると毒性のある内臓やその近くの部位を食べるひとが増え、ふぐによる中毒死が増加したことが分かっています。
しかし、ふぐの危険部位がなぜ桃山時代以降になって食べられるようになったのか、その理由は分かっていません。
もちろん桃山時代の当時でもふぐ毒の危険性については認識されており、その頃の尾張ではふぐを売買した者は禁錮5日の刑、他人からもらって食べた場合でも禁錮3日の刑に処せられたことが記録に残されています。

            ○

生簀(いけす)で無毒の餌を与えて養殖したふぐは毒を持たないという最近の調査結果から、テトロドトキシンはふぐの体内で作られるのではなく、体外から入った毒性物質が蓄積されて作られるということが明らかにされています。
海中にいるビブリオ・アルギノリティカスやビブリオ・ダムセラなどの細菌が貝などに入り込み、これらがエサとしてふぐに食べられると、ふぐの体内が毒性を帯びるようになるのです。

ふぐ自身はテトロドトキシンに対して、他の魚よりも300倍以上の抵抗力を持っています。
外敵を牽制するためにふぐがテトロドトキシンを体内に蓄積するようになったという推測もありますが、雌ふぐが雄ふぐを誘惑する際の性フェロモンとしてもテトロドトキシンが使われていると見られており、なぜふぐがテトロドトキシンを持つようになったのかについて本当の理由は分かっていません。

            ○

ところで、ふぐは漢字で「河豚」と書きますが、これは中国の揚子江を遡るふぐの様子が豚に似ていたことからこの字が宛てられたといわれています。

日本の奈良や平安時代に河豚は「ふく」とよばれており、この「ふく」の名のいわれについてはいくつかの説があります。
ふぐの腹が「膨(ふく)れる」からとか、「ふくべ(ヒョウタン)」の形に似ていたからというようにその姿に由来しているという説があったり、ふぐは口から水を「吹く」からというようにその習性から名付けられたのだと考える人達もいます。

            ○

ふぐの英語名の「puffer」や「blowfish」もふぐが水を吹くところから名付けられたものです。
「puffer」には「ぷっと吹くもの」という意味があり、「blow」にも「フッと吹く」とか「吹きつける」という意味があるのです。
英語でふぐを「balloonfish」とも呼びますが、これはふぐが脹れた様子から付けられた名前だと考えられます。

            ○

日本では江戸時代になると「ふく」は「ふぐ」と呼ばれるようになりました。
しかし、今でも九州や山口県下関など一部の地域では「福」にかけてふぐを「ふく」と呼んでいるようです。

関西ではふぐを「鉄砲」と呼んだりもします。
「鉄砲の玉にあたる」ことが「河豚にあたる」ことに掛けられ、「ふぐ」が「鉄砲」と江戸でよばれるようになり、その呼び名が関西に伝わって定着したといわれています。

            ○

040801077 江戸時代のふぐ料理と言えば味噌汁にすることが多かったようですが、現在の代表的ふぐ料理の一つは「てっちり」です。

「ちり鍋」とは魚介を使った鍋のことで、「ちり鍋」の「ちり」とは鍋に魚の切り身を入れた際にその身が「ちりちり」と縮まることに由来しています。
鱈のちり鍋を「たらちり」、鯛のちり鍋を「たいちり」というのと同様に、鉄砲(ふぐ)をちり鍋にするから「てっちり」というわけです。

鍋の具材が食べ尽くされる頃には、ふぐの身に多く含まれるグルタミン酸やアミノ酸などの旨味がスープにたっぷりと溶け出しており、このため鍋そのものよりも最後につくられる雑炊を楽しみにする人も多いようです。

            ○

もう一つの代表的ふぐ料理はふぐの刺身ですが、これは「鉄砲の刺身」が縮まって「てっさ」とよばれています。
ふぐの身の脂質含有量は0.3%と少なく、反対にコラーゲンが多く含まれています。
そのためふぐの身は硬く締まっており、通常の刺身のように厚く切ると噛み切ることができないため、透き通るほど薄く切って盛りつけされます。

            ○

ふぐを使った変わった食べものに、江戸時代に作られ始めた石川県金沢の特産品で「ふぐの卵巣の糠漬け」という食べものがあります。
ふぐの卵巣には人間の大人を20人近く殺すことができる量のテトロドトキシンが含まれていますが、この卵巣を使った漬物なのです。

ふぐの卵巣の糠漬けをつくるには、まず卵巣が真水で洗浄され、塩分濃度が30%の塩水に約1年間漬けられます。
その後、麹と塩漬けにした鰯(いわし)を加えた糠に真水で塩抜きされた卵巣が最短でも2年、通常は3〜4年は漬け込まれます。
糠の中で繁殖している乳酸菌や発酵微生物がテトロドトキシンを二酸化炭素と水と窒素に分解してしまうため、猛毒のふぐの卵巣でも食べることが可能となるのです。

            ○

坂口安吾が書いたものに、「ふぐを食べて死んだ多くの人達のおかげで現在の我々は安心してふぐちりが食べられるのであって、これこそが文化というものだ」という主旨の文章があるようです。
真水にさらしたり塩水に漬ける工夫が施され、3年以上もの時間を掛けてようやく完成するふぐの卵巣の糠漬けの製法が確立されるまでにはいったい何人の人達が犠牲になったのでしょうか。
大鍋のスープをスプーン一杯の量まで煮詰めて作った濃厚な味わいの一滴を連想させるような、ふぐの卵巣のぬか漬けという形に凝縮された多くの人々の努力や試行錯誤に思いを馳せずにはいられません。

<参考書籍>

セマーナ(2002)『スーパーで買える魚図鑑—これであなたもサカナ通!』日本文芸社
マルハ広報室(2000)『お魚の常識非常識「なるほどふーん」雑学』講談社
岩井保 (2002)『旬の魚はなぜうまい』岩波書店
講談社(2002)『カラー完全版 魚の目利き食通事典 』講談社
高橋素子(2003)『Q&A 食べる魚の全疑問—魚屋さんもビックリその正体』講談社
小泉武夫 (2000)『漬け物大全—美味・珍味・怪味を食べ歩く』平凡社
小泉武夫(2005)『小泉武夫 食のワンダーランド』日本経済新聞社
月刊食生活編集部(1992)『グルメのおもしろ語源集—食べものふしぎ博物館』コア出版
井上勝六(1993)『「薬喰い」と食文化』三嶺書房

<ふぐ関連>

フグの飼い方—淡水フグから海水フグまで フグの飼い方—淡水フグから海水フグまで
アクアライフ編集部


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鍋奉行になる 鍋奉行になる

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古今亭志ん生 名演大全集 3 らくだ/強情灸/親子酒/宿屋の富 古今亭志ん生 名演大全集 3 らくだ/強情灸/親子酒/宿屋の富
古今亭志ん生(五代目)


