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2006/09/19

魚肉ソーセージと肉食

明治時代に新政府は文明開化のスローガンのもと国民に対して食の西洋化を促しました。
しかし大正時代はもちろんのこと、昭和に入っても日本人の食の中心は米と魚であり、肉食はなかなか家庭で普及していきませんでした。
そのような状況の中、日本人の食を欧米化する切っ掛けの一つとなったのが魚を材料につくられた魚肉ソーセージの登場だったのです。

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最初の魚のすり身を使ったソーセージは大正時代初期に軍用保存食として開発が行われたといいます。
日本にはかまぼこや竹輪があったので、ソーセージを見た日本人は昔からつくられてきた練り物を連想したのかもしれません。

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昭和10(1935)年にマグロの供給がダブつき価格が下落したためマグロ肉を使ったハムのような製品が開発され、「ツナハム」という商品名で販売されました。
しかしツナハムの販売は軌道に乗らず、結局は静かに市場から消えていくことになりました。
魚肉ソーセージが市場に復活するのはそれから20年近く後のことです。

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昭和28(1953)年にアメリカが行ったビキニ環礁での水爆実験によって近くの海域で獲られたマグロが放射能に汚染されていることが判明し、この年のマグロ需要は激減してしまいます。
マグロ価格は急落して市場でさばけないマグロが再び山積みとなりました。
そこで水産業者などがマグロ肉を加工したソーセージの製造を始めたのです。

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以前つくられたツナハムは消費者に受け入れられませんでしたが、魚肉ソーセージが販売され始めた昭和30年前後という時代はツナハムが販売された昭和10年頃とは状況が異なり、魚肉ソーセージには追い風が吹いていました。
昭和30年代は日本人の生活スタイルが洋風化していくちょうど端境期だったのです。

「栄養改善法」が施行され厚生省が国民の栄養改善に関する調査を始めた昭和27(1952)年頃から「食のバランス」ということが盛んに言われるようになります。
たくさんの白米を少しのおかずで食べる食事は不適切とされ、肉食中心の西洋風の食事がブームの兆しを見せ始めます。
米飯中心だった日本人の食生活はパスタやラーメンなどの麺やパンも食べる食事に変わり始め、主食の米で胃を満たす食事からおかずを多く食べる食事へと変化し始めたのです。

西洋料理なども紹介するNHK「きょうの料理」が始まったのは昭和32年で、最初のインスタントラーメンが発売されたのは昭和33年と(関連:「インスタントラーメンの誕生」)、昭和30年代初期に日本人の食生活は目に見えて変化していきました。

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このような時代の流れに魚肉ソーセージは合致していたのです。
それまでソーセージを食べることに不慣れだった日本人にとっても、食べ馴れた魚肉を使ったソーセージは手が出し易い商品でした。
特に洋風なものに憧れながらも新しい食べものを試しかねていた消費者層に魚肉ソーセージは歓迎されたようで、都市部よりも地方で、肉を食べる馴れた人よりも肉食に馴れていない消費者に魚肉ソーセージは好まれたといいます。

魚肉ソーセージはかまぼこや竹輪と同様の食品として分類されていたために当時は保存料を使用することができました。
これにより冷蔵設備のない小売店でも魚肉ソーセージを置くことが可能になり、消費者が魚肉ソーセージを目にする機会も増えました。
しかも材料費を抑えることができた魚肉ソーセージの価格は安く設定されていたため、多くの人達に「ちょっと食べてみようか」という気を起こさせたのです。

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一躍ヒット商品となった魚肉ソーセージの製造会社は急増し、一時は100社以上もの会社がこの分野に参入していました。
丸大食品やマルハなどの水産加工業社だけでなく、伊藤ハムや日本ハムなどの畜産系の会社も魚肉ソーセージ市場に加わりました。
丸大食品やマルハなどは魚肉ソーセージの成功をもとに、逆に畜産分野に事業をその後拡大しています。

発売されて間もない昭和30(1955)年でも魚肉ソーセージは月に1000万本も生産されています。
最も生産量が多かった昭和40(1965)年には、発売当初の頃に比べ800倍以上の量にあたる188万トンが生産されました。

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魚肉ソーセージは畜肉を使ったハムやソーセージのいわば模造品ですが、本物の食肉ハムやソーセージの消費も次第に増加していきます。
昭和30年代になっても日本人が畜肉から摂る動物性タンパクの量は依然多くはありませんでしたが、昭和42(1967)年には食肉ハムとソーセージの生産量が魚肉ソーセージの生産量を追い抜くことになります。
同じ年の昭和42年に米の生産量はピークに達し、翌年からは年々減少し始めました。
子供が好むおかずが卵焼きからハンバーグなどに変わっていったのも昭和40年代のことです。

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昭和63(1988)年に、畜肉やその加工品によるタンパク質摂取量が魚肉や魚肉加工品からの摂取量を史上初めて上回りました。
1990年代の輸入牛肉の自由化や円高の定着などで肉の価格が安くなったことにより肉食は日本の食生活に定着していくことになります。
肉食が奨励された明治時代初期から100年以上を経た昭和の終わりに、肉を食べる習慣が一般家庭にも浸透したわけです。
魚や米が中心だった日本人の食が肉食中心の食へ移行する、そんな時代の象徴的な食べものが魚肉ソーセージだったのです。

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ちなみに魚肉ソーセージを使った料理については、「魚肉館」というホームページに40種類以上のレシピがあります。
「魚肉館」には、市販されている魚肉ソーセージの情報や、なぜ魚肉ソーセージがオレンジ色のフィルムで包まれているかなどの豆知識、魚肉ソーセージをぬか漬けにする実験結果なども掲載されています。

<参考書籍>
岡田哲(2000)『とんかつの誕生—明治洋食事始め
大塚滋(1997)『パンと麺と日本人—小麦からの贈りもの』集英社
原田信男(2005)『和食と日本文化—日本料理の社会史』小学館

<昭和関連>

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