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2006/07/07

七夕と索餅と酒

中国の「二星会合」と「乞巧奠(きっこうでん)」の二つの行事が日本で融合したのが七夕の始まりで、最初は平安時代の貴族の間で広まりました。

天の川を隔てて引き離されてしまった牽牛と織女が年に一度だけ会うことが許されたという中国漢代の伝説が二星会合です。

そして乞巧奠は唐代に始まった行事で、花を供えて庭に文を置き竿の先に五色の糸をかけて一つの事を願えば、三年の内に願いは叶うという意味が込められていました。

日本の七夕行事は二星会合と乞巧奠が土台にされてはいますが、それらの行事が伝来する以前から、七月七日は日本の神祭の日となっていました。
七月七日には宴が催され相撲が執り行われる日とされていたのです。Tanabata
淳和天皇(786年-840年)の時代に、平城天皇(774-824)の国忌(天皇の命日)が七月七日に定められたことから、相撲は十六日に行われることになりました。
それ以降、七月七日の行事としては二星会合と乞巧奠の風習だけが残り、これが七夕行事へと変化していったのです。

乞巧奠では瓜が供えられたりしましたが、日本の平安時代の七月七日には「索餅(さくべい)」を食べる習慣が広まりました。

          ○

索餅とは小麦粉に米粉を混ぜて作ったうどんのような食べもので、別名「麦縄(むぎなわ)」ともよばれました。
索餅は蒸したり茹でたりして汁につけて食べた麺だと考えられていますが、油で揚げた菓子だという説もあります。

          ○

端午の節句や雛祭りなど他の節句では特別な食材が食べられてきたのに対し、七夕用の御馳走というものは定着しませんでした。
正月の屠蘇や雛祭りの桃酒、端午の節句には菖蒲酒などがありましたが、七夕に飲まれる酒はありません。
地域ごとに七夕の時期に旬を迎える山菜や魚介が食べられたりはしてきましたが、全国的に広まった七夕用の料理というものは普及しなかったのです。
これは、この季節には、調理した食物がすぐに傷んだり、酒の醸造や保存も難しいということが理由の一つだと考えられます。

<参考書籍>

木村茂光(1996)『ハタケと日本人―もう一つの農耕文化』 中央公論社
石毛直道(1995)『文化麺類学ことはじめ』講談社
神崎宣武(2005)『「まつり」の食文化』角川書店

<関連商品>

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木下 敬三

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