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2006/10/10

マグロのトロはなぜ高いか

縄文時代の頃からマグロは食べるために獲られていましたが、日本人には長い間不人気な魚でした。
特にマグロのトロは猫も食わないという意味で「猫またぎ」とよばれた時代もあったほどです。
昭和初期頃までマグロのトロは家庭のおかずやネギマ鍋にされるくらいで、すしネタに使われることはありませんでした。
日本人がトロを食べるようになったのは昭和30年代以降で、日本人が脂質の多い食べものを好むようになってからマグロのトロは一般的に普及しました。

            ○

マグロのトロといっても、全ての種類のマグロからトロがとれるわけではありません。
北半球の日本近海や大西洋、地中海にいるクロマグロ、そして南半球のオーストラリアのタスマン沖で泳ぐミナミマグロからトロはとれます。
クロマグロは別名をホンマグロといい、英語ではブルーフィンと呼ばれています。
ミナミマグロは日本の河岸での別名をインドマグロといい、英語名ではサザーンブルーフィンとされています。(関連:「マグロの格付と冷凍技術」)

            ○

日本近海でも獲れるクロマグロは、小さい目のものの方が品質が良く、ムラなく全体的に柔らかく弾力のある皮を持つマグロの身は品質が高いといわれています。
尻尾を切ったときの切り口を見る場合には、切り口の真ん中が赤く、その外側はピンク色になっているものが良いクロマグロです。

            ○

Maguro_parts クロマグロの背側の身は背筋カミ、背筋ナカ、背筋シモの三つに区分されており、腹側も同様に頭の方から順に腹筋カミ、腹筋ナカ、腹筋シモと区別されます。 背筋カミは赤身の中級品で、背筋ナカは赤身の高級品、背筋シモは赤身の下級品として扱われます。 トロの脂にはマグロの内蔵を守る役割があり、内臓を取り囲むようにしてついています。 腹筋カミがトロの高級品、腹筋ナカはトロの中級品、そして腹筋シモがトロの下級品として扱われます。

大雑把に言って腹近くの身が大トロになり、その上の部分が中トロになります。 
大トロの部分は脂質含有量が30%弱程度あり、冬期になれば40%にまで増え、非常に柔らかくまさにとろけるような食感を与えてくれます。
中トロは赤みが強く大トロほどに脂はありませんが食べた時の食感はなめらかです。
腹筋カミの大トロ部分でも筋が入る部分と霜降りと呼ばれる筋の入らない部分があり、日本では霜降り部分を好む人が多いようです。

脂ということでいえば、エラ下のカマと呼ばれる部位や頭の部分には大トロよりも多くの脂質が含まれていますが、こちらはあまりにも脂が多く、生で食べるよりも炙るなどして熱を加えたうえで食べられています。

            ○

日本近海でとれるマグロで有名なのが大間のマグロですが、大間のマグロでおいしいとされるのは赤身の部分です。(関連:「マグロの血合は伊達じゃない」)
クロマグロの赤身には他のまぐろよりも旨味成分が多く含まれています。
マグロの赤身で価格が最も高いのは胴体真ん中の背筋ナカの部分です。
尾に近い背筋シモは背筋ナカの赤身よりも赤みが強く鉄さびの香りがして、それを好む人もいますが、背筋シモの身は背筋ナカや背筋カミより価格は安くなります。

            ○

マグロを解体した場合、刺身に使えるのは皮がついた状態でマグロ全体の60%、皮を取り除いた状態で50%程度になります。
1匹のマグロの半分程度しか刺身には使えないのです。
トロに限定するとマグロの全重量の15%程度しかありません。

            ○

Toro 天然マグロのトロのにぎりが1カンで2000〜3000円、クロマグロの大トロでは1カンあたり4000円くらいになってしまうのは、巨大なマグロからトロはほんの少量しかとることができないからです。
回転寿司や宅配寿司で安いトロのにぎりを出すことができるのは、天然ものよりも脂質を多く含む養殖マグロのトロを使っているからで、養殖ものを使ったにぎりは一カンあたり300〜350円程度の価格になります。

            ○

鳥インフルエンザやBSE感染牛の問題があって鶏肉や牛肉の消費が減少したことや、健康に配慮して魚を好む人達が増えたことなどからアメリカや中国でマグロの消費量が伸びており、日本へのマグロ供給量が減っている現状があります。
マグロのトロの旨さをアメリカ人や中国人が知ってしまったことで、日本の寿司店で出されるトロのにぎりの値段はこれから増々高くなっていく可能性があるのです。

<参考書籍>
高橋素子(2003)『Q&A 食べる魚の全疑問—魚屋さんもビックリその正体』講談社上田 武司 (2003)『魚河岸マグロ経済学』集英社
堀武昭 (1992)『マグロと日本人』日本放送出版協会
成瀬宇平(2003)『すしの蘊蓄 旨さの秘密』講談社
服部幸鷹(1999)『服部幸応流うまい料理の方程式』河出書房新社

<トロ関連>

すし職人が教える江戸前寿司—寿司ダネの捌き方から握り方まで本格江戸前極上の33品 すし職人が教える江戸前寿司—寿司ダネの捌き方から握り方まで本格江戸前極上の33品
金内 秀夫 成美堂出版編集部


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誰でもできるおいしいすしの握りかた 誰でもできるおいしいすしの握りかた
東京すしアカデミー


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達人直伝 回転寿司のさ・すし・せ・そ 達人直伝 回転寿司のさ・すし・せ・そ
柳生 九兵衛


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2006/10/09

キャビアとチョウザメ料理

最高級品は宝石並の価格で取引されるキャビアはご存知の通りチョウザメの卵です。
チョウザメはサメに似た体型をしているために、名前に「サメ」が入っていますが、サメの仲間ではなくチョウザメ目チョウザメ科の魚です。
漢字で「蝶鮫」と書くように、体表の一部には蝶の羽のような大きなウロコがついています。
もちろんチョウザメにはサメのような牙はなく、それどころか歯もついていません。
畳み込むようにしてしまってある柔らかな口を突き出してエサを吸い込みます。
チョウザメは2億5000万年前から生息してきたといわれる生きた化石で、鮭のように川で産卵し、孵化した稚魚は川を下って海で成長します。
成魚になるのに10年以上掛かかり、鮭とは異なり産卵後も生き続け、中には100年前後も生きるチョウザメもいるといわれています。

            ○

100年以上前にチョウザメは、太平洋や大西洋、北アメリカ、地中海、カスピ海、バルト海、黒海周辺など北半球の中緯度に位置する川や湖などに広く分布していました。
その頃のアメリカの酒場ではキャビアを無料のつまみとして出していたというほど、チョウザメはありふれた魚だったのです。

