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2006/07/10

納豆伝説

7月10日は「納豆の日」です。

1981年に関西納豆工業共同組合が関西の人にもっと納豆を食べてもらおうと、PRのために語呂合わせで「なっ(7)とう(10)」の日をつくったのが始まりです。

1992年には全国納豆共同組合連合会が改めて全国的に7月10日を「納豆の日」としました。
納豆PRのためにつくられた「納豆の日」ですが、この「納豆の日」をPRするために、全国納豆協同組合連合会が主催して、納豆の普及に貢献した著名人に「納豆クイーン」や「納豆キング」の称号と賞を毎年送っているようです。
ちなみに、2005年度の納豆クイーンは華原朋美さん、その前年は上戸彩さんと佐藤藍子さんでした。

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ところで、最初の糸ひき納豆がどのようにしてつくられたのかは今のところ分かっていません。

弥生時代には、祝いの品など大事なものが藁でできた藁苞(わらずと)に入れられ、藁苞が現在の包装紙や桐箱のように使われていたので、その時代に、たまたま誰かが煮豆を藁苞に入れておいたところ煮豆が糸を挽いてしまい、勇敢にもこれを試しに食べてみたというのが納豆の始まりだったのではないかという推測もあります。

現在、祝いの品を藁苞に入れることは一般的にはありませんし、スーパーなどで売られる納豆も発泡スチロールや紙の容器に入れられているものが殆どですね。

          ○

納豆の始まりについて書かれた文献は残っていませんが、納豆にまつわる様々な言い伝えは各地に残されています。

その最も古いものの一つは聖徳太子の納豆伝説です。
聖徳太子が馬に餌として煮豆を与え、その余りを藁苞に入れて木の枝に吊るしておいたところ、藁苞の中の煮豆は糸を引いて粘りがでてしまいました。
しかし、これを食べてみたところ美味しかったというお話しです。

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平安時代後期に起きた「前九年の役」で戦った八幡太郎義家の陣中で、藁の中に放置しておいた馬の餌用の煮大豆が糸を引いてしまったのが糸引き納豆の始まりだとする言い伝えが関東より北の各地に多く残されています。

前九年の役で八幡太郎義家が行軍した軌跡と現在糸引き納豆がよく食べられている地域とは重なっており、これが研究者の間などでは納豆ロードとよばれています。

また、義家の敵方だった安倍宗任(むねとう)が戦に敗れて筑紫に流され、流刑の地で糸ひき納豆の作り方を伝えたという話しが残されていたり、京都周辺から義家の援軍として東北に派兵された兵が納豆の製法を持ち帰ったという話しもあります。

現在、納豆が多く消費される地域は関東や東北、京都周辺、北九州と全国に点在していますが、これらの地域は義家軍や安倍宗任が関係した地域と奇妙に一致しているのです。

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文献に納豆が出始めた当初は「糸引大豆」として記されていました。

「納豆」という字が出てくる最古の文献は、11世紀の芸能や世相が書かれた『新猿楽記』だといわれており、その中に「精進物、春、鹽辛納豆」と書かれています。

<参考書籍>

柳田友道(1991)『うま味の誕生―発酵食品物語 』岩波書店
吉田豊(1995)『食卓の博物誌』丸善
一島英治(2002)『発酵食品への招待―食文明から新展開まで』裳華房

<関連商品>

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渡辺 杉夫

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