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2006/08/25

パスタとマルコ・ポーロ

イタリア料理といわれてパスタを連想するだけでなく、単にイタリアと聞いただけでもパスタを思い浮かべる方は多いのではないでしょうか。
イタリアとパスタの関係は深いものですが、そのイタリアでどのようにパスタが食べ始められたのかやパスタの歴史についてはよくわかっていないことが多いのです。

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当のイタリア人の中にも、あのマルコ・ポーロが中国から乾麺を持ち帰り、それがヨーロッパでパスタになったと信じている人達もいるそうです。
一昔前はイタリア人だけでなく世界中で多くの人がこの伝説じみた話しを信じていました。
この嘘の出所を調べ上げたのは、フランス人の食物史研究家で現在は日仏会館 副理事でもあるフランソワーズ・サバン氏で、全米マカロニ生産者協会(The American National Macaroni Manufacturers Association)が発刊していた「マカロニ・ジャーナル」という業界紙の1929年10月号にマルコ・ポーロとパスタの話しが載せられたことによって、この説が真しやかに広まったということを突き止めました。

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他の学者の指摘で、マルコ・ポーロの口述をまとめた東方見聞録が筆記されるより約20年前の1279年に、ポンチョ・パストーネという人がマカロニが目一杯入った箱を財産として残したことをジェノバの公証人が記録していたことが分かっています。
財産に残すくらいなのでこれは生パスタではなく乾燥パスタだと考えられており、この公式記録によってマルコ・ポーロ以前にもイタリアにパスタがあったことが分かっているのです。

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Pasta1また、マルコ・ポーロがヨーロッパに帰国する100年も前に、シチリア島から30キロ離れたトレビアで製造されていた粉食製品について、アラブの地理学者が書き残しています。
記録で使われている語句から、これは乾燥パスタだったと考えられています。
この記録の中のシチリアの乾燥パスタの説明にアラブ語の「itriyah」という言葉が使われています。
この「itriyah」はアラブで食べられていた麺であったらしいということが分かっており、アラブからシチリアに伝わった麺がパスタになったのだろうと推測され、現在はこれが定説のように扱われることが多いようです。

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事実として、シチリアはアラブの支配下にあった時代もあり、当時のシチリア地方とアラブ間との結びつきは強く、イスラム教徒も多く住んでいました。
このシチリア地方から当時は独立国家だった南イタリアの国々やアラブ方面へ乾燥パスタが輸出されていたことが分かっています。

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シチリアで乾燥パスタが作られていたことが記録された12〜14世紀より以前のイタリアにパスタまたはパスタ状の食べものがなかったのかについては、はっきりとしたことが分かっていません。

古代ローマが建国されるよりも前に、アジアの西部からイタリア半島にやってきたエトルリア人がイタリア中央部に都市国家を創り、紀元前6〜7世紀に繁栄しましたが、このエトルリア人の古墳で見つかったレリーフにラザニアを作る道具らしきものが描かれているという説があります。
はっきりとラザニア作りの道具だと判別できるようなレリーフではないようで、「言われてみれば確かに見える」という程度のもののようです。

今の北イタリアの伝統料理のポレンタのように古代ローマ時代には小麦粉を粥状にしたプルテスと呼ばれるものが食べられていたり、小麦粉を捏ねて薄く焼き、細長く切ってスープに入れるテスタロイという料理もあったようです。
しかし、これらは現在パスタと呼ばれている食品とはかなり異なった食べものです。

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ローマ時代に食べられていた粉食食品とシチリアで作られていたという乾燥パスタの間にはポッカリと穴が空いたように記録につながりがありません。
だからこそマルコ・ポーロがヨーロッパにパスタをもたらしたという話しが信じられてしまう余地があったのです。

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Pasta2 15世紀の初めになるとパスタはナポリでも流行しました。
16世紀になるとイタリア南部はスペインの支配下に入り、政情が安定したことからナポリの町は発展し始めます。
するとナポリとその周辺の農村部との間には格差が生まれ、ナポリ周辺に住む農民がナポリに流入するようになり、17世紀になるとナポリはヨーロッパで最も人口が多い都市になりました。

その頃にナポリでパスタ製造は発展しました。
その理由の一つは、17世紀前のナポリでは生鮮食料品の供給が行き渡っていたため、粉食はあまり重視されていませんでしたが、人口増加によってナポリでの生鮮食料品の供給が追いつかなくなったためだと考えられています。

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日本の江戸時代にも都市部の発達と共に人口が急増したため、米の不足を補い安定的に食糧を供給するために麦や蕎麦をつくることを幕府は奨励し、これがうどんやそうめん、そばなどの粉食の発達につながったことがあります。
ナポリでパスタが発展した状況は、日本の江戸時代の粉食発達の過程と似ていたのではないでしょうか。

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ナポリでのパスタ製造技術発達を後押ししたものに17世紀にナポリでつくられた押し出し式パスタ製造機があります。
これによりパスタは種類を増やし、質が高められ、イタリアを代表する食品の地位を得ていくことになるのです。

<参考書籍>
石毛直道(1995)『文化麺類学ことはじめ』講談社
大塚滋(1997)『パンと麺と日本人—小麦からの贈りもの』集英社
大矢復(2002)『パスタの迷宮』洋泉社
内田洋子 (2003)『トマトとイタリア人』文藝春秋
安達巌(2004)『日本型食生活の歴史』新泉社

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