            ○

その後、石油の採掘やダム建設工事などによる環境汚染や乱獲、密漁によってチョウザメの数は激減し、今はカスピ海とロシアのボルガ川にしか生息していません。
キャビアの主要生産国はロシアやイラン、カザフスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャンの五カ国となっています。

19世紀末のロシアのキャビア輸出量は年間100トンを越えていました。
しかし2003年にはロシアのキャビア生産量は50トン、輸出量は20トンにまで落ち込んでいます。
カスピ海沿岸諸国は千万匹単位でチョウザメの稚魚の放流を行っていますが、その生存率は低く密漁は減らないため、2006年にはついにワシントン条約事務局によってカスピ海産キャビアの国際取り引きを禁止する緊急措置がとられています。

            ○

ところで、一口にキャビアといっても、チョウザメの種類によりベルーガ、オショートル、セヴリューガ、ステルリャジ、ベステルなどの分類がされます。
オオチョウザメという種類のチョウザメの卵でつくられたキャビアは最高級品として扱われます。
一匹のオオチョウザメから20キロ弱の卵をとることができ、この卵で作ったキャビアをロシア語の商品名でベルーガ(Beluga)といいます。
ベルーガの次に価格が高いのは、ロシアチョウザメ1匹から5キロ前後とれる卵で作られるオショートル(Oscietra)です。
ベルーガやオショートルに次ぐものがホシチョウザメの卵で作られるキャビアで、商品名をセヴルーガ(Sevruga)といい、ホシチョウザメ1匹からは2キロ以下の卵しかとれません。

            ○

キャビアは粒の大きさにより等級がつけられ、15の等級分けがされます。
大雑把に言って、最高級品のベルーガは大粒のキャビアで、オショートルは中粒、セヴルーガは小粒になります。
ベルーガのキャビアが詰められるビンのフタは青、オショートルは黄色、セヴリューガは赤と色分けがされ、パッケージでキャビアの種類が分かるようになっています。
1番上の等級がつけられるキャビアと1番下の等級のものでは、2倍から3倍近くもの価格差があります。

            ○

キャビアは獲れたてを短時間で処理しないと粒がつぶれて商品価値が著しく下がってしまうため、キャビア作りには熟練の技術が必要となります。
チョウザメから取り出された卵は布のふるいを使って不純物が取り除かれ、その後の水洗いで更に異物が取り除かれます。
きれいになった卵には、卵の1〜2%にあたる塩が混ぜこまれ、熟成させるために2日間ほど寝かせた後にビンに詰められます。

            ○

キャビアの価格はとにかく高く、庶民が気軽に手を出せるものではないということで、キャビアのイミテーション品なども作られています。
代用キャビアには、デンマークで水揚げされるランプフィッシュの卵を黒く着色したものや、タラやホウボウの卵を使ったものがあります。
日本で作られるイミテーション・キャビアにはトビウオの卵を漆黒に染めたものなどもあります。
ラベル表示でイミテーションと断り書きがあればいいのですが、中にはイミテーション品をキャビアとして売る偽物も出回っているそうです。

            ○

親のチョウザメよりもその卵で作られるキャビアの方が昔から有名だったわけですが、地域によっては親のチョウザメの肉を好んで食べる地域もありました。
中国でチョウザメは「鰉魚」とよばれ、かつては皇帝の魚とされていました。
特にチョウザメの軟骨が珍重されていたといいます。

            ○

ロシアではチョウザメの身を塩漬けやマリネにしたり、ソテーやグリルにしてよく食べられたこともあり、ロシアのアムール地方では生のチョウザメ肉にねぎやギョウジャニンニクのような香草の薬味をのせ、塩をふって食べたといいます。
アムールで獲られたチョウザメの肉は地元で食べられ、軟骨は中国に送られていました。

            ○

カスピ海産キャビアの国際取引が禁止される以前は、世界のキャビアの90%はカスピ海で水揚げされたチョウザメで作られていました。
そのカスピ海に面するイランは最上級キャビアのベルーガの生産国でありながら、キャビアを食べることは昔から稀でした。
これはキャビアの価格が高いからだけでなく、鱗のない魚とその卵は食べてはいけないというイスラム教シーア派の教義があったからです。
1983年に、聖職者と専門家の調査の結果に基づいて、チョウザメの尾びれの上には菱形の鱗があるとしてチョウザメの身も卵も食用にして良いとする宗教的解釈がホメイニー師によって示され、これ以降イラン国内でのチョウザメの切り身の消費量は僅かばかり増えたといいます。

            ○

日本でも昔は北海道の川にチョウザメが遡上していたことが分かっています。
このチョウザメは今は標本等でしか見られませんが、1966年にはロシアからチョウザメの稚魚500匹が日本に贈られており、これを期に「日本チョウザメ研究会」がつくられ、後に「国際スタージョン交流会」も設立されています。
国際スタージョン交流会はチョウザメの学術的研究をする会ではないようですが、例会を開いてチョウザメの養殖状況などを発表したり、全国のチョウザメ養殖場を見学するなどの活動を行っているようです(なぜかGoogleではインデックス登録されていないようです)。
国際スタージョン交流会のサイトの情報によれば、日本各地で町おこしのためにチョウザメの養殖に挑戦している地域があるそうですし、釜石市の「暮れ六つ」というお店では養殖したチョウザメの料理が食べられるようです。

<参考書籍>
高橋素子(2003)『Q&A 食べる魚の全疑問—魚屋さんもビックリその正体』講談社
上岡弘二 (1999)『アジア読本 イラン』河出書房新社
岸上伸啓(2005)『世界の食文化 (20) 極北』農山漁村文化協会
沼野充義, 沼野恭子(2006)『世界の食文化〈19〉ロシア』農山漁村文化協会
開高健(1990)『オーパ、オーパ!!〈アラスカ篇 カナダ・カリフォルニア篇〉』集英社
佐藤魚水(1997)『魚の謎解き事典』新人物往来社

<キャビア関連>

ユー・ガット・メール ユー・ガット・メール
ハリー・ニルソン ノエル・ホーガン ドロアーズ・オーリオーダン

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快盗ルビイ 快盗ルビイ
和田誠 小泉今日子 真田広之

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ディーバ ニューマスター版 ディーバ ニューマスター版
ジャン=ジャック・ベネックス リシャール・ボーランジェ

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踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ! 踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!
君塚良一 本広克行 織田裕二

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2006/09/27

鮭とアイヌ

日本の沿岸で獲られる秋鮭の漁獲数は全体で6,000万尾程度で、その内の80%程度が北海道で獲られています。
その北海道を含む北方地方の先住民であるアイヌの言葉で夏の食べものを意味する「サクイベ」が鮭の語源だという説があります。
他の説では、アイヌの言葉で乾物にした魚を意味する「サットカム」が鮭の語源になったとされています。

