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2006/10/04

糠と漬物と乳酸菌

日本の記録に漬物が初めて出てくるのは奈良時代の木簡で、瓜や青菜の漬物という言葉が記されています。
平安時代になると漬物について書かれた文章は多くなり、この時代に漬け物の露天売りがいたと読める記述も残されています。
室町時代後期になると漬物は店舗でも販売されるようになっていました。
そして日本の漬物の歴史の中で革命的ともいえるぬか漬けが登場したのは17世紀末から18世紀初め頃のことです。
味噌漬けや塩漬けとは異なり、きちんと管理すれば何度でも使うことができるぬか床に漬けるぬか漬けは、すぐに庶民の間で広まりました。

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糠(ぬか)は白米の外側についており玄米が精米されるときに取り除かれますが、この糠に塩と水を混ぜて発酵させたものが「ぬか床」または「ぬか味噌」とよばれるものです。(関連:「米と糠(ぬか)」)
ぬか味噌の原料の米糠には炭水化物やたんぱく質、脂質、無機質、ビタミンなどが含まれています。

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ところで、ビタミンB1は、明治43(1910)年に日本人の鈴木梅太郎博士によって米糠から発見されたものです(後に島園順次郎博士によってビタミンB1の 欠乏が脚気の原因であることが解明されました)。
数あるビタミンの中で、鈴木博士が発見したビタミンB1が世界で最初に発見されたビタミンなのです。
鈴木博士は発見したこの栄養素に「オリザニン」という名を付けましたが、その翌年に同じ栄養素を発見したポーランドの化学者カシミール・フンクは、生命(vita)に必要な有機化合物のアミン(amine)という意味で「vitamine」という名をこの栄養素に付けています。
「vitamine」は後に「ビタミン(vitamin)」という名に改められ、世界的にこのビタミンという名称が使われるようになったため、ビタミンの第一発見者はフンクであったかのように扱われてしまった歴史があります。

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3005000062 ぬか漬けにした野菜はそのビタミンB1を多く含んでいます。
野菜を糠に漬けるとぬか床の中に含まれる塩の浸透作用によって野菜の細胞から水分が外に流出し、糠に多量に含まれるビタミンB1やその他の栄養素が野菜細胞の水分が抜けたその隙間に入り込むため、ぬか漬けを食べればビタミンB1などを摂取することができるのです。

ぬか床を継続的に使用しているときに、ぬか床にザルなどを押し込んで染み出てくる水分を取り除き、新たにぬかと塩を補充する作業が必要になりますが、この水は塩の浸透作用で野菜から出たものなのです。

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ぬか漬けの効用は糠の栄養が野菜に移るだけではありません。
ぬか味噌の中の微生物が促す発酵作用によって、ぬか漬けにした野菜の栄養は増加します。
1グラムのぬか味噌の中には1億以上の乳酸菌や酵母、酪酸菌などの微生物が繁殖しており、これらの微生物は糠の栄養をもとに活発に働いて糠を発酵させ、米糠の成分を乳酸やアルコールなどに転化します。
乳酸菌による発酵で作られる様々な有機酸と香り成分は野菜の青臭さを隠して、うま味と酸味をつくる働きをするのです。

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ぬか漬けは殺菌の面から見ても優れた保存処理方法です。
腐敗菌などの有害菌は繁殖するのに空気を必要とし、塩分や酸に弱いという性質があります。
ぬか床の中の塩には野菜の細胞の働きを止めて腐敗がすすむのを防ぐ目的もありますが、有害菌の働きを抑制する働きもあるのです。
また、乳酸菌による発酵によって酸が作られるため、ぬか床の中は有害菌が活動できなくなるpH(ペーハー)3.8以下の状態がつくられます。
ぬか床を毎日かき混ぜると、ぬか床表面で繁殖するカビは空気から遮断され、ぬか床の中の塩と酸で殺菌されてしまうのです。

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ぬかをかき混ぜるのは殺菌のためだけでなく、ぬか漬けをおいしくするためにも必要な作業となります。
漬けた野菜から出る水分でぬか床の中の水分が増えると、水分を好む乳酸菌が増え、乳酸菌が増えすぎると漬け物の味は酸っぱくなってしまいます。
乳酸菌は空気を嫌うことから、ぬかをかき混ぜることで乳酸菌の増加をコントロールしてぬか漬けの酸味を調節することができるのです。
また、臭気の素となる酪酸菌も空気に弱いため、ぬか床をかき混ぜるとやな匂いも抑えることができます。

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今の時期は秋なすをぬか漬けにする機会も多いかもしれません。
しかしなすを糠にただ漬けるだけでは、なすは変色してしまい、せっかくのきれいな紫色があせてしまいます。
乳酸発酵によって酸性になったぬか床の中で、茄子に含まれるアントシアン系色素が酸に反応するためにこの変色は起こります。

なすを漬けるときには釘やミョウバンを入れると色よく漬かるといわれています。
ぬか床に古釘やミョウバンを入れると、釘の鉄イオンやミョウバンのアルミニウムイオンと茄子の色素が結合して安定した色を保つことができるためです。
また、鉄釘を入れて漬けたなすは鉄分を多く含むようになり、ミョウバンを入れたものは歯ごたえがよくなるという効果もあります。

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このようにぬか床の中の目に見えない栄養素や微生物による発酵作用の効用については最近になって解明されてきたことです。
しかし、日本人の祖先は栄養学や発酵学を学ばなくても経験と知恵を生かしてぬか漬けの栄養や保存性を高め、味や色の良い漬物をつくる方法を編み出したのです。
その成功の裏には、試しに作っては食べてみる地道な努力や、数々の失敗もあったはずです。
多くの先人の失敗のおかげで現在おいしいぬか漬けが安心して食べられるのだと考えると、いつものぬか漬けも違った食べものに見えてくるかもしれません。

<参考書籍>

高橋素子(2001)『Q&A 野菜の全疑問—八百屋さんも知らないその正体』講談社
高橋素子(2004)『Q&A ご飯とお米の全疑問』講談社
井上勝六(1993)『「薬喰い」と食文化』三嶺書房
小泉武夫(2005)『小泉武夫 食のワンダーランド』日本経済新聞社
小泉武夫 (2000)『漬け物大全—美味・珍味・怪味を食べ歩く』平凡社

<ぬか漬け関連>

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