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2006/09/18

白米に憧れてきた日本人

縄文時代にアワとヒエが中国から朝鮮半島を経由して日本に伝わり、その後、大麦やキビ、ソバが中国から持ち込まれたと考えられています。
それら雑穀の伝来に前後して、約3000年前に日本に稲が伝わりました。
弥生時代以降に米栽培は日本全国に広まっていくわけですが、米栽培の普及と同時に米の飯が日本人の食の中心になっていったわけではありません。

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000923 長い間、日本で米を常食できたのは上流階級だけであり、一般庶民は雑穀や芋、豆などを主に食べていました。 室町時代になると庶民は玄米に雑穀を混ぜて食べています。 江戸時代中期頃になって江戸や大阪などの都市部に住む庶民に限って、やっと日常的に米の飯が食べられるようになったのです。

しかし当時の国民の70〜80%を占めていた農民は祝祭があるハレの日にしか白米の飯を炊くことができず、日頃は雑穀や芋やだいこんなどを混ぜた飯を食べていました。 これは当時の農業技術では全人口に行き渡るのに十分な米を生産することができなかったことが一因としてありますが、農民一揆を恐れた徳川幕府が農民の衣食住を厳しく管理して、地方では名主や庄屋にしか米の常食を許さなかったことにも因ります。

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江戸時代の武士の給料である扶持(ふち)は一日玄米五合(米1合は約150g)で計算されていたといいます。
当時の都市部の一般庶民でも一回に食べる飯の量は今の茶碗で3〜5杯分で、一日に必要なカロリーのおよそ80%を米の飯から摂取していたといいますから、今の日本人に比べて多量の米飯を食べていたことになります。

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江戸時代中期に江戸の町で白米消費が増加した証拠に、この頃から江戸では脚気患者が急増しています。
脚気はビタミンB1が足りなくなることでかかる病気です。
雑穀や玄米の糠や胚芽部分にはビタミンB1が含まれていますが、糠や胚芽を取り除いた白米だけを食べているとビタミンB1が欠乏し脚気になってしまうのです。(関連:「米と糠(ぬか)」)

江戸時代には米の値段が下がると脚気患者が増え、米の値段が上がると患者数が減少する傾向が見られました。
地方から江戸に出てきて脚気にかかってしまった人達が故郷に帰ると治ってしまったという事例もあったようです。
しかし当時は脚気の原因は分からず、単に「江戸煩(えどわずらい)」とよばれていました。

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明治時代になっても脚気がどういう病気なのかは不明で、伝染病や栄養失調によるものではないかと推測されたこともあります。

明治10年の西南戦争の頃、政府軍の大切な兵隊達には白米が宛てがわれていたために多数の政府軍兵士が脚気にかかってしまい、この対策として政府は府立脚気病院を設立しています。
この脚気専門病院創設当初、政府は東洋医学と西洋医学のどちらを採用するかを決めかね、脚気患者を二つのグループに分けて一方のグループを西洋医学で治療し、もう一方のグループには東洋医学を用いて、より効果のあった方を政府として採用することにしました。
西洋医学の医師も脚気の原因は分かりませんでしたが、米の飯の代わりにパンと牛乳の食事を脚気患者に与えていたために病気は完治してしまい、結局は西洋医学が政府によって正式採用されたのです。

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明治43年に米糠からビタミンB1が鈴木梅太郎博士によって発見され、後に脚気の原因がビタミンB1の欠乏であることが島園順次郎博士によって解明されています。
米糠から見つけられたため、稲の学名の「オリザ・サティバ」に由来してビタミンB1はオリザニンと当時は呼ばれました。(以前、ビタミンB1を発見したのは島園順次郎博士であるとここに書いてしまいましたが、正しくは上記の通り鈴木梅太郎博士です。訂正させて頂きます。申し訳ありません。)

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000919 明治時代末期頃の日本では一日に一人平均3合弱の米が消費されており、大正時代には米の生産力が増強されたためか一般庶民でも一日に一人平均4合弱の米を食べるようになっています。
農林水産省」や「JA全農」などの資料によれば、ここ数年の日本人一人当たりの米消費量は一年に1%程度づつ減少しており、一日一人平均1合程度の米しか食べなくなっているなど、日本人の米離れが進んでいるようです。

それでも今の日本人にとっても、米には一つの食材以上の意味があることは確かです。
米が伝来してから3000年の歴史の中で見れば日本の一般家庭で100%の白米飯を常食したのは短い期間です。
しかし長い間多くの日本人が白米食に憧れ続けて白米に対する思い入れを強めてきたことが、米を日本人にとっての特別な食べものにしたとも考えられるかもしれません。

<参考書籍>
高橋素子(2004)『Q&A ご飯とお米の全疑問』講談社
大山真人 (2001)『銀座木村屋あんパン物語』平凡社
安達巌(2004)『日本型食生活の歴史』新泉社
旅の文化研究所(2000)『落語にみる江戸の食文化』河出書房新社

<ご飯関連>

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