            ○

アイヌの言葉では「神の魚」を意味する「カムイチェ(カムイ=神、チェ=魚)」や、「本当の食べもの」という意味の「シペ」が鮭を指す言葉です。

アイヌ語で家屋は「チセ」といい、チセが5〜10戸集まった集落は「コタン」といいます。
アイヌは鮭が遡上する川の上流にコタンをつくり、鮭の産卵場所よりも上流にコタンができることはありませんでした。
アイヌの生活圏は鮭の産卵場所を中心に発展していったのです。

            ○

本州でも鮭を獲るときのしきたりや風習が各地方にあり、それらに従って鮭は獲られましたが、鮭漁に関するアイヌの儀礼は厳格なものでした。
それは鮭がアイヌの生活や信仰に密接に関係していたことに因ります。

アイヌの伝説では、魚の神である「チェプ・アッテ・カムイ」が持つ袋の中に鮭は存在しており、魚の神がその袋の口を開けると鮭が川を登ってくるとされています。
もし人間が鮭に対する礼儀を失すると鮭は人間の非礼を神に訴え、魚の神は怒って二度と袋の口を開けなくなり、鮭は川を遡上しなくなるとアイヌの伝説は教えています。

            ○

鮭が川の上流に登ってくる時期の前に、アイヌは「湾の神」や「河口の神」、「川の神」に祈り、川を汚さず不浄なものを入れないという誓いをたて、多くの鮭を川に登らせて下さいと神々に祈願します。

            ○

鮭が登ってくる時期になると川岸に祭壇を設け、「アシ・チェ・ノミ」という新しい鮭を迎える儀式が行われます。(以下ではアシリチェップノミと表記)
この儀式では最初に川を登って来る鮭が神に供えられます。
このときに鮭を獲る漁具はマレという鉤銛(かぎもり)が使われ、マレクで鮭を川から引き揚げた後は、鮭を神に捧げる言葉を唱えつつ、柳やミズキで作られた飾りの付いたイサパキクニと呼ばれる棒で鮭の頭を叩きます。
川に最初に登ってきた鮭にこのように人間が対することで、アイヌの神は満足するのです。

            ○

最初の鮭を迎える儀式が行われた後の漁期には、川中に杭を打って一個所作った出口から出てくる鮭を獲る漁や地引き網や刺し網を使った漁も行われました。
アイヌの漁法の中には犬を利用したものもあり、一匹の「漁犬」が一日に100匹近い鮭を獲ったといいます。

アイヌが鮭を獲った時は、カラスの分として鮭一匹を河原の砂利の上に置き、狐の分としてもう一匹を木陰に置く風習がありました。
そしてアイヌは自分たちに必要な分の鮭だけを獲り、決して獲りすぎることはありませんでした。

            ○

産卵後の鮭は「ホッチャレ」と呼ばれます。
これは、産卵後の鮭は脂が抜けてしまって味が落ちるので誰も獲らずに「放っておく」ということから生まれた言葉だという説があります。
アイヌ語で「尻からばらまく」という意味の「ホ・チャリ」が語源になったという説もあるようです。

アイヌは産卵が終わった鮭のいわゆるホッチャレを干物にしていました。
産卵前の脂がのった鮭を干しても虫がわいたり脂が酸化してしまい保存性が低くなるのに対して、ホッチャレは脂が抜けているため乾燥させれば10年以上も保存できたといいます。
アイヌの一家族で600尾以上の鮭と700尾以上のマスを乾物にし、それらを高倉式倉庫に貯えていました。
アイヌが干し鮭を食べるときはこれを水につけて柔らかくして、アザラシや熊の脂をつかって山菜などと一緒に煮込んだりして料理しました。

            ○

アイヌの慣習では、先に出てきた鮭が遡上する直前と最初の鮭が登ってきたときに行われる儀式と、更に鮭の産卵が終わったときに行われる鮭漁の終了を告げる儀式があり、これら三つの儀礼はアイヌにとって大事な神事でした。

しかし明治時代になり北海道は狩猟の場から農耕の地に変えられていきす。
アイヌは土地を取り上げられ、アイヌの伝統的漁法は明治政府により禁じられて、アイヌの風習も規制されてしまったのです。

その後、遡上してくる鮭を迎える祭事のアシリチェップノミは100年以上途絶えていましたが、1981年に札幌アイヌ文化協会などが中心となって復活されています。
今年も 9月18日に、復活してから25回目になるアシリチェップノミが行われ、秋鮭がアイヌの神にささげられました。

<参考書籍>
吉田豊(1995)『食卓の博物誌』丸善
末永徹 (2005)『食材はどこから』料理王国社
岸上伸啓(2005)『世界の食文化 (20) 極北』農山漁村文化協会

<アイヌ関連>

萱野茂のアイヌ語辞典 CD-ROM 萱野茂のアイヌ語辞典 CD-ROM

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アイヌのうた アイヌのうた
民族音楽 萱野茂・平取アイヌ文化保存会 貝澤あさの

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CDエクスプレス アイヌ語 CDエクスプレス アイヌ語
中川 裕 中本 ムツ子

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2006/09/25

かつおの刺身の季節

かつおには島の周辺を回遊している群れと、南北や東西に移動している群れとがあります。
かつおが生息している場所はだいたい地図で示した海域になります。

Map_bo

日本近海に回遊してくるのはフィリピン沖とマリアナ海域から北上してきたかつおだと見られており、これらの海域は日本にやって来るかつおの産卵場所だとも考えられています。
かつおは生まれてから1年後には体長が15センチ以上になり、成魚は時速60kmで泳ぐようになります。

            ○

日本近海では2月頃になると南西諸島や小笠原の近くにかつおがやって来ます。
3月頃になると鹿児島や四国沖を北上しており、4月頃には紀州沖に達しています。
土佐沖から紀州沖にかつおの群れが到来している頃、この群れとは別の一群が御前崎沖や伊豆諸島近海に現れます。
これはマリアナ諸島から小笠原諸島にかけての海域から北上して来た群れだと考えられています。

4〜5月に房州沖や銚子沖まで移動するとかつおはその海域にしばらく留まります。
夏になるとまた北上を始め、銚子沖から福島常磐沖を経由して三陸沖に向かいます。
10月には北海道沖や南千島沖にまで至ります。

