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2006/10/17

豚肉と日本人

古代の北海道には野生の猪は生息していなかったことが分かっています。
しかし、その北海道で見つかった縄文時代後期の遺跡から猪の骨が出土しており、体に縦縞があり瓜坊と呼ばれる猪の子供を模した土偶も発見されているのです。

北海道以外でも伊豆諸島や佐渡島など野生猪が生息しなかったはずの地域から猪が飼われていた痕跡が発見されており、これらのことから古代の日本人によって家畜化された猪が野生猪のいない地域にも持ち込まれていたのではないかと推測されています。

大人になれば人間を噛殺すほど獰猛になる猪も子供の内であれば人になつかせることが可能なため、これを飼い慣らすようになったのが家畜化の始まりだと考えられています。

日本で本格的に農耕が行われるようになった弥生時代になると食糧に余裕ができるようになり、余った食糧をエサにして猪の飼育が盛んに行われ始め、やがてこれが豚の飼育へと繋がっていったと見られています。

            ○3008000006

「続日本紀(しょくにほんぎ)」によれば、肉食を禁じる聖武天皇の殺生禁断の詔が出される少し前の732年に、聖武天皇の命令で農民が飼っていた40頭の 「猪」が山に放されており、日本人の肉食が全面的に禁止される以前に豚の飼育は禁じられてしまいました。
これにより豚肉食は日本から公式には一時的になくなってしまうのです。

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14世紀の前半になると中国から琉球王国に豚肉食が伝わり、琉球宮廷料理に豚肉が使われるようになります。
17世紀に明から琉球にさつまいもが伝わると、さつまいもが豚の餌に使われるようになり、琉球で養豚は盛んになりました。

沖縄では肉のことを「シシ」といい、通常シシといえば豚肉のことを指します。
沖縄で豚は「鳴き声以外は余すことなく食べ尽くす」といわれ、豚肉は部位によって含む栄養が異なりますが、一頭の豚を残すことなく食べれば栄養バランスは完璧だともいわれています。
豚肉を食べれば悪霊から守られるという言い伝えもあるため、沖縄では豚肉料理が正月に食べられたりもしています。

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ところで、「ぶた」の呼び名の由来は定かにされていませんが、蒙古の言葉の「ボトン」や朝鮮の言葉の「チプトヤチ」、スンダ語の「ビチス」やシャム語の「バチ」など、何れかの語句が転じんて「ぶた」になったのではないかと考えられています。
太っていることから「猪太(いぶと)」と呼ばれていたものが変化して「ぶた」になったのではないかという説もあります。
ちなみに、猪は隠語で「ぼたん」と呼ばれますが、これは「牡丹に唐獅子」のシャレからきているものです。

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1697年に書かれた『本朝食鑑』には「猪」とかいて「ぶた」と読むと説明されたうえで、この時代のぶたは公家の家で飼われていたことが記されています。
しかし、この豚は人間が出す排泄物処理が主な目的で飼われていたもので、豚肉は猟犬のエサなどにされるくらいで公家が豚の肉を食べることはなかったようです。

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豚を汚物処理に使う方法はアジアやヨーロッパなど世界各地で行われていました。

1131年、フランス皇太子フィリップが町中で馬を進めていたとき、一匹の大きな豚が皇太子の馬に猪突猛進したことで皇太子は落馬してしまい、これがもとで皇太子が亡くなってしまうという事件が起きています。
この当時の豚は猪と変わらないほど大きな体格をしており、牙も持っていて気性が荒かったのですが、パリの町ではこの巨大豚を至る所で放し飼いにして汚物などを食べさせていたようです。
フィリップ皇太子が亡くなった事件後、パリの町中で豚を飼育することは禁止されました。

沖縄でも大正時代の頃まで家のトイレは豚小屋と連結して建てられ、これがフールと呼ばれていましたが、昭和になってから衛生上に問題があるとして禁止されています。

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1780年代に書き残されたある文章には「家猪」と書いて「ぶた」と読ませており、中国やオランダとの交易地だった長崎で少数の豚が飼われ食用にされていたことが記録されています。

19世紀前半になると豚の飼育は沖縄から現在の鹿児島である薩摩に伝えられました。
薩摩では豚の骨付き肉を味噌や焼酎で煮込んで黒砂糖を入れる豚骨料理などがつくられるようになり、今や鹿児島の代表的郷土料理の一つになっています。

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3005010099 猪は江戸時代から日本人に食べられていたため、明治の文明開化の時代、猪肉に似た豚肉は牛肉に比べ新味に欠け、新しいものを取り入れる世の流行に合わなかったことから豚肉需要はあまり増えませんでした。
民家近くで飼われた豚に発生した病気が問題になったり、病気の豚が売買される事件が発生するなどしたために、何度か豚の販売が明治政府により禁じられたのも消費が伸び悩んだ原因だったといわれています。

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明治33(1900)年に、明治政府は日本での養豚産業の本格的発展のために欧米から種豚を輸入し始め、明治時代中期になって洋食屋でポークカツレツが食べられるようになると、豚肉を食べる習慣は次第に日本全国に広がっていきました。

明治40(1907)年の豚の出荷頭数は37,000頭でしたが、その5年後には62,000頭にまで増加しており、年間一人当たり豚肉消費量は、明治16(1883)年には4グラムだったものが、明治30(1897)年には122グラム、昭和初期には500グラムと増えており、現在は日本人一人が年間に食べる豚肉は15キログラム程度にまで増えています。

<参考書籍>

岡田哲(2000)『とんかつの誕生—明治洋食事始め』講談社
吉田 豊(1995)『食卓の博物誌』丸善
石井美樹子 (1997)『中世の食卓から』筑摩書房
安達巌(2004)『日本型食生活の歴史』新泉社
赤嶺政信 (2003)『沖縄の神と食の文化』青春出版社
井上勝六(1993)『「薬喰い」と食文化』三嶺書房

<豚関連>

紅の豚 紅の豚
宮崎駿 森山周一郎 岡村明美


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デリカテッセン <デジタルニューマスター版> デリカテッセン <デジタルニューマスター版>
ジャン=ピエール・ジュネ マルク・キャロ ドミニク・ピノン


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ブタフィーヌさん(1) ブタフィーヌさん(1)
たかしまてつを ほぼ日刊イトイ新聞/佐藤卓


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