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2006/09/04

ジャガイモがつくる世界史

1530年代前半のインカ帝国侵略時に、スペイン人はヨーロッパの人間としては初めてジャガイモを目にしました。(関連:「ジャガイモの原産地」)
インカ帝国の一般庶民が常食していた根にできたコブの名前をスペイン人が尋ねたところ、インカの人々はケチュア語で「パパタ」や「ポテト」などと答えたため、これが語源となって、英語でジャガイモを「ポテト(potato)」、スペイン語では「パタタス(patatas)」と呼ぶようになります。

ヨーロッパ人は初めて見たサツマイモとジャガイモを混同していたようで、いくつかの記録ではジャガイモにもサツマイモにも「ポテト」という単語が使われており、後にこれらの記録について研究した学者を混乱させることにもなりました。

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1576年頃にジャガイモはスペイン本国に伝わりました。
1580年代に入るとヨーロッパでジャガイモは徐々に広まっていき、イタリアやイギリスにも持ち込まれています。
しかし当時のヨーロッパでジャガイモは食用にはされておらず、フランスのブルゴーニュ地方では法律によって食べることが禁じられたりもしています。

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ジャガイモがヨーロッパで食用として直ぐに受け入れられなかったのには三つの理由がありました。Potatosm 第一に、当時のヨーロッパの人達の既成概念では植物は種から繁殖するものであり、根茎によって繁殖するジャガイモは気味悪がられたということがあります。第二に、ジャガイモの形はゴツゴツとして腫瘍を連想させることから、食べれば病気の原因になると考えられ、一部ではジャガイモに催淫効果すらあると信じられたりもしたことが理由に挙げられます。そして最後に、ジャガイモに限らず「新大陸」から伝わった新しい植物について、聖書には食べて良いとも悪いとも当然記述されておらず、ヨーロッパの多くの人はジャガイモを口にすることに抵抗感を覚えたのです。

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しかし、ジャガイモは三ヶ月程度の短い期間に収穫でき、面積に対する収量が小麦などよりも多く、しかも地中で育つため強風や雹(ひょう)の影響を受けないなど栽培上の利点があり、時間が経つにつれヨーロッパの研究者はジャガイモの有用性を認め始めることになります。

しかし、ジャガイモが食べても安全なものだと判明した後も、ヨーロッパでのジャガイモは貧困層の食べものと見なされていました。
そんなジャガイモが食料としてヨーロッパで普及したのは18世紀に起きた大凶作が原因です。
ドイツでジャガイモが定着したのも1770年代の大飢饉後で、国は凶作対策としてジャガイモ栽培を促進させます。
現在のドイツの一地方であるプロセインなどでは全ての小作人がジャガイモを栽培するように命じられ、この命令に背いた者は耳と鼻を削ぐと脅されたりもしました。

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18世紀にヨーロッパで盛んになった啓蒙主義運動の一環として農民向けの小冊子が多く作られ配られましたが、この小冊子もジャガイモ普及に貢献しました。
様々な分野にわたって色々な知識が書かれた小冊子にはジャガイモ栽培についての情報も記載され、この当時に残っていたジャガイモに対する偏見を払拭する役割を担いました。

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1700年代後半に起きた七年戦争で、プロセイン軍に捕虜として捕われたフランス人のパルマンティエは牢獄でジャガイモを食べさせられ、ジャガイモがフランスでも非常食になり得ると確信し、フランスに帰国後そのことを論文にして発表し受賞しています。

パルマンティエはルイ16世にジャガイモを献上し、マリー・アントワネットにはジャガイモの花を送っています。
ジャガイモはナス科植物のため、花はなすの花に似ており、一時フランス社交界ではマリー・アントワネットがつけたジャガイモの花飾りが流行ったりもしました。

パルマンティエは一般庶民の間でジャガイモを普及させるために、パリ郊外にジャガイモ畑をつくり、昼の間は兵隊に警護させ、夜になると兵達をわざと引き上げさせました。
これが気になる近隣住民は夜中にジャガイモ畑に忍び込み、大切に育てられているジャガイモを持ち帰って栽培を始めたといいます。

後に、フランスのジャガイモ料理の一つにジャガイモ普及に努めたパルマンティエの名を取った「パルマンティエ・ポタージュ」という料理が作られています。

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ヨーロッパで最もジャガイモ食が普及した国はアイルランドで、18世紀末までにはアイルランド人は食料の殆どをジャガイモに依存するようになります。
アンデス地方では、病気が発生してもジャガイモが全滅しないように様々な種類のジャガイモを栽培していましたが、当時のヨーロッパではサイズが大きく味にくせの少ない品種のみが栽培されました。
このため、19世紀にヨーロッパで作られていた種類のジャガイモに特有の病気が大発生したときには、その被害は甚大なものとなりました。
1845〜1849年には、アイルランドでもこの病気が蔓延してジャガイモが穫れなくなり、150万人が亡くなる大飢饉が起きています。
その結果、1850年代になって100万人のアイルランド人がもっとましな生活を求めて北米に移り住んだのです。

アメリカでのアイルランド系移民は、ジャガイモ栽培の農具の鋤(スペード)を意味する「スパッド」という蔑称で呼ばれ差別されたりもしましたが、1800年代の一時期にはアメリカの移民のうちアイルランド系は約50%を占め、現在のアメリカでも国民の15%はアイルランド系移民の祖先をもつといわれており、アイルランド系移民はアメリカの人口構成に影響を与える存在となったのです。

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19世紀の大飢饉後、ヨーロッパの研究者はアンデスから病気に強いジャガイモを持ち帰り品種改良を重ねました。
そしてジャガイモはヨーロッパの生活に深く浸透して食文化に多大な影響を与えました。
しかしそれだけでなく、100万人以上の人間をヨーロッパから北米へ大移動させて世界史をも変えてしまったのがジャガイモという植物だったのです。

<参考書籍>
シルヴィア・ジョンソン(1999)『世界を変えた野菜読本—トマト、ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシ』晶文社
浪川寛治三(1996)『野菜物語—たべもの探訪』一書房
南直人(2003)『世界の食文化 (18) ドイツ』農山漁村文化協会
井上勝六(1993)『「薬喰い」と食文化』三嶺書房

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