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2007/03/25

タバスコ・ソースの誕生

喫茶店などのテーブルの端に塩やコショウの容器と一緒に置かれていたりする、小さく細長いガラス容器に入った見るからに辛そうな朱色をしたタバスコ・ソースは意外にも百数十年前に作られたという長い歴史を持っています。
タバスコ誕生についてはいくつかのお話しがあるようですが、その中の一つは次のようなものです。

            ○

アメリカで南北戦争が行われていた頃、メキシコのタバスコ州に派兵されていたある兵士が、この地できれいな花をつけるとうがらしを見つけました。
きれいな花を咲かすこのとうがらしを自分の家の庭に植えようと、この兵士はアメリカのニューオリンズに種を持ち帰ったのです。

その後、このとうがらしの種はニューオリンズに住むエドモンド・マキルヘニーという銀行家の手にも渡りました。
マキルヘニーは、南北戦争の戦火から逃れるためニュオリンズからルイジアナ州エーヴァリー島(Avery Island)に移り住み、この島でメキシコのタバスコ州からもたらされた種を蒔きました。
しかし、とうがらしが育つ前に、戦域の拡大によって、マキルヘニーはエーヴァリー島から再びテキサスに疎開しなければなりませんでした。

南北戦争が終わった1865年にマキルヘニーはエーヴァリー島に戻ります。
マキルヘニーがそこで見たものは戦争中に蒔いたとうがらしが成長して実を生らせている光景だったのです。
マキルヘニーはこのとうがらしの実を採り集め、すり潰してから、エーヴァリー島で採れる岩塩と酢を混ぜてソースをつくってみました。
これがタバスコ・ソースの始まりだったといわれています。

マキルヘニーは1868年にタバスコソースを350本の香水の空き瓶に詰めて初めて市場で販売を始めました。
この時に使った香水の瓶の形が、現在のあの小さく細長いタバスコ・ソースの容器の形の原型になったといわれています。

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ところで、南北戦争の時代に兵士がメキシコから持ち帰りタバスコの原材料に使われるようになったとうがらしはタバスコ・ペッパーとよばれています。
このタバスコ・ペッパーは極端に暑かったり寒かったりする厳しい環境では育ち難く、発芽時期には微生物などに対しても弱いという繊細なとうがらしなのです。

タバスコ・ペッパーの苗は非常に敏感で、タバコを吸う人が苗に触っただけでもタバコ中に含まれるウイルスによって成長に影響が出てしまい、タバコを吸う人が植えた苗木とタバコを吸わない人が植えた苗木とでは、はっきりと成長に違いが出てしまうといいます。

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無事にタバスコ・ペッパーが成長し実が生ると、収穫されてすり潰されて濃縮されます。
濃縮されたカプサイシンはオレオレジンとよばれます。
タバスコ・ソースが4万スコヴィルなのに対し、オレオレジンの辛さは100万スコヴィルにもなり、オレオレジンを取り扱うには手袋やゴーグルなどの安全対策が必要となります。(辛さの単位スコヴィルについては「唐辛子とカプサイシン」にあります)
オレオレジンは筋肉弛緩剤の原料とされたり、意外にもお菓子のアメやガムの材料にも用いられています。
(もちろんガムやアメに使用される場合はオレオレジンの濃度はかなり薄められて使われています)

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タバスコ・ペッパーを濃縮するときに出る種子や繊維はタバスコ・ソース造りには不要となります。
しかしこのとうがらしのカスも無駄にはされず、水分が取り除かれた後に精油業者に売られています。
精油業者はこのとうがらしのカスから油を抽出するのです。

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ステンレスとプラスチックが発明される前の時代のタバスコ・ソース工場では、タバスコ・ソースを生産するときに空気中に漂い出てしまう酸によって工場内のコンクリートの床や鉄鋼性の設備が浸食されてしまい、定期的に交換する必要があったといいます。
時代が進むにつれ、浸食対策や原料の保存性を高めるために工場内の設備は改善されたようですが、タバスコ・ソースの基本的製法は発明された当初から殆ど変わっていないといわれています。
今でもタバスコ・ペッパーの濃縮液に岩塩や酢、塩などが加えられ、長期間熟成させて造られているようです。

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南北戦争直後に創られたタバスコ・ソースは、その後アメリカから他国にも輸出されるようになり、国によってはある種の料理には欠かせないソースとして、そして、ある意味「クセになる」味のソースとして広まりました。

それを示す一つの例に、イギリス議会でタバスコ・ソースの取扱が話し合われたという逸話があります。
1932年に、イギリス政府は、自国製品の購入促進のため、外国からの製品輸入量を規制しましたが、マキルヘニー社のタバスコ・ソースは輸入禁止対象品目から外すように数人の下院議員が提案したというのです。
レストランで食べる牡蠣にタバスコ・ソースは必需品であるから、というのがこの提案の理由だったといいます。

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タバスコ・ソースがパリに伝わると、これがカクテルに使われました。
1920年代のことで、タバスコ入りのカクテルはパリで「バケット・オブ・ブラッド」と名付けられました。
この名前はその後「レッド・スナッパー」という名に変わり、1930年代になってニューヨークに伝わると、「ブラッディー・マリー」とよばれるようになったのです。

            ○

ところでタバスコと聞くとどのような料理を連想されますか?
スパゲティやピザを思いつく日本人は多いのではないでしょうか。
しかし、日本ではよく知られているタバスコ・ソースをスパゲティやピザに掛ける食べ方は他の国では必ずしも一般的とはいえません。
特にイタリア人にとっては奇異な食べ方に見えるようです。

タバスコ・ソースが入ってきた頃、日本人の食は急速に洋食化していく時代でした。
同じ頃に一般的に普及し始めたスパゲティやピザにも試しにタバスコ・ソースが振りかけられ、食べてみたらおいしかったので、そのような使い方が日本で広まったのかもしれません。

<参考書籍>

アマール ナージ(1997)『トウガラシの文化誌』晶文社
スー シェパード(2001)『保存食品開発物語』文藝春秋

<タバスコ関連>

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