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2006/07/21

うなぎと蒲焼きの語源

今年の土用丑の日は7月23日です。

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うなぎは胸(腹)の部分が淡い黄色になっていることから昔は「むなぎ」とよばれていたといいます。
うなぎの形が屋根に使う丸太の棟木(むなぎ)に似ているからむなぎと呼ばれていたのだという説もあります。

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うなぎが海で産卵することが分かる以前は、うなぎがどのように生まれるかは謎であり人々の想像を刺激しました。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは自然学関係の著書『動物誌』に、ミミズがうなぎになると説明しています。
日本でも江戸時代の百科事典『和漢三才図絵』には、渓流脇の土手から出た山芋がウナギに変身するとされており、半分山芋で半分うなぎという生き物を見た人もいるのだと真しやかに説明されています。

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既に奈良時代の頃、うなぎは夏場の体力が落ちた時期に食べると良いと考えられていました。
『万葉集』の中の大伴家持の歌で、吉田石麻呂に対して夏痩せには鰻を食べると良いぞと忠告しているものがあります。

石麻呂に 吾れもの申す夏痩せに
よしといふものぞ 鰻(むなぎ)とり食せ

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1399年に記された『鈴鹿家記』に「うなぎかば焼」という記述が残されていることから、室町時代の末には、うなぎの調理に蒲焼きという料理法が使われていたことが分かっています。
ただし、その当時の蒲焼きはうなぎを開かずにそのまま串に刺して焼いていました。

「蒲焼き(かばやき)」の名の由来は、このうなぎの丸焼きの様子が蒲の穂に似ているため「蒲焼」と名付けられたという説があります。
他に、焼いた色が樺(かば)の木の皮に似ていたからという説や、焼いた時の香りが瞬く間に辺りに届くので「香疾焼き」とよび、転じて蒲焼きになったという説もあります。

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土用丑の日にうなぎを食べるようになったのは江戸時代中期のことですが、最初に考案したのは学者の平賀源内だという説と鰻屋の春木屋善兵衛だという説があります。
その当時のグルメの間では中串(300〜500グラム程度のうなぎ)が好まれ、特に尻尾近くの身は胴に比べて脂が少な目であっさりとしていて美味しいとされていました。

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関東ではうなぎを背開きにして白焼きにして蒸し、その後タレをつけて焼きます。
関西では腹開きにして蒸さずに焼きます。

関東では江戸時代に、武士の町で腹を開くことは切腹のようで縁起が悪いとしてうなぎを背開きするようになったといわれています。

関西でうなぎをなぜ蒸さないのかについて、関西のうなぎが生息した水は関東のものに比べて清らかだったため泥臭さを消すための蒸しの作業が省かれたのだと主張する人達がいます。
一方で、うなぎの過剰な脂分を落とすために関東の蒲焼きでは蒸すのだとも考えられています。
また、関西ではうなぎを「マムシ」としてご飯の間に入れて蒸すようなかたちにするので焼く前に蒸す必要がないのだという説もあります。

<参考書籍>
月刊食生活編集部(1992)『グルメのおもしろ語源集—食べものふしぎ博物館』コア出版
岩井保 (2002)『旬の魚はなぜうまい』岩波書店
主婦と生活社(2003)『おいしい言葉食べる言葉ものしり事典—食卓に一冊。うまさ倍増!話の調味料』主婦と生活社
浪川寛治三(1996)『野菜物語—たべもの探訪』一書房
樋口清之(1996)『食べる日本史』朝日新聞社
高橋素子(2003)『Q&A 食べる魚の全疑問—魚屋さんもビックリその正体』講談社
マルハ広報室(2000)『お魚の常識非常識「なるほどふーん」雑学』講談社

<うなぎ関連>

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五代目柳家小さん 名演集9 二人旅/禁酒番屋/うなぎ屋 五代目柳家小さん 名演集9 二人旅/禁酒番屋/うなぎ屋
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