            ○

水揚げされる港によって多少時期は異なりますが、例えば関東では初夏の5月頃に水揚げされたかつおが「初鰹」とよばれています。

また、南の海から北海道沖に向かっている時期のかつおが「上りかつお」とよばれるものです。
上りかつおはまだ栄養を充分に貯えていないため脂肪がついておらず、身はあっさりとした味わいがあります。
この時期のかつおは刺身にすると水っぽく感じるのでタタキにしたり、かつお節に加工されます。
かつお節菌がかつおの身に含まれる脂肪を分解することでかつお節はつくられますが、これにはある程度の時間を要します。
脂が多い身でかつお節をつくろうとしても脂が分解される前に酸化してしまうため、かつお節をつくるには脂肪が少ない上りかつおの身の方が向いているのです。(関連:「かつお節の作り方」)

            ○

9〜10月頃に気温が下がり始めるとかつおは北上を止めて南下し始めます。
この南下するかつおは「戻りかつお」とか「下りかつお」とよばれます。
秋に獲れるかつおはそれまでにエサを存分に食べて大きく成長しているので、身には脂が非常にのっています。
上りかつおにくらべて下りかつおは3倍程度も多く脂質を貯えています。
上りかつおでも東北辺りまで北上したものは既にある程度の脂がのっているため刺身で食べてもおいしいのですが、かつおの刺身といえば秋の戻りかつおを好む人は多いようです。
かつおは傷むのが早いため昔は寿司ネタにはされませんでしたが、最近は冷蔵輸送や冷蔵設備が整っているので寿司店で扱われることも珍しくはなくなりました。
日本人の脂を好む傾向に合わせて戻りかつおやなるべく脂の乗ったかつおを仕入れる寿司屋が多くなっているといいます。

            ○

3008000015 毎年かつおは殆ど同時期に同じようなルートを通って回遊するため、日本人にとっては春や秋の風物詩のような存在になっています。 しかし、このかつおの回遊ルートは不変というわけではありません。

東北地方の古い地層から発見されたかつおの骨の研究から、紀元前6000〜3000年頃にあたる縄文時代前期から中期頃にかけての時代には、東北地方で多くのかつおが獲られていたことが判明しています。
しかし縄文時代も後期になると東北で獲られたかつおの量は激減したことも研究から分かっており、この漁獲量の変化の原因は黒潮の流れが変わったためだと推測されています。
近年でも、昭和の初め頃までは日本海側でもかつお漁が盛んに行われた港がありましたが、現在は日本海側を泳ぐかつおは非常に少なくなったという事例があります。

            ○

2006年9月23日付け日経新聞に、かつおの卸値が高騰しているという記事がありました。
原因は9月になっても海水温が高いためにかつおの南下が遅れており、それに加え台風が立て続けに日本の近海を通過したため、戻りかつおとして市場に並ぶものの入荷量が少ないためだそうです。

毎年あたりまえのように日本人が口にしている日本近海もののかつおですが、海水温が例年とは異なる変化をしたり海流の位置がちょっと変わっただけでもかつおは回遊ルートを変える可能性があるのです。
あるとき突然かつおが日本にやって来なくなるという心配もないとはいえないのかもしれません。

<参考書籍>
宮下章(2000)『鰹節』法政大学出版
井上勝六(1993)『「薬喰い」と食文化』三嶺書房
成瀬宇平 (2003)『すしの蘊蓄 旨さの秘密』講談社
服部幸鷹(1999)『服部幸応流うまい料理の方程式―達人だけが知っている“味覚の黄金律”を初めて明かす!』河出書房新社

<かつお関連>

磯野家の謎—人気アニメ「サザエさん」の知られざる秘密に迫る!! 磯野家の謎—人気アニメ「サザエさん」の知られざる秘密に迫る!!
東京サザエさん学会

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1000ピース 鰹 10-821 1000ピース 鰹 10-821

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愛蔵版 初ものがたり 愛蔵版 初ものがたり
宮部 みゆき

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2006/09/15

秋刀魚で按摩いらず

秋刀魚(さんま)はもともと「狭真魚(さまな)」とよばれていました。
「狭真魚」とは体の幅が狭い立派な魚という意味で、これが転じて「さんま」になったといわれています。

さんまを「秋刀魚」とかくのは形が刀に似ているからですが、市場などではさんまのことを「九寸五分(くすんごぶ)」とよびます。
九寸五分は短刀のことを指します。

関西や高知、九州の一部などで秋刀魚は「サイラ」と呼ばれます。
関西でも京都では「サヨラ」、富山や石川、和歌山では「サヨリ」、三重では「カド」、佐渡では「バンジョ」の別名があります。

            ○Map_samma2_1

2006年9月3日付け『asahi.com』の「サンマの中枢 港区赤坂」という記事によれば、 秋刀魚は極端に暑かったり寒かったりする海域を除く北太平洋全域に生息しており、370億匹以上の秋刀魚が回遊していると推測されているそうです。 以前は、サンマが卵を生む場所は西日本近海からその沖の黒潮の東側までだと考えられていましたが、実は黒潮の北の海域やアメリカ西海岸沖までもが産卵場所になっているということが分かってきたようです。 産卵時期についても、以前は冬期にだけ産卵があると考えられていましたが、秋や春にも卵が産みつけられることが最近になって判明するなど、日本人にとっては身近な秋刀魚ですが生態にはまだ不明な点が多いようです。

            ○

秋刀魚は卵を藻や海藻に付着するように産みつけます。
日本近海を回遊する秋刀魚の多くは9月末頃に卵から孵り、その稚魚達は北海道沖合の北方四島よりも更に北のプランクトンが豊富な海域を目指して北上します。
稚魚が北上を終えるのは孵化からほぼ1年後と考えられており、このときの体長は20センチ程度になっています。
北の海で栄養をとり成長した秋刀魚は産卵のために8月末頃から10月頃にかけて南へ移動します。
移動を始めた早い時期に北海道で獲られる秋刀魚は「お迎えさんま」と呼ばれ、この頃の秋刀魚はサイズがまだ小さく脂はさほどのっていません。
秋刀魚の親は移動の途中で卵を産みつけます。
10月までに三陸や房州、遠州灘沖まで秋刀魚は南下しており、この頃には体全体の20%以上が脂肪となり、いわゆる脂がとてものった状態になります。
秋刀魚の脂は産卵後には落ちてしまい身はパサパサとした感じになってしまいます。
この産卵後の秋刀魚は別名「麦さんま」といいます。
秋刀魚漁は8月末に解禁され12月まで漁が行われます。
冬から春先に掛けて、秋刀魚は四国や九州の沿岸近くを泳いでいますが、中には稀に沖縄沖まで南下してしまうものもいるようです。

