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2007/01/14

蕎麦と江戸っ子

蕎麦発祥の地がどこなのかについてはよく分かっていませんが(関連:「蕎麦と寺」)、蕎麦が商品として最初に売られ始めた場所は大阪だったという説があります。
豊臣秀吉が大阪城を築城するときに大阪には多くの人足や職人が集められ、この労働者を目当てにした「砂場」と呼ばれる蕎麦を商いする店が大阪の町で多く見られるようになったのだといわれています。

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関東に蕎麦を売る店が増えたのも江戸の町が開発された頃のことです。
徳川家康が駿府から関東に国替えさせられたとき、多くの商人が徳川家康と共に江戸に移り住み、この中には駿河で蕎麦を売っていた商人も含まれていました。
この駿河から江戸に移住した蕎麦屋の人達が、後に華開く江戸の蕎麦文化の重要な礎の一部となっていったのです。

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蕎麦つくりの歴史の初期頃、蕎麦は短時間茹でられてから蒸籠で蒸されていました。
これは、当時、蕎麦打ちに「つなぎ」が殆ど使われていなかったためです。
うどんに使われる小麦粉は粘りを出すグルテンを含んでいますが、ソバ粉にはそれが含まれていません。
そのため、つなぎ無しで打った蕎麦を長時間茹でると切れたり溶けてしまったりするため、蒸して加熱されていたのです。
このことから当時の蕎麦は「せいろうそば」とか「蒸し蕎麦」の名で呼ばれていました。

現在の「もりそば」の名は蒸し蕎麦が蒸籠に盛り上げられていたことに由来しています。
「ざるそば」はもともと竹ざるに盛られていたことからこの名が付けられましたが、いつの間にか海苔が掛けてあるものがざるそばと呼ばれるようになりました。

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1700年代初期の江戸では主に菓子屋が蕎麦をつくっていました。
つなぎを使わずにソバ粉だけで打たれた蕎麦を茹でるのは簡単ではなく、蒸す技術を持った菓子屋が副業として蒸し蕎麦を販売していたのです。
しかし中には蕎麦の方が菓子よりもよく売れる店も出てくるようになり、次第に蕎麦を専門に売る店が増えていきました。

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1700年代後半になると、江戸ではうどんよりも蕎麦の方が人気を得るようになります。
関西ではうどん、関東では蕎麦が好まれるという傾向が見られるようになったのはこの時代の頃からです。
関西ではうどんの原料となる小麦の栽培地が多かったのに対し、関東には火山灰が堆積した土地が多かったため、そのような土壌に合うソバ栽培が関東で盛んになり、このことが関東で蕎麦が好まれる一因になったと考えられています。

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江戸で蕎麦の消費が増えるようになると、蕎麦打ちが効率よく行えるように次第に「つなぎ」が使われ始めました。
江戸時代に書かれた『料理物語』には、蕎麦を打つ時のつなぎに豆腐や重湯を使う方法が記されています。
豆腐ではなく大豆を水に浸けてからすり潰した「呉汁」と呼ばれるものをつなぎとして入れると蕎麦の保存性が高まるということも江戸時代中期頃に発見されています。
この呉汁は青森の一部の地方では今でも使われているものです。
その後、蕎麦職人達の試行錯誤の末、蕎麦のつなぎとしては小麦粉を使うのが一般的になっていきました。

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二八蕎麦の名はソバ粉とつなぎの小麦粉を混ぜる割合が8対2であったことに由来しているという説があります。
そうではなく、長い間、江戸時代の蕎麦の値段が十六文だったため、二八の十六のシャレからこの名がついたのだという説や、江戸時代の蕎麦一杯の量は一人で二杯食べて丁度お腹がふくれるくらいしかなく、一杯が八文で二杯食べると十六文になることから二八そばと言われるようになったという説もあり、二八そばの語源については諸説ありますが本当のところは分かっていません。

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江戸時代の蕎麦の盛りが少なかったのは蕎麦屋がケチったからというより、それが江戸の流行だったからです。
江戸っ子の間では小食であることを「江戸腹」と言い、これが粋とされていました。
山盛りにされたものを腹一杯食べるのは粋とは言えず、蕎麦も小盛りにされたものが江戸っ子に好まれていたのです。

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この「粋」を愛した江戸っ子にとって、蕎麦は最も粋な食べものの一つでした。
また、「粋」に「艶」はつきものだったことから、粋な食べものの蕎麦は江戸っ子に「艶」を連想させていたようです。

江戸時代の蕎麦屋の二階は逢い引きによく使われたようですし、吉原の遊び客が「ここに来る前に蕎麦を食べてきた」と遊女に言えば、遊女から「粋な人」と思われたともいいます。
現代の日本でも、イタリア料理を食べるとかフレンチのお店に行くということにオシャレな響きがありますが、それに近い印象が江戸時代の蕎麦や蕎麦屋にあったのかもしれません。

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ところで、江戸時代の蕎麦職人は蕎麦を細くつくれるようになればなるほど、高い給料がもらえたといいます。
これは細い蕎麦が江戸っ子の「粋」感覚に合致していたからです。

しかし単に細い麺であれば粋であるというわけではありませんでした。
そうめんも細長い麺ですが、江戸っ子がそうめんを粋な食べものと見なしていなかったことでもそのことが分かります。

細いのに茹でても切れずにコシのある蕎麦を食べさせるには高い技術が必要になります。
色や香り、食感などの要素が上手く組み合わさり、切れそうなほど細い麺にそれらの要素が一つにまとめられ、しかもその高度な技術がこれ見よがしに誇張してみせられるのではなく、ただ「細さ」という一点だけでさり気なく表現される蕎麦という食べものは江戸っ子の「粋」感覚に合っていました。
そのため、蕎麦は細ければ細いほど粋であるとされ、細い蕎麦をつくれる職人は「粋」を提供できる人として高給を得ることができたのです。

<関連書籍>

俣野敏子(2002)『そば学大全—日本と世界のソバ食文化』平凡新書
笠井俊弥(2001)『蕎麦—江戸の食文化』平凡新書
安達巌(2004)『日本型食生活の歴史』新泉社
月刊食生活編集部(1992)『グルメのおもしろ語源集—食べものふしぎ博物館』コア出版
奥山忠政(2003)『文化麺類学・ラーメン篇』明石書店
岡田哲(2002)『ラーメンの誕生』筑摩書房
石毛 直道・森枝 卓士(2004)『考える胃袋—食文化探検紀行』集英社

<蕎麦関連>

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