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2007/02/18

金富良醤油と長崎商人

中国で茄醤(チェジャン)といえば一種のトマトソース、豆板醤(トウバンジャン)はとうがらし味噌を指します。
その他の醤(ジャン)として、胡麻を使った芝麻醤(チーマージャン)、アミを使った蝦醤(シャァジャン)なども有名です。
そして醤(ジャン)の一種である醤油は、中国語で「ジャンユー」と発音されます。
醤油の「油」は液体のことであり、醤油とは醤から搾り取った液体を意味しています。

中国の醤油には大きく分けて、生抽(ションチョウ)、老抽(ロオチョウ)、甜醤油(テイエンジャンヨウ)の三種類があり、生抽は日本でいう濃い口醤油、老抽は溜り醤油に似ています。
甜醤油は砂糖や香辛料が加えられた、とろみがある醤油です。

            ○

大豆を使った醤は中国から朝鮮半島にも伝わり、今でも味噌や醤油の類いは韓国料理でも欠かせない調味料です。(関連:「醤油と金山寺味噌」)

日本の溜り醤油のように、韓国でも大豆味噌を造るときに出る液を熟成させて醤油が造られました。
韓国では、毎年新しい醤油を造るとその前年に造られた醤油は陳醤(チンジャン)とよばれ、造ってから一年以上経った陳醤は一つの容器に集められました。
容器に入れられた陳醤は日向で保存されたため水分が次第に蒸発し、時間の経過と共に濃い色と味の醤油へと変化することになります。

10年や20年も保存される陳醤もあり、少し色の濃い陳醤は煮物やチゲに用いられ、長期保存して色がもっと濃くなったものは薬飯(ヤクパン)などに使われました。
反対に色が重視されるクックなどの料理には新醤油が使われるなど、韓国では料理によって熟成度が異なる醤油が使い分けられたのです。

            ○

大豆発酵食品が発達した北東アジアに比べ、東南アジアは魚醤が多用される魚醤文化圏といわれますが、大豆醤油がまったく使われないわけではありません。

タイでは主に二種類の醤油が使われています。
一つが「白醤油」を意味する「シーユ・カウ」、もう一つが「黒醤油」を意味する「シーユ・ダム」です。
「シーユ・カウ」は日本の薄口醤油に似ており、「シーユ・ダム」は中国でいう甜醤油のことで甘くとろみがあります。

インドネシアにも「ケチャップ・アシン」と「ケチャップ・マニス」と呼ばれる二種類の醤油があります。
「ケチャップ・アシン」は「塩辛い醤油」という意味であり、「ケチャップ・マニス」は「甘い醤油」を意味しています。

            ○

インドネシアといえば、日本が江戸時代に鎖国をしていたころ、「出島貿易」の一つとして日本の醤油はインドネシアを経由してヨーロッパに輸出されていました。

1775年に日本に滞在したスウェーデン人の植物学者であり医者でもあったカール・ツンベルグが著した「日本紀行」にも、日本製醤油がバタビア、インド、ヨーロッパに輸出されていると書き残されています。

            ○

オランダのアムステルダム国立博物館には、17世紀の長崎の出島からオランダ人によってヨーロッパに運ばれたという伊万里焼き風の醤油壺が保管されています。

この壺にはオランダ語で「日本の」という意味の「JAPANSCH」という言葉と、醤油を意味する「ZOYA」、そしてポルトガル語で商人を意味する「COMPRADOR」という語の略として「CPD」の印字があります。

17世紀の長崎出島に、「COMPRADOR」という語をもとにして名付けられたと思われる、「金富良」という長崎商人達が設立した店があり、この店が輸出した「金富良醤油」がヨーロッパに運ばれ、当時のヨーロッパでかなりの高値で取引されていたのです。

金富良醤油はルイ14世が食べた料理にも使われたという逸話も残されています。
ただし、この頃のヨーロッパでの醤油は味付けに使われるというよりも香りづけとして香辛料のように使われていたようです。

            ○

現在、醤油はアメリカでも広く使われていますが、以前のアメリカでは醤油の臭いが南京虫の臭いに似ているとされ、醤油はバグソースと呼ばれて日本人差別の一つにもなっていました。
1950年代の初期、そのようなアメリカ人の醤油蔑視の傾向は変わることになります。
朝鮮戦争で日本に駐留した多くの米兵が醤油の味を知ったことが、アメリカでの醤油普及のきっかになったのです。

1971年にはウイスコンシン州でアメリカ産大豆を使ったアメリカ人向けの醤油が造られるまでになり、その後、健康志向で日本食が注目されたこともあってアメリカでの醤油の消費は増々増えていきました。