            ○

秋刀魚の下あごは突き出ており、この部分を「吻(ふん)」といいます。
吻が黄色い秋刀魚の身には脂肪が多くついています。
また、雄よりも雌の方が味は良いともいわれます。
背が青黒くつやのあるものは鮮度が良く、30センチ以上のものは大抵どれも脂がのっています。
秋刀魚のサイズが本来はまだ小さい時期であるはずの初秋に、大きな秋刀魚が店頭に並べられることがありますが、これは前年に獲られて冷凍にされていたものです。
9〜10月の旬の時期でも、今年獲られた秋刀魚に前年の冷凍物を混ぜて販売する店もあるという噂もあります。
ただし今の冷凍技術のレベルは高いので、冷凍物だからといって極端に味が落ちるわけではありません。

            ○

秋刀魚はハラワタが美味しいとされてきましたが、昔に比べて今の秋刀魚のハラワタの味は落ちたとも言われています。
これは秋刀魚漁の漁法に関係しています。
戦前は秋刀魚の通り道に網を張っておいて網に刺さったものを獲る刺し網が主に用いられましたが、戦後は大きな網で大量の秋刀魚をすくい獲る棒受網(ぼううけあみ)漁法が主流となりました。

刺し網漁をしていたときよりも棒受網漁に変わってから漁獲量は20倍に増えましたが、棒受網漁では網の中で秋刀魚同士がぶつかり合ってウロコが落ち、水中に舞うウロコを秋刀魚が飲み込んでしまうため、秋刀魚のハラワタの味が落ちると言われています。
また、秋刀魚はウロコが残っていれば新鮮だとされていましたが、最近の棒網を使う漁ではウロコが剥がれ落ちるのは珍しいことではないので、ウロコがないからといって鮮度が落ちているとは言い切れなくなっています。

            ○

秋刀魚が刺身にされたり江戸前寿司で出されるようになったのは最近のことのようですが、紀州地方には「さんま寿司」という伝統料理があります。
旬を過ぎたいわゆる「麦さんま」とよばれる産卵後の脂の少ない秋刀魚を使ってさんま寿司はつくられ、紀州地方では正月料理の一つとして食べられてもいます。

            ○

040901029 一般的にさんま料理といえば塩焼きですが、最近のマンションなどではモウモウと煙を出すような焼魚料理はできないところもあると聞きます。
そのような場合はアルミホイルで包んで蒸し焼きのようにするか、フライパンと蓋を使ってなるべく煙が出ないように焼くこともできます。

秋刀魚の和風ムニエルというのも美味しいものです。
これは『旬菜和食―和の新しい味わい』というレシピ本にのっていた秋刀魚料理の一つです。
秋刀魚の頭とハラワタを取り除き、水で洗ってから腹を開いて中骨や腹骨を取り除きます。
一匹を3等分くらいの大きさにして身を開いてから塩こしょうをふり、小麦粉を薄く付けて、多めの熱い油をしいたフライパンで焼くだけです。
薬味としてねぎや茗荷(みょうが)やしそなどを焼き上げた秋刀魚の上にたっぷりとのせ、ポン酢につけるなり上から掛けるなりして食べます。

さんまを味噌汁にすることもできます。
秋刀魚の頭と尾、ハラワタを取り除き、塩をふってから暫く放置した後に洗ってから輪切りのように切ります。
それを味噌汁の具として入れるのです。Sanma
魚臭さを消すためにしょうがを入れると良いですし、だいこんなどの野菜を一緒に入れても合うようです。

            ○

秋刀魚に含まれる栄養は豊富なことで有名です。
秋刀魚の身には牛肉と同量のタンパク質がある上にビタミン類は牛肉よりも多く含んでいます。
秋刀魚の血合には豚レバーと同等の鉄分が含まれ、皮や腹ワタにもDHAやタウリン、EPAなどが含まれています。
「秋刀魚が出回ると按摩が引っ込む」というほどですから、美味しいだけでなく体にも良い魚なのです。

<参考書籍>
マルハ広報室(2000)『お魚の常識非常識「なるほどふーん」雑学』講談社
高橋素子(2003)『Q&A 食べる魚の全疑問—魚屋さんもビックリその正体』講談社
セマーナ(2002)『スーパーで買える魚図鑑—これであなたもサカナ通!』日本文芸社
講談社(2002)『カラー完全版 魚の目利き食通事典 』講談社

<さんま関連>

三代目 三遊亭金馬 名演集 1 居酒屋/目黒のさんま/長屋の花見/唐茄子屋政談 三代目 三遊亭金馬 名演集 1 居酒屋/目黒のさんま/長屋の花見/唐茄子屋政談
三遊亭金馬(三代目)

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古畑任三郎 2nd season 1 古畑任三郎 2nd season 1
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両面焼きフィッシュロースター G-4113 両面焼きフィッシュロースター G-4113

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2006/09/08

マグロの血合は伊達じゃない

日本近海に生息するマグロは5〜7月頃にフィリピン沖や沖縄の八重山列島沖で卵を産みます。
意外にもあの巨大な魚から生まれる卵は直径が約1ミリです。
卵から孵って2ヶ月もすると10センチ程度の大きさに成長し、1年後の体長は50センチ程度になり体重は3キロにまで増えます。

            ○

日本近海のマグロは3月頃に沖縄近くの海から北上を始め、Map_bonito その後九州の南まで来ると、太平洋の黒潮にのって北へ向かうグループと日本海側の対馬海流にのって移動するグループに分かれます。 太平洋側のグループは春から夏にかけて高知や紀州、房総沖近辺を泳ぎ、日本海側グループは同じ時期に富山や佐渡沖辺りを北上しています。 冬になると太平洋側グループも日本海側グループも本州と北海道の間の津軽海峡に達します。

            ○

津軽海峡に面する青森県大間近くの海底には溝があり、この溝をマグロの大群が通り道にしていることから大間ではマグロ漁が盛んに行われています。
70〜80年代には大間にマグロがやって来なくなり、大間でのマグロの水揚げは一時的に殆ど無くなったこともありましたが、90年代以降、マグロは大間近くを再び回遊するようになりました。
この近辺で獲れるマグロの肉は良質でマグロ本来の味が楽しめるとして、近海物のクロマグロといえば大間と言われるくらいに特別扱いされています。

            ○

以前は北海道の余市や礼文でもマグロが水揚げされましたが、現在は獲れなくなってしまったようです。
1980年代に造られた青函トンネルや、1993年に起きたマグニチュード7.8の北海道南西沖地震が、北海道にまで回遊していたマグロのコースに影響を与えたためにマグロが北海道に来なくなったのではないかと噂されましたが、本当の原因は分かっていません。

            ○

日本の南の海で生まれたマグロは、2〜3年間は太平洋ルートか日本海ルートを南北に回遊しますが、その後太平洋を東に渡り、アメリカのカルフォルニア沖に移動します。
3〜4年の間カルフォルニア沖にいて成魚になると、マグロはまた日本の近海に戻ってきて回遊します。
そのように回遊を続けるマグロの寿命は短いもので5〜6年、長いもので15年程度といわれています。

