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2006/09/01

海苔とリサイクル技術

海藻(かいそう)を刻んで板のように薄くのばして乾燥させたものを干し海苔といいます。
干し海苔を短時間加熱したものが焼き海苔で、干し海苔や焼き海苔の片面に塩や醤油、味醂などで味をつけて加熱したものが味付け海苔と呼ばれる加工品となるのです。

ノリをこのように加工して食べるのは日本と朝鮮半島のみだといわれれており、中国やハワイ、インドネシア、北ヨーロッパなどでもノリは食されますが、薄く延ばして乾燥させたノリを食べる習慣はありません。

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「海苔(のり)」または「浅草海苔」と呼ばれている食品の材料によく使われる海藻の学名は「ポルフィラ・テネリ」です。
明治時代の海藻学の権威であった岡村金太郎博士が、日本で昔から使われていた「浅草海苔」という呼び名をポルフィラ・テネリの正式な和名としたため、浅草海苔の原料となる海藻の標準和名も「アサクサノリ」となっています。
日本の沿岸には20種類程のノリが存在しており、アサクサノリだけでなくスサビノリなども海苔に加工されています。

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古代の日本では、ワカメや昆布のような大きい海藻を「裳(も)」や「布(め)」と呼び、小型のものを「のり」と呼んでいたと考えられています。
平安時代の書物に、海苔は「紫菜(むらさきのり)」や「神仙菜(あまのり)」(または「甘海苔」)という名で登場しており、その当時の海苔は上流階級の進物や精進料理に使われる高級品として扱われていました。

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「浅草海苔」が登場する最初の文献は、1638年に京都で出版された俳諧の入門書『毛吹草(けぶきぐさ)』で、この中に「葛西苔、是ヲ浅草苔トモ云ウ」と記されており、江戸時代初期には京都にまで「浅草海苔」の名が知れ渡っていたことが伺えます。

徳川家康によって江戸の町が建設され始めた頃は浅草近くの隅田川でもノリが採れたことから浅草海苔の呼び名が付いたという説がありますが、そのようなことを示す確かな記録は残されていないようです。
江戸時代に江戸湾で採れたノリが浅草の市場に集められてから各地に送られていたために「浅草海苔」という名が生まれたという説や、浅草海苔が浅草で生産されたことからこの名が付けられたともいわれており定かなことは分かっていません。

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1700年代前半頃には、沿岸近くの浅瀬などに「ヒビ」と呼ばれる木の枝を立て、海中を漂うノリの胞子を着生させることでノリを養殖する方法が確立されていました。

ヒビの語源については二つの説があります。
江戸時代中期に、江戸城に毎日魚を献上する「日々御菜肴(ひびごさいさかな)」を命じられていた漁師が、不漁で魚が獲れないときに備えて木の枝や竹で生簀(いけす)を作り魚を貯えていました。
その生簀にノリが付着したことからヒントを得てノリの養殖が始められ、日々御菜肴を仰せつかっていた漁師が使った棒なのでヒビと呼ばれるようになったというのが一つの説です。

もう一つの説は、浅瀬に竹を突き刺して囲いをつくり囲いに入った魚をとる「日々網(ひびあみ)」と呼ばれる漁をしていた漁師が、海に刺した竹に付着したノリを見て養殖を考えついたため、日々網に使われた竹棒だったのでヒビという名になったというものです。

海に立てた棒状のものにノリが付いたことを参考にノリの養殖が始まったとする部分は二つの説に共通しています。

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養殖が始まって間もない頃はノリを手で広げて干しただけの厚めの海苔が食べられていましたが、江戸時代中期に薄い海苔を作る方法が考案されます。
江戸時代には家々から古紙が集められ、紙すき場で落とし紙(今でいうところのトイレットペーパー)用にリサイクルされており、浅草でも隅田川などの水を利用した古紙再生業が盛んでした。
1716〜1736年ころ、ある浅草の紙すき職人が再生紙技術を応用して、刻んだノリを水に混ぜて薄く伸ばして乾燥させたものをつくったことから薄い海苔づくりは始まったといわれています。

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軽くてかさ張らず保存性が高い浅草海苔は江戸の町の需要を満たすためだけに生産されていたのではなく、江戸土産としても大変人気がありました。
浅草海苔のブランド力が増すにつれ、地方にも海苔は浸透していき、江戸時代後期になると、海苔作りは上総地方や仙台の松島、駿河の三保の浦、安芸の広島湾、浜名湖などに広まっていきました。

それでも江戸時代を通して海苔は贅沢品で、海苔が一般庶民に日常的に食べられるようになったのは、幕府の許可が必要だったノリ養殖が本格的に自由化された明治時代になってからのことです。

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更に海苔生産業にとって画期的な出来事が戦後になってから起きました。
1949年にイギリスのマンチェスター大学教授のキャスリーン・メアリー・ドゥルー・ベーカー氏(Dr. Kathleen Mary Drew Baker)が、ノリの胞子は春になると貝殻の中に入り込み、その中で糸状体と呼ばれる状態で成長した後、秋になって再び胞子を放出して海の中を漂うことを発見したのです。

糸状体やノリの成長過程のもう少し詳しい説明は「全国海苔貝類漁業協同組合連合会」のホームページの「海苔の知識」などを参照して下さい。

ドリュー氏の海苔の糸状体の発見後、海の中を漂ってくるノリを待つのではなく、胞子から培養した糸状体を網に付着させてこれを海に沈める養殖方法が考案されたことから、海苔の生産量は増え、質の向上にもつながり、日本人にとって海苔は更に身近な食品になったのです。

<参考書籍>
高橋素子(2003)『Q&A 食べる魚の全疑問—魚屋さんもビックリその正体』講談社
吉田豊(1995)『食卓の博物誌』丸善
末永徹 (2005)『食材はどこから』料理王国社
旅の文化研究所(2000)『落語にみる江戸の食文化』河出書房新社

<海苔関連>

ユウキ食品 韓国風・味付塩焼海苔8切8枚 4袋 (3入り) ユウキ食品 韓国風・味付塩焼海苔8切8枚 4袋 (3入り)

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将太の寿司 名人の海苔編 将太の寿司 名人の海苔編
寺沢 大介

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