            ○

ところで、最近は世界中で日本の醤油が流通するようになったためか、「マギーブイヨン」で有名なマギー社の名はキッコーマン醤油のもととなった野田醤油を創立した茂木家の名前からとられたものであり、「マギーブイヨン」の味や香りは醤油をもとにしてつくられたのだという話しを聞くことがあります。

しかし、マギーのサイトにある「マギーのこだわり」には、「マギー」というブランドが、1846年にスイスに生まれたジュリアス・マイケル・ヨハネス・マギー氏によって作られたとありますので、「茂木」から「マギー」ができたという話しは眉唾ものといった感じがします。

(この件について本当のところをご存知の方は教えて下さい)

<参考書籍>

森浩一(1987)『味噌・醤油・酒の来た道—日本海沿岸諸民族の食文化と日本』小学館
嵐山光三郎・鈴木克夫(1990)『お醤油の来た道—味の謎への探険隊』徳間書店
NHK取材班(1990)『人間は何を食べてきたか カレー、醤油』日本放送出版協会
小泉武夫 (2000)『漬け物大全—美味・珍味・怪味を食べ歩く』平凡社
柳田友道(1991)『うま味の誕生—発酵食品物語』岩波書店
吉田よし子(2000)『マメな豆の話—世界の豆食文化をたずねて』平凡社
高橋素子(2003)『Q&A 食べる魚の全疑問—魚屋さんもビックリその正体』講談社
井上勝六(1993)『「薬喰い」と食文化』三嶺書房
石毛直道(2004)『食卓の文化誌』岩波書店
俣野敏子(2002)『そば学大全—日本と世界のソバ食文化』平凡新書
江原 恵 (1986)『江戸料理史・考—日本料理草創期—日本料理草創期』河出書房新社
木村茂光(1996)『ハタケと日本人—もう一つの農耕文化』中央公論社
前川健一(1988)『東南アジアの日常茶飯—食文化観察ノート』弘文堂
黄慧性(2005)『韓国の食』平凡社

<醤油関連>

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2007/02/11

下り醤油や最上醤油

中国から日本に伝わった醤は日本で味噌として発展し、その味噌を造るときに出る上澄み液が「溜り」とよばれる調味料として使われるようになって、これが醤油の元祖となりました。(関連:「醤油と金山寺味噌」)
室町時代にはこの溜りが上流階層の食事で頻繁に使われるようになったといいます。
室町時代以前、刺身は酢や酢みそに付けて食べられていましたが、これらに代わって醤油が使われ始めたのも室町時代のことです。

            ○

「醤油」という言葉も室町時代の頃から使われ始めたと考えられています。
「醤油」の文字が出てくる最古の文献は、1559年に公家によって書かれた日記だといわれています。
この日記に「醤油の小桶を送る」という記述があるのです。
ただしこの日記に出てくる醤油が本当に調味料である醤油を指しているのかは定かではないため、調味料としての「醤油」という言葉の使用が確認できる最も古い文献は、江戸時代より少し前になる1597年に書かれた『易林本節用集(えきりんぼんせつようしゅう)』であるという説もあるようです。

            ○

室町時代の溜りと呼ばれた醤油は、大豆でつくる大豆麹に食塩を混ぜてから丸めたものを発酵させ、この玉から垂れてくる液を集めてつくられていました。
この製法では大量の醤油を造ることはできないため、この時代の醤油は正月料理やお盆用料理に限って使われる貴重な調味料として扱われていたといいます。

            ○

安土桃山時代になると醤油の生産方法が改善されていき、生産量も徐々に増えていきました。
この頃になると、炒ってから搗いた大麦を煮大豆に混ぜ込んで麹菌をつくり、ここに水と塩を加え、時々かき混ぜながら75日間寝かせて発酵させ、最終的には布製の袋で濾しとるという方法で醤油が造られ、「一番醤油」や「生揚げ」の名称で呼ばれていました。

            ○

江戸時代も元禄の頃になると、麹菌を造るのに大麦だけでなく小麦も加えられるようになります。
これは今でいう「濃口醤油」製造の始まりであり、時代が進むと大麦を混ぜる量は次第に減っていき、後に小麦だけが使われるようになったのです。

            ○

江戸時代の初め頃、関東で消費される醤油の殆どは関西で製造されていました。
江戸で「下り醤油」と呼ばれた上方産醤油は、輸送費が掛かることから関東で非常に高価なものとなり、酒と値段が変わらないという時代もあったようです。

江戸時代初期の関東でも醤油は僅かに造られていましたが、酒と共に上方文化の象徴として扱われた高品質の関西産醤油は関東産のものより2倍近く価格が高かったといいます。

蕎麦をツユに少しだけ付けるのが粋な食べ方だという考えは、醤油の価格が高かった頃の江戸の蕎麦屋が麺つゆを倹約するために吹聴したことによってできたという説もあります。

            ○

17世紀後半になると、野田の高梨家や茂木家で醤油が造られるようになり、江戸での醤油の大量生産が本格的に始まったことから、関東における関西産醤油の消費量は次第に減っていきました。

関東の醤油主産地の一つとなる銚子に醤油作りを伝えたのは、醤油発祥地ともされている湯浅出身の浜口儀兵衛らだったといわれています。
紀州と房州の間には黒潮が流れているため、湯浅近くで海難に遭って銚子あたりまで流された人がこの当時多くおり、このような人達の中にも銚子の醤油造りに貢献した人がいたのではないかとも推測されています。

            ○

江戸時代末期にインフレによる物価上昇が大きな問題となり、幕府は強制的に全ての物の価格を30〜40%下げる政策をとったことがありました。
しかし醤油造りはコストを抑えたり品質を落とすことはできないとして、醤油価格引き下げに対して醤油製造家達が猛反対しています。
この醤油製造家達の訴えは幕府により認められため、野田や銚子で造られる一部の醤油価格は例外的に据え置かれ、他と区別するためにこれらの醤油には「最上醤油」という名称がつけられました。
これに次ぐ物には「次最上」、その下のものには「極上」という名が付けられましたが、これらの等級名はつい最近までブランド名のようにして使われ続け、醤油のラベルにも表記されていたのです。

            ○

ところで現在の醤油には、代表的な「濃口醤油」の他にも、「淡口醤油」や「溜り醤油」「白醤油」「甘露醤油」「生醤油」「減塩醤油」などがあります。
以下がそれぞれの醤油の特徴です。

濃口醤油 
一般的に醤油と言えば濃口醤油を指し、日本の醤油生産額の90%はこの濃口醤油が占めています。
関東で発達した醤油で、野田や銚子、兵庫県の高砂などが主産地となっています。

淡口醤油 
関西での消費が多い醤油です。
濃口醤油より色が薄いのですが塩味はやや強めです。
素材の色を生かして料理したいときに使われます。
製法は濃口醤油とほぼ同じですが、大豆を蒸すときや小麦を炒る工程で色がつかないように工夫されています。

溜り醤油
醤油の元祖といわれています。
とろみがあり、色が濃く、味も濃いのが特徴で、刺身や煮物に使われたりしています。
中部地方での消費が多いようです。

白醤油 
淡口醤油に似ていますが淡口醤油より色が薄く金色に近い色をしています。
江戸時代に紀州でつくられたといわれ、やはり中部地方での消費が多い醤油です。

甘露醤油
濃口醤油の製法と同じように造られますが、濃口醤油に塩水が使われるのに対して、甘露醤油では塩の代わりに生醤油が使われているため、味や香りはきわめて濃厚です。
山口県柳井でつくられ関西で使われています。

生醤油
火入れをしていない醤油で香りのよい醤油です。
加熱しても香りが残るため煮物料理などに好んで使われたりしています。

減塩醤油
濃口醤油と基本的には同じ製法でつくられていますが、使用する塩分の量は約50%になっています。
塩分の摂り過ぎに気をつけなければならない人向きの醤油です。

<関連書籍>

森浩一(1987)『味噌・醤油・酒の来た道—日本海沿岸諸民族の食文化と日本』小学館
嵐山光三郎・鈴木克夫(1990)『お醤油の来た道—味の謎への探険隊』徳間書店
NHK取材班(1990)『人間は何を食べてきたか カレー、醤油』日本放送出版協会
小泉武夫 (2000)『漬け物大全—美味・珍味・怪味を食べ歩く』平凡社
柳田友道(1991)『うま味の誕生—発酵食品物語』岩波書店
吉田よし子(2000)『マメな豆の話—世界の豆食文化をたずねて』平凡社
高橋素子(2003)『Q&A 食べる魚の全疑問—魚屋さんもビックリその正体』講談社
井上勝六(1993)『「薬喰い」と食文化』三嶺書房
石毛直道(2004)『食卓の文化誌』岩波書店
俣野敏子(2002)『そば学大全—日本と世界のソバ食文化』平凡新書
江原 恵 (1986)『江戸料理史・考—日本料理草創期—日本料理草創期』河出書房新社
木村茂光(1996)『ハタケと日本人—もう一つの農耕文化』中央公論社
前川健一(1988)『東南アジアの日常茶飯—食文化観察ノート』弘文堂
黄慧性(2005)『韓国の食』平凡社

<醤油関連>

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2007/02/04

醤油と金山寺味噌

日本の漬物や塩辛、納豆などの発酵食品の起源を辿っていくと中国の醤(ショウ)にまで遡ることができます。(関連:「塩辛は調味料」「納豆と納豆菌」)
醤(ショウ)とは材料に塩や酒を加え発酵させた調味料のことです。
紀元前3世紀という昔に、中国には100種類以上の醤があったという記録が残されているそうです。
醤がつくられ始めた頃は動物の肉や魚肉が材料として使われていましたが、後に穀物などの植物性の材料も使われるようになり、そのような醤が醤油の元祖にあたります。

            ○

穀物でつくられる醤についての記述が出てくる最古の文献は1世紀頃の中国で書かれた『論衡』です。
紀元1世紀かそれ以前から、大豆を原料とした「豆醤(トウショウ)」や黒大豆を使った「鼓(クキ)」など、植物性の醤がつくられるようになったと考えられています。

大豆を使った醤には日本の味噌に近い固形の発酵調味料や、大豆に小麦を加えた甘い味噌である麺醤がありました(「麺醤」は「甜面醤」や「甜醤」ともいいます)。
そしてもう一つの系統に「醤油」(または「清醤」)という液状の醤があったといいます。
「醤油」の名に使われる「油」という字は「あぶら」が原料として使われたということではなく、トロトロとした粘度のあるものを意味しています。

            ○

大豆を使った醤は朝鮮半島に伝わり、その後平安時代の頃、日本に伝来して「ひしお」という和名がつけられました。
日本に伝わった当初の醤は液状のものではなく固形状で粒の残った固めのものであり、味噌の元祖ともいわれています。
日本人の嗜好に合うように醤が味噌へと発展していく過程で、もう一つ枝分かれして出てきたのが日本の醤油です。

            ○

日本で最初の醤油がどこでつくられたかについては、名古屋であるとか関西であるなど諸説があり定かではありません。
様々ある説の中の一つに、紀州の湯浅が醤油の発祥地だとするものがあります。
西方寺の覚心禅師がこの地に径山寺味噌を伝え、これが後に醤油になったというものです。

1249年、覚心禅師は日宋貿易船に乗って中国に渡り、杭州の径山興聖万寿禅寺で修行しました。
中国で覚心禅師は虚無僧の尺八を学び、1254年にこれを日本に持ち帰って虚無僧尺八の開祖になっています。

径山寺で覚心禅師は尺八だけでなく「鼓(クキ)」の作り方も学び、日本に帰ってからその作り方を湯浅で教えたといわれています。
これが後に「金山寺味噌」と呼ばれるようになった味噌です。

ある時、金山寺味噌を造っている過程で、味噌を発酵させる容器から濃い色をした汁が垂れ落ちているのに覚心禅師は気づいたといいます。
覚心禅師が試しにこれをなめてみると、この味噌から染み出た液の味はとても良く、調味料として使えることを発見したということで、これが日本での醤油の始まりになったという言い伝えがあるのです。

            ○

日本の各地で、味噌の上に押し込んだザルに浮き出る上澄み液が調味料として使われるようになると、これが「溜り」とよばれるようになりました。
もともと「味噌溜り」と呼ばれていたものが短縮されて「溜り」という名になったもので、これが「溜り醤油」の語源ともなったのです。

            ○

現在、味噌は大豆と米と麦を蒸してから麹と塩を混ぜ、発酵させてつくられます。
一方、醤油は大豆に小麦粉と食塩水を混ぜて作られます。
豆に麹菌を直接つけて発酵させてつくられるのが醤油であり、米や麦についた麹菌によって間接的に豆を発酵させることでつくられるのが味噌なのですが、この発酵方法の違いが二つの調味料に異なった特徴を与えることになります。
味噌に比べて、大豆を直接的に発酵させる醤油の製法は大豆をより分解することになり、鋭い味がつくられますが、醤油に含まれる大豆の栄養価は味噌よりも少なくなります。
逆に、味噌をつくる過程では大豆の栄養価は保たれますが、味噌の味は醤油に比べてボケた感じがするのです。

<参考書籍>

森浩一(1987)『味噌・醤油・酒の来た道—日本海沿岸諸民族の食文化と日本』小学館
嵐山光三郎・鈴木克夫(1990)『お醤油の来た道—味の謎への探険隊』徳間書店
NHK取材班(1990)『人間は何を食べてきたか カレー、醤油』日本放送出版協会
小泉武夫 (2000)『漬け物大全—美味・珍味・怪味を食べ歩く』平凡社
柳田友道(1991)『うま味の誕生—発酵食品物語』岩波書店
吉田よし子(2000)『マメな豆の話—世界の豆食文化をたずねて』平凡社
高橋素子(2003)『Q&A 食べる魚の全疑問—魚屋さんもビックリその正体』講談社
井上勝六(1993)『「薬喰い」と食文化』三嶺書房
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<醤油関連>

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