            ○

マグロは通常時速60キロ程度で泳いでおり、最速で時速160キロまでスピードを出します。
しかもマグロは昼夜に関係なく泳ぎ続け、眠っている間はスピードを落としますが眠りながらも泳ぐことを止めません。
これはマグロが推進することでエラに海水を送り込み、海水中の酸素を体内に吸収し続けなければならないからです。
エラ近くには薄い膜をもつ動脈があり、この薄膜を通じて海水中の酸素を体内に取り入れます。
マグロが高速で泳いでいる最中に網にかかったりすると、吸収する酸素が減り、血中の酸素量が急激に低下するため直ぐに死んでしまいます。

            ○

この酸素を取り込む仕組みとも関係していますが、マグロの体温は高く保たれ、海域によってはマグロの体温の方が海水温よりも数十℃も高くなる場合すらあります。Bonito_blad
マグロは時速60キロ以上の高速で長距離を泳ぐため、酸素吸収を行う動脈から海水によって熱が奪われ、動脈中の血液の温度は下がります。
この動脈は体の側面の皮の下を静脈と平行するように走っています。
これら動脈と静脈からは毛細血管が体の中心に向かって網目状に伸びており、海水で冷やされた低温の血が流れる動脈の毛細血管と、体から発せられる熱で温められた血が流れる静脈の毛細血管が絡み合うように並んでいることから、動脈と静脈の間で熱交換が行われ、マグロの体内温度は一定に保たれるようになっているのです。
背中側の肉と腹側の肉の間にあるこれら毛細血管の集まりがマグロの血合とよばれる部分です。

マグロの筋肉の温度が10℃上昇すると、その筋肉が生み出すパワーは3倍になることが分かっています。
この静脈と動脈の間で行われる熱交換の仕組みにより体の中心部の温度が高く保たれ、マグロの筋肉は広大な太平洋を泳ぎきるためのパワーを生み出すことができるのです。

            ○

マグロが延縄の針などに掛かって逃げようとして長時間暴れ回ったりすると、体温は上昇するのにエラに入る海水が冷却の役目を果たさなくなるため、体内に溜った熱によって身が焼けてしまい、肉がバサバサになって味が落ちるといわれています。
特にキハダマグロの暴れ方は激しいそうです。
また、暴れることで筋肉中の乳酸が増えて味が落ちるとも言われており、延縄で獲れたマグロを使いたがらない料理人もいるといいます。

<参考書籍>
高橋素子(2003)『Q&A 食べる魚の全疑問—魚屋さんもビックリその正体』講談社
上田武司(2003) 『魚河岸マグロ経済学』集英社
岩井保 (2002)『魚河岸マグロ経済学』岩波書店

<マグロ関連>

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花寿司の幸 1 (1) 花寿司の幸 1 (1)
村上 茂雄

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2006/09/05

いわしの下賤は夢か

「鰯(いわし)」の語源は、すぐに傷んでしまう弱い魚を意味する「弱し」に由来するという説があります。
同じような意味でも、元々の呼び名は「いおよわし(魚弱し)」だったものがいわしに変化したという説もあるようです。

その他に、「いやし(賤し)」がいわしの語源になったという説があります。
平安時代のいわしは下層階級が食べる下品な魚として扱われていました。
『倭訓栞(わくんのしおり)』という書物に出てくる紫式部の句にもそれが表されています。

   日の本にはやらせ給う岩清水
     まいらぬ人はあらじとぞ思う

この句は、いわしを食べた紫式部が夫に文句を言われたことから、人気のあるいわしを食べぬ人はいないと反論するために詠んだ句だといわれています。

            ○

日本でいわしといえば一般的にはまいわしを指しますが、世界にいわしの仲間は300種類以上いるといわれています。
その中で日本人が口にするのは、まいわし、うるめいわし、にしん、さっぱ、このしろ、きびなご、ひら、片口いわしなどです。
分類学上、イワシ類はニシン類に含まれます。
ニシン類の中でも、まいわし、うるめいわし、にしん、さっぱ、このしろ、きびなご、ひらなどはニシン類ニシン科に含まれ、片口いわしはニシン類カタクチイワシ科に属します。
まいわしの名は片口いわしに似ていますが、分類学上はにしんに近い魚になるのです。

            ○

まいわしの体の側面には黒い斑点が線のように並んでいることから、地方によってはまいわしを「七つ星」と呼んだりもします。
まいわしの最も一般的な食べ方はやはり塩焼きでしょう。

            ○

うるめいわしの語源はこの魚の目が潤んで見えるためだといわれます。
うるめいわしは丸干しや目刺しなどの干物にされます。

            ○

このしろは大きさによって、しんこ、ぜにこ、こはだと呼び名が異なります。
しんこは寿司ネタとして珍重されています。

            ○

片口いわしは関東で「せぐろいわし」とか「しこいわし」などとも呼ばれます。
鮮度の良い片口いわしはまいわしよりもおいしいといわれますが、傷むのがとてもはやく、生のものが店頭に並ぶことはあまりありません。
日本では主に塩ゆでしてから干して乾燥させた煮干しになったり、しらす干しやこれを型に入れて乾燥させた干したたみいわしにされます。
また、稚魚を水で洗ってから干してつくる田作り(ごまめ)はおせち料理でお馴染みですし、アンチョビに加工されたものも目にします。

            ○

一般的に、しらす干しやちりめんじゃこといえばまいわしや片口いわしの稚魚を指しますが、本来は体が細長くて半透明の稚魚は全てしらすとよばれ、うなぎ、あゆ、いかなごの稚魚もしらすです。

まいわしや片口いわしの幼魚を白くなるまで塩水で5分程度ゆで上げ、これを乾燥させたものが関東では「しらす干し」(略してしらす)とよばれ、関西では「ちりめんじゃこ」(略してちりめん)とよばれます。
関東のしらす干しと関西のちりめんじゃこでは水分含有量が異なります。
簡単に区別してしまうと、水分を多く含むのがしらす干しでよく乾燥させたものがちりめんじゃこです。

            ○

まいわしの漁獲量は1985年頃を境に現在まで減少を続けています。
1985年前後の漁獲量は300万トン近くあったものが、2000年以降の漁獲量は30万トン以下になっています。
漁獲量が多かった時代は、獲られたいわしの97%が家畜や養殖のエサ、畑の肥料などに使われていましたが、今は人間の食べる分が水揚げされる全体量の20%程度になっています。

太平洋全域のまいわしの漁獲量は50〜70年くらいの周期で増減していることが確認されており、このいわしの漁獲量の増減は太平洋で起こる周期的な環境変化から影響を受けていると見られています。
その原因となる環境変化は特定されていませんが、アリューシャン低気圧の活動に起因する何かしらの変化が、1歳以下のいわしの稚魚の生存率を左右しているのではないかと推測されています。
詳しいことは水産庁のホームページの「資源評価」というサイトに入って、「広報活動」という項の「マイワシの謎」を参照してみて下さい。

<参考書籍>
高橋素子(2003)『Q&A 食べる魚の全疑問—魚屋さんもビックリその正体』講談社
外山健三(1991)『イワシ読本—頭の良くなる魚』成山堂書店
末永徹 (2005)『食材はどこから』料理王国社
主婦と生活社(2003)『おいしい言葉食べる言葉ものしり事典—食卓に一冊。うまさ倍増!話の調味料』主婦と生活社
セマーナ(2002)『スーパーで買える魚図鑑—これであなたもサカナ通!』日本文芸社

<いわし関連>

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2006/09/01

海苔とリサイクル技術

海藻(かいそう)を刻んで板のように薄くのばして乾燥させたものを干し海苔といいます。
干し海苔を短時間加熱したものが焼き海苔で、干し海苔や焼き海苔の片面に塩や醤油、味醂などで味をつけて加熱したものが味付け海苔と呼ばれる加工品となるのです。

ノリをこのように加工して食べるのは日本と朝鮮半島のみだといわれれており、中国やハワイ、インドネシア、北ヨーロッパなどでもノリは食されますが、薄く延ばして乾燥させたノリを食べる習慣はありません。

            ○

「海苔(のり)」または「浅草海苔」と呼ばれている食品の材料によく使われる海藻の学名は「ポルフィラ・テネリ」です。
明治時代の海藻学の権威であった岡村金太郎博士が、日本で昔から使われていた「浅草海苔」という呼び名をポルフィラ・テネリの正式な和名としたため、浅草海苔の原料となる海藻の標準和名も「アサクサノリ」となっています。
日本の沿岸には20種類程のノリが存在しており、アサクサノリだけでなくスサビノリなども海苔に加工されています。

            ○

古代の日本では、ワカメや昆布のような大きい海藻を「裳(も)」や「布(め)」と呼び、小型のものを「のり」と呼んでいたと考えられています。
平安時代の書物に、海苔は「紫菜(むらさきのり)」や「神仙菜(あまのり)」(または「甘海苔」)という名で登場しており、その当時の海苔は上流階級の進物や精進料理に使われる高級品として扱われていました。

            ○

「浅草海苔」が登場する最初の文献は、1638年に京都で出版された俳諧の入門書『毛吹草(けぶきぐさ)』で、この中に「葛西苔、是ヲ浅草苔トモ云ウ」と記されており、江戸時代初期には京都にまで「浅草海苔」の名が知れ渡っていたことが伺えます。

徳川家康によって江戸の町が建設され始めた頃は浅草近くの隅田川でもノリが採れたことから浅草海苔の呼び名が付いたという説がありますが、そのようなことを示す確かな記録は残されていないようです。
江戸時代に江戸湾で採れたノリが浅草の市場に集められてから各地に送られていたために「浅草海苔」という名が生まれたという説や、浅草海苔が浅草で生産されたことからこの名が付けられたともいわれており定かなことは分かっていません。

            ○

1700年代前半頃には、沿岸近くの浅瀬などに「ヒビ」と呼ばれる木の枝を立て、海中を漂うノリの胞子を着生させることでノリを養殖する方法が確立されていました。

ヒビの語源については二つの説があります。
江戸時代中期に、江戸城に毎日魚を献上する「日々御菜肴(ひびごさいさかな)」を命じられていた漁師が、不漁で魚が獲れないときに備えて木の枝や竹で生簀(いけす)を作り魚を貯えていました。
その生簀にノリが付着したことからヒントを得てノリの養殖が始められ、日々御菜肴を仰せつかっていた漁師が使った棒なのでヒビと呼ばれるようになったというのが一つの説です。

もう一つの説は、浅瀬に竹を突き刺して囲いをつくり囲いに入った魚をとる「日々網(ひびあみ)」と呼ばれる漁をしていた漁師が、海に刺した竹に付着したノリを見て養殖を考えついたため、日々網に使われた竹棒だったのでヒビという名になったというものです。

海に立てた棒状のものにノリが付いたことを参考にノリの養殖が始まったとする部分は二つの説に共通しています。

            ○

養殖が始まって間もない頃はノリを手で広げて干しただけの厚めの海苔が食べられていましたが、江戸時代中期に薄い海苔を作る方法が考案されます。
江戸時代には家々から古紙が集められ、紙すき場で落とし紙(今でいうところのトイレットペーパー)用にリサイクルされており、浅草でも隅田川などの水を利用した古紙再生業が盛んでした。
1716〜1736年ころ、ある浅草の紙すき職人が再生紙技術を応用して、刻んだノリを水に混ぜて薄く伸ばして乾燥させたものをつくったことから薄い海苔づくりは始まったといわれています。

            ○

軽くてかさ張らず保存性が高い浅草海苔は江戸の町の需要を満たすためだけに生産されていたのではなく、江戸土産としても大変人気がありました。
浅草海苔のブランド力が増すにつれ、地方にも海苔は浸透していき、江戸時代後期になると、海苔作りは上総地方や仙台の松島、駿河の三保の浦、安芸の広島湾、浜名湖などに広まっていきました。

それでも江戸時代を通して海苔は贅沢品で、海苔が一般庶民に日常的に食べられるようになったのは、幕府の許可が必要だったノリ養殖が本格的に自由化された明治時代になってからのことです。

            ○

更に海苔生産業にとって画期的な出来事が戦後になってから起きました。
1949年にイギリスのマンチェスター大学教授のキャスリーン・メアリー・ドゥルー・ベーカー氏(Dr. Kathleen Mary Drew Baker)が、ノリの胞子は春になると貝殻の中に入り込み、その中で糸状体と呼ばれる状態で成長した後、秋になって再び胞子を放出して海の中を漂うことを発見したのです。

糸状体やノリの成長過程のもう少し詳しい説明は「全国海苔貝類漁業協同組合連合会」のホームページの「海苔の知識」などを参照して下さい。

ドリュー氏の海苔の糸状体の発見後、海の中を漂ってくるノリを待つのではなく、胞子から培養した糸状体を網に付着させてこれを海に沈める養殖方法が考案されたことから、海苔の生産量は増え、質の向上にもつながり、日本人にとって海苔は更に身近な食品になったのです。

<参考書籍>
高橋素子(2003)『Q&A 食べる魚の全疑問—魚屋さんもビックリその正体』講談社
吉田豊(1995)『食卓の博物誌』丸善
末永徹 (2005)『食材はどこから』料理王国社
旅の文化研究所(2000)『落語にみる江戸の食文化』河出